一匹残らず蚊を駆逐せよ、奇病「バク」と人々の戦い
人類の歴史は病気との戦いの歴史と言っても過言ではありません。
日本でも八丈小島ではバクと呼ばれている奇病が蔓延しており、多くの島民を苦しめてきました。
この記事ではバクとの戦いの軌跡について紹介していきます。
長崎大学による追試
長崎大学の研究者たちは、1952年に八丈小島を訪れ、フィラリア症の再検討を行いました。
北村精一と片峰大助は、九州各地でのバンクロフト糸状虫症の経験を基に、八丈小島のマレー糸状虫症との比較研究を行い、島民の症状を詳しく観察したのです。
調査によれば、島民は「バク」と呼ばれる初期症状を経験し、その後、外傷をきっかけに「ミツレル」と呼ばれる丹毒様の発作を繰り返し、象皮病に進行するケースが多いことが分かりました。
27名の調査対象者のうち11名がミツレル発作を起こし、象皮病を患っている10名全員がミツレル発作を経験していたのです。
さらに、バク発作は夏から秋にかけて発症し、ミツレル発作の主な原因は外傷であることが確認されました。
この調査により、八丈小島のマレー糸状虫症の症状が明確に把握されたのです。
一匹残らず蚊を駆逐せよ!
1956年、八丈小島での奇病バクの原因はトウゴウヤブカが媒介するマレー糸状虫によるリンパ系フィラリア症であることが判明しました。
治療は可能となりましたが、感染を完全に防ぐためには、蚊やボウフラの駆除が不可欠だったのです。
佐々ら伝研のメンバーは、蚊の駆除を目的とした大規模な作戦を計画し、スパトニンの服用と併せて実行に移しました。
その作戦は、「天敵による捕食」と「DDTの散布」の二つの方法に分かれていました。
まず、ボウフラ対策として天敵の利用が検討され、金魚やメダカが投入されたのです。
淡水魚を生きたまま離島へ運ぶのは困難でしたが、島民たちの協力により、無事に導入されました。
金魚はボウフラの発生を抑制する効果を発揮し、6年前に放たれた金魚は成長し、ボウフラの発生を抑え続けていたのです。
次に行われたのが、DDTの散布です。
当時、DDTは広く使用されており、その有害性が問題視される前でした。
八丈小島では、日本ヘリコプターの協力を得て、ロックプールにDDTをばら撒くという大規模な作戦が実行されたのです。
散布後、トウゴウヤブカのボウフラはほぼ全滅しましたが、効果は一時的であり、冬が近づくと再びボウフラが発生し始めました。
さらに、集落内での蚊の駆除には、人力によるDDTの残留噴霧が行われました。
これは、屋内の壁や天井にDDTを噴霧し、蚊を駆除する方法です。
八丈小島ではこれまで殺虫剤が使用されたことがなかったため、その効果は劇的であり、蚊やハエが瞬く間に姿を消しました。
しかし、この効果も一時的で、数ヶ月後には再び蚊やハエが現れたのです。
これらの対策は、病気の根絶を目指して行われましたが、持続的な効果を得るにはさらなる対策が必要であることが明らかとなりました。
島民たちの健康を守るために、駆除対策は繰り返し行われることが求められたのです。