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「移民受け入れ」と「多文化共生」を分けて考えたい。

にしゃんた社会学者・タレント・ダイバーシティスピーカー(多様性語り部)
(写真:アフロ)

 私は、「違いを楽しみ、力に変えよう」などのテーマを提げて「多文化共生」の必要性を全国のあちこちで喋って回ることをライフワークにしている。中にはそんな私などを批判する者がいる。そして彼らのほとんどが日本への「移民受け入れ反対」を訴える人たちとほぼ重なっていることに気づく。

 日本にいる一移民の当事者ではあるが、私自身は実は「移民受け入れは反対」と口にしている。「多文化共生」を訴える身として一見矛盾しているように思われるだろうが、少なくとも私などの中では一切矛盾はない。

 巷の議論を見ていると「移民受け入れ」と「多文化共生」は同意的に扱われている。確かにセットになる。しかし必ずしもセットになるとは限らない。移民を受け入れたら多文化共生が必要になるが、多文化共生には、移民受け入れが必ずしも前提にならない。

 「移民受け入れ」と「多文化共生」をあえて分けて捉える必要があるのではないか。有耶無耶になっている責任の所在などを明確にするためでもある。結論から言えば、移民受け入れの責任は基本的に政治にあり、多文化共生の責任は基本的に民衆にある。

 移民受け入れの原因となっている人口再生産が出来ない社会となっている基本的な原因は政治・政策の失敗にあろう。移民受け入れは、政治の失敗の尻拭いとしての策である。無論、元を辿れば政治を選んだ責任は民衆にもあり、政策などとは関係なく子を産み育てる選択をしなかった各々の責任も中にはあろう。

 今の日本は「隠れ移民国」である。未だに気づいていない国民が多いかもしれないが、しかし年間の受け入れ人数が約40万人で、先進国の中では独米英に続く第4位となると、いつの間にか日本は、立派な移民受け入れ国の仲間入りをしていることにいい加減に気づく必要がある。

 諸外国の情報に簡単にアクセスできる中、「移民受け入れ反対」と警戒する人々が現れることも理解できる。だけどそのフラストレーションのはけ口を移民当事者に向けることは正しいとは言えない。仮に外国人集住地域に乗り込んで「出て行け!」と叫んだり、移民当事者を虐めるような者がいれば、彼らは物事の本質をまるで分かっていないということになる。

 移民受け入れの責任を突き止め、反対し、批判したいとその矛先は尋ねられれば、おそらく日本の長期政権、そして安価な労働の下で現状の生産性を担保したいという経済界ではないかと答えたい。無論その批判は巡り巡って国民の自己批判にもつながってくるに違いない。

 しかし多文化共生は基本的に別ものである。共生に向けた法整備など政治責任もあるが、多文化共生は基本的に民衆の責任になってくる。文化などは違えども、同じ土地に住む関わりのある者同士が平穏で、楽しい毎日を過ごすには、一人一人の理解と努力が必要不可欠である。多文化共生はみんなのテーマで、いわば各々の人間力が試されるということでもある。国策的な移民受け入れにならなくても、今までと同様に自然増による外国人との接点は今後も増える。さらには各々が違うという意味で、元からして日本人同士においても多文化共生の必要性が存在する。

 いずれにせよ、望むと望まざるにかかわらず、他の多くの社会もそうであると同様に、日本社会も多文化共生が進んでいる。もはやそこには受け入れるか受け入れないかの選択肢は存在せず、いかに受け入れるかの選択肢しか残っていないのである。品格のある受け入れをすれば、未来永劫に良き結果をもたらし、その逆となればいずれ社会へのしっぺ返しが待っていることになる。という至って分かりやすい因果応報の仕組みになっている。

 なのでいろんな意味において移民当事者もさることながら、多文化共生のために努力している者たちを攻撃するような行為が仮に社会にあるなら、理解に苦しむということになる。

移民受け入れに伴う多文化共生は日本で成功するか否かを問われれば、日本で成功する可能性はあると答えたい。その実現のためには各々の意識と努力が求められ、移民受け入れ先進国から反面教師としても多くを共に学びたい。同時に、日本が過去に受け入れた移民といかに暮らしてきたかについて冷静に客観的に見つめることと、速やかな改善も求めたい。

 移民の受け入れに関する世の中の議論は、大きく、受け入れ「反対」か「賛成」かに分かれている。そして「移民受け入れ」と「多文化共生」は対として扱われる。しかし、必ずしもセットにならず基本的に両者は別のものであることを理解したい。そして現状において存在している「移民受け入れと多文化共生は反対」と「移民受け入れと多文化共生は賛成」の二極に止まらず「移民受け入れは反対で多文化共生は賛成」という第三の考え方もあることを明確にしておくことは、いろんな意味で、特に日本社会の二項対立を避けたい視点としても、「移民受け入れ」と「多文化共生」をごちゃまぜで扱われ、問題の本質を見えなくなりっている現状打破のためにも大事であると考える。

社会学者・タレント・ダイバーシティスピーカー(多様性語り部)

羽衣国際大学 教授。博士(経済学)イギリス連邦の自治領セイロン生まれ。高校生の時に渡日、日本国籍を取得。スリランカ人、教授、タレント、随筆家、落語家、空手家、講演家、経営者、子育て父などの顔をもっており、多方面で活動中。「ミスターダイバーシティ」と言われることも。現在は主に、大学教授傍ら、メディア出演や講演活動を行う。テレビ•ラジオは情報番組のコメンテーターからバラエティまで幅広く、講演家として全国各地で「違いを楽しみ、力に変える」(多様性と包摂)をテーマとする ダイバーシティ スピーカー (多様性の語り部)として活躍。ボランティアで献血推進活動に積極的である。

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