Yahoo!ニュース

ミャンマー国軍、民主派壊滅作戦を準備 標的は若者たち 兵士の妻にも「武器を取れ」命令

舟越美夏ジャーナリスト、アジア政経社会フォーラム(APES)共同代表
射殺されたキンキンキウェ看護師(Khit Thit MediaのFBより)

 アフガニスタンの動向に世界の目が向いている間に、ミャンマー軍事政権は市民虐殺をエスカレートさせている。2月のクーデター以来、殺害された市民は1100人を超えた。中でもターゲットになっているのは、民主派「挙国一致政府」(N U G)が創設した「国民防衛隊」(P D F)の中核をなす世代でもある10ー20代だ。NUGが9月、市民に蜂起を呼び掛けた後、国軍は毎日のように非武装の若者たちをも逮捕・処刑している。10月に入り、国民防衛隊などによるゲリラ戦が活発な地域に、国軍は武力弾圧で悪名高い内務副大臣らを送り込み、大規模な民主派攻撃作戦の準備を始めた。国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)は、「大量の重火器が配備され、数千人の兵士が増派されている」と指摘し、さらに多数の犠牲者が予想される事態に深い懸念を表明し、国際社会に注意を喚起した。

■並べられた若者たちの遺体

 道端に積まれた木材の上に並べられた遺体は、どれも素足だ。シャツや半ズボンは泥で汚れ、手を虚空に突き上げた遺体もある。独立系ネットメディアKhit Thit Mediaが9月27日に掲載した、北西部ザガイン管区ミンキンで、国軍に殺害された地元の国民防衛隊の若者たちの写真だ。戦闘を避け避難していた住民が村に戻った時に遺体を発見し、撮影して埋葬した。防衛隊に参加した若者15人が殺害され、5人の国軍兵士が死亡したという。

 民主派の挙国一致政府が9月7日、国民防衛隊や少数民族武装勢力に呼びかけた「蜂起宣言」を軍事政権は「掛け声だけだ」などと、表向きはあざわらってみせた。実際、国軍の強大な武器に比べ、国民防衛隊の武器は、比べものにならないほど貧弱だ。銃は、中国やインドからの密輸品、少数民族武装勢力が供与したもの、伝統的な狩猟用、国軍から奪ったものーなどだという。地雷など爆発物の大半は、少数民族武装勢力らから作り方を教えられた手製のようだ。

 それでも、北西部ザガイン、中部マグウェの各管区や西部チン州、北部カヤー州では、国民防衛隊や少数民族武装勢力が待ち伏せ攻撃などゲリラ戦術で国軍に打撃を与えている。「蜂起宣言」の2日後には、ヤンゴン近郊のバゴー管区で、少数民族のカレン民族解放軍が国軍基地の一つを占領。約2週間後には、ザガイン管区ピンレーブーで、少数民族武装勢力のカチン独立軍と国民防衛隊が共闘し、40人以上の国軍兵士を殺害した。挙国一致政府によると、6月から9月にかけて、こうした地域での戦闘で、国軍に1500人以上の死傷者が出たという。

ミャンマー(国際協力銀行「地域別の概要」より)
ミャンマー(国際協力銀行「地域別の概要」より)

 国軍はこれに対し、北西部などでインターネットや携帯電話を遮断した上で、空爆や砲撃、放火などで苛烈に報復した。

 Khit Thit Mediaは、9月27日からの4日間にわたったザガイン管区での国軍の攻撃を、地元住民らからの情報などを基に報じている。それによると、国軍は侵攻した村々で住民に対し拷問や殺害、レイプを繰り返し、破壊した住居から化粧品に至るまで物資を強奪した。分かっているだけでも殺害された住民は29人。その中には大学生ら20代の男女、アウンサンスーチー氏が率いる国民民主連盟(N L D)支持者、市民不服従運動に参加した警察官もいた。ジャングルなどに避難した住民は数千人に上るという。

 チン州タンタランでは、バプティスト教会の牧師が殺害された。チン州バプティスト会議の声明によると、9月18日、国軍の砲撃で引き起こされた火事を消そうとしていた牧師が射殺された。身につけていた時計や携帯電話がなくなり、結婚指輪は薬指ごと切断され持ち去られていた。この事件で、住民約1万5千人のほとんどがジャングルに避難し、周辺の村々の住民は、インド側に逃げ込んだという。

■撃たれ、蹴られる若者たち

 最大都市ヤンゴンや近郊のバゴー市でも、若者たちは監視下にある。国軍は、市内に潜んでいる国民防衛隊員を摘発しようと、市民の間に紛れ込ませた「スパイ」に人々の動きを監視させて情報を収集し、「防衛隊と関係がある」とみなした若者たちを逮捕したり処刑したりしている。アパートなどで「複数の若者が集まっている」などの情報があれば、兵士や警察官が急襲するのだ。80人以上の若者らが4月、国軍に虐殺されたバゴーでは、「事件から半年」に当たる10月9日の前後数日間にわたり、厳しい検問があちこちで敷かれ、若者は服を脱がされて調べられた。

 9月末、4人の若者がヤンゴン中部の通りで射殺される様子を隠し撮りした動画が、S N Sで広がった。9月25日午前1時半。アパートから引き摺り出された4人が街灯の中で、頭を壁に打ち付けられたり、膝まずかされたりしている。連続した銃声が響き、道路に倒れた人を何度も蹴り上げる男たち。その後、地面に横たわった人たちは車に積み込まれた。動画は、近くの建物の上階から隠し撮りされていた。

 軍事政権側は「交戦の末、アパートの中で男性3人、女性1人の遺体を発見した」と発表した。動画はその直後に、現場付近にいた人の証言を交えた記事と共にKhit Thit Mediaのサイトにアップされた。政治犯支援協会(AAPP)などによると、殺害された4人は若者でうち2人は、市民不服従運動に参加していた医師ジンリンさんと、看護師キンキンキウェさん。現場では交戦は起きていなかった。いずれも20代の2人は、新型コロナ感染者を積極的に治療する活動でも知られていたという。国軍は動画の撮影者を拘束しようと現場付近を捜索し、事件から3日後にジンリン医師の妻を逮捕した。

殺害されたジンリン医師(左)とキンキンキウェ看護師(Khit Thit Media のFacebookより)
殺害されたジンリン医師(左)とキンキンキウェ看護師(Khit Thit Media のFacebookより)

 ヤンゴンに住む40代の自営業の男性は「友人と会うたびに、ヤンゴンでも国民防衛隊が攻撃を始めてくれないかと話している。市民に犠牲が出ることは分かっているが、軍事政権にはもう我慢できない」と訴える。

■一段と増す緊張感

 挙国一致政府は10月10日、蜂起宣言から1ヶ月の間に、国軍は126人の市民を殺害し、6人をレイプ、390人を逮捕したと発表した。国軍は北西部などで、国民防衛隊や少数民族に対する大規模な「掃討作戦」を準備しており、犠牲者は大幅に増えるのは間違いない。

 ザガイン管区モンユワに本部を置く北西部軍管区には10月1日、クーデター後に内務副大臣に就任したタンフライン中尉ら2人が着任した。タンフライン中尉は、全国に広がった平和的デモを武力で弾圧したことで知られる。北西部軍管区が管轄するザガイン管区やチン州などでは10月上旬から中旬にかけ、砲弾など重火器や数千人の兵士を載せた軍用トラックの車列が目撃され、それを撮影した動画が次々とS N Sに投稿されている。一部の地域ではインターネットや携帯電話が遮断され、北西部軍管区に住む軍高官の30家族が軍用機で退避した。

チン州に向かう国軍( Chin Journal のFacebookより)
チン州に向かう国軍( Chin Journal のFacebookより)

■「兵士の妻も武器を取れ」

 一方、軍事政権は「兵士の妻も武器を取れ」という命令を出している。

 独立系メディア、ミジマが所有するラジオ局は9月、この命令について、国軍を離脱した将校や妻たちに意見を聞く番組を放送した。少数民族武装勢力の支配下にあるジャングルには、離脱し民主派と行動を共にしている兵士や警察官が二千人以上いるとみられる。妻ら家族を連れている者も少なくない。

 「ミャンマー国軍では兵士は、どんな命令にも服従しなければならず、人権はないに等しい。それが市民への人権侵害にもつながっている」と大尉の妻スーティッさん。軍曹の妻、キントゥエさんは「妻も命令に従わなければ軍法会議にかけられ、居住している軍の宿舎から追放されてしまう」と語る。妻は上官の家の雑事なども命じられる。「上官の妻」の命令に従わなければ、宿舎から追放されることもあるという。

 「市民は兵士の家族にも憎悪を抱いている」「国民防衛隊は軍宿舎を襲撃する」。国軍は妻たちの恐怖心を煽り、「武装もやむを得ないのでは」という方向へ誘導しているという。ある将校は「兵士の家族を動員して民主派と対峙させる可能性もある」と予測した。「妻も武装しろと命じる軍は、沈みつつある船のようだ。兵士の家族の人権も守って欲しい」。妻たちは口々に訴えた。

(了)

ジャーナリスト、アジア政経社会フォーラム(APES)共同代表

元共同通信社記者。2000年代にプノンペン、ハノイ、マニラの各支局長を歴任し、その期間に西はアフガニスタン、東は米領グアムまでの各地で戦争、災害、枯葉剤問題、性的マイノリティーなどを取材。東京本社帰任後、ロシア、アフリカ、欧米に取材範囲を広げ、チェルノブイリ、エボラ出血熱、女性問題なども取材。著書「人はなぜ人を殺したのか ポル・ポト派語る」(毎日新聞社)、「愛を知ったのは処刑に駆り立てられる日々の後だった」(河出書房新社)、トルコ南東部クルド人虐殺「その虐殺は皆で見なかったことにした」(同)。朝日新聞withPlanetに参加中https://www.asahi.com/withplanet/

舟越美夏の最近の記事