蘇る「桜木花道のモデル」デニス・ロドマンが来日した夏
4月19日より、Netflixでスタートしたマイケル・ジョーダンのドキュメンタリー『The Last Dance』が話題になっている。「ニューヨークタイムズ」や「ESPN」でも取り上げられた。現在、第4話まで発信されているが、3話にデニス・ロドマンが登場した。
NBAファン以外の方には、大人気漫画『 SLAM DUNK(スラムダンク)』の主人公、桜木花道のモデルと表した方がイメージし易いかもしれない。『The Last Dance』を見ながら、ロドマンが日本にやって来た10年前を思い出した。彼は、2010年8月19日に有明コロシアムで催された「AND1 presents STREET2 ELITE」でコートに立っている。
ロドマンは、1961年5月13日ニュージャージー州トレントンで生まれた。マイケル・ジョーダンより2つ年上である。両親の離婚によりロドマンは、母、2人の妹と共にテキサス州ダラスの黒人スラムで育った。ロドマン家の住居は、市が貧困者を救うために築いた"プロジェクト"と呼ばれる公営アパートであった。
高校時代の事だ。スラムで将来を見出せず、何の努力もしなかったロドマンは、スクールバスの運転手として家族を養っていた母親に家を追い出される。高校入学時に168センチしかなかった彼は、自身にバスケットボールの才能が宿っていることに気付かずにいたのだ。
2年間、路上生活者として過ごすなか、バスケットボールに行き着く。短大を経て、サウスイースタン・オクラホマ州立大学に編入。この頃には2メートル近くまで身長が伸び、1試合平均27得点、15リバウンドの結果を出し、25歳にしてドラフト27位でデトロイト・ピストンズに入団する。 ジョーダンから遅れること2年でNBA選手となった。
7シーズン在籍したピストンズ時代の1989年、1990年にNBAチャンピオンとなる。当時のピストンズは荒々しいプレーが売りで<Bad Boys>として名を馳せた。ジョーダンがいかに得点しても、1991年までブルズはピストンズの壁を越えられなかった。ロドマンの乱闘も厭わない激しいディフェンスとリバウンドは、対戦相手を悩ませた。
しかし、頂点を極めた後の1993年、ロドマンはライフルの所持で警察沙汰となり、サンアントニオ・スパーズにトレードされる。以降、派手に髪を染め、鼻ピアスをし、マドンナとの交際を公にするなど、コート外での行動が注目されるようになる。
1995年、ロドマンはシカゴ・ブルズに移籍する。1991年からブルズで3連覇を成し遂げ、ベースボール選手を目指して1度は引退したジョーダンの復帰から1年後のことであった。試合中にTVカメラマンに蹴りを見舞うなど、相変わらずのBad Boy振りを発揮したが、ジョーダン、スコッティ・ピッペンらとの連携はよく、ブルズにとって2度目の3連覇(1996年~1998年)に大きく貢献した。
2010年夏、そのロドマンが日本にやって来た。引退から10年になろうとしていた。ゲーム内容は、あまり覚えていない。ただ、ほとんどシュートを打たず、彼の得意とするリバウンドでファンを沸かせた記憶がある。
試合後の記者会見で、私は挙手し質問した。「あなたがNBAのトップ選手として活躍できた最大の要因とは何ですか?」
ロドマンは早口で答えた。
「気持ちだな。成功してやるという強い気持ち。いつもそれが自分の支えになっていた。身体が小さく、芽が出なかった時期も決して諦めず、自分を信じて前進したことが良かった」
サングラスをしていた為、表情は窺えなかったが、スラムからバスケットボールを手に這い上がって来た男の信念を感じた。同時に、イメージよりもずっと真面目な人間であるように思った。