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ニッポン俳優名鑑Vol.5 のん(能年玲奈)『この世界の片隅に』で見せた演じることの楽しさと喜び。

成馬零一ライター、ドラマ評論家

成馬零一のニッポン俳優名鑑Vol.5 のん(能年玲奈) 出演作『この世界の片隅に』

テレビドラマに善く出ている俳優の人気の秘密はどこにあるのか? ドラマ評論家の成馬零一がゆるやかに分析する。

この世界の片隅に

片渕須直監督のアニメ映画『この世界の片隅に』が好調だ。

63館という少ない上映館数からスタートしながら、映画館は連日満員となり二週連続で観客動員数第10位を獲得。片淵監督のTwitterによると三週目で館数は全国82館に増加したという。リピーターも多く、地方での上映も増えていくので、更に観客動員数が増えるのではないかと期待されている。

『君の名は。』や『聲の形』など今年はアニメ映画の当たり年だったが、最後の本命が登場したと話題沸騰で、傑作続きだった今年の邦画の中でもベスト1だと語る識者も多い。

本作は『夕凪の街 桜の国』(双葉社)などで知られる漫画家・こうの史代の原作漫画をアニメ化したものだ。昭和初期を舞台に、広島から軍港の街・呉にある北條家に嫁入りしたすずの視点を通して戦時下の日常を描いた作品である。

アニメーションでありながらドキュメンタリー的な要素がある作品で、すずという一人の女性の身の上に起きたことを当時の風景や生活習慣を忠実に再現することで描き出している。そのため物語が押しつけがましくなく、見る側に解釈を預けているところも多い。だからこそ絶賛している人たちの間でも感想が様々なのだろう。その意味で、多様な見方ができる開かれた作品だと感じた。

再スタートを切った女優・のん(能年玲奈)

主演のすずの声を演じたのが連続テレビ小説『あまちゃん』(NHK)でヒロインの天野アキを演じた、のん(能年玲奈)。

予告編で彼女の声を聴いた時の衝撃は今でも忘れられない。コトリンゴが歌うザ・フォーク・クルセイダ―ズのカバー曲「悲しくてやりきれない」にのせて聞こえるのんの声は、明るさの中に切なさが滲み出ているもので、ついに彼女が帰ってきたんだと思った。

最後に「ありがとう。この世界の片隅にうちを見つけてくれて」という台詞を聴いた時は、仕事が途絶えていた彼女の境遇とすずの人生がシンクロしたように見えて、片渕監督に「(のんを)見つけてくれてありがとう」という気持ちになった。

先に原作漫画は読み、すずが辿る結末も知っていたため、戦争を題材にした泣ける作品になるのだろうと最初は思っていた。感動して泣くために映画を見るという行為が自分は苦手なので、楽しみである一方で、見るのが少ししんどいなぁと思った。

また、今ののんが、大切なものを奪われた怒りや失うことの哀しみを演じているのだとしたら、ちょっと辛いなぁとも思っていた。

しかしそういった心配は全くの杞憂だった。

背景にあるのは戦争に向かっていく日本の世相だが、描かれるのは日々を楽しく生きるすずの姿である。

印象としては、新聞に載ってるゆかいな4コマ漫画を見ているような感じで、どこか抜けているすずが一喜一憂する姿を追っているうちにどんどん楽しくなっていく。 

クライマックスで流れると思いこんでいた「悲しくてやりきれない」は冒頭静かに流れ、そしてのんが最初の台詞を発した瞬間、この世界に一気に入り込めた。

最初は声が浮き上がっていて印象としては朗読に近いなぁと感じた。しかし、すぐにそれが気にならなくなり、むしろこれこそが正解だと思った。

他の声優の声が作中のキャラクターに当てているのに対し、ナレーションも担当し、始終出ずっぱりで喋っていることもあってか、のんの声は薄いフィルターのように作品全体を覆っている。コトリンゴの歌声とともに、作品にやわらかくて暖かい印象を与えていた。

世界を覆っているように聞こえるのは、本作がすずから見た世界として描かれているからだろう。劇中では時々、彼女の見ている風景が彼女の書いた絵と重なって見える場面があるのだが、本作は少女漫画のようにすずの主観を通した世界として描かれている。

だからこそ呑気で楽しいのだが、そんなすずの世界が戦争という現実によって容赦なく蹂躙されていくことに強烈な痛みがあった。

小学生のような幼さ、小動物のようなかわいさ

のんの声は、明るく軽やかで、まるで小学生が話しているかのように聞こえる。そのこともあってか、実年齢よりも幼く見える。

『あまちゃん』では16歳の高校生から年齢はスタートするのだが、当時の能年は19~20歳。親友役を演じた橋本愛は17歳だったのだが、能年の方がはるかに子どもっぽく見えた。

もう一つ印象に残るのは、いつも潤んでいるかのように見えるキラキラとした瞳。当時彼女に感じたかわいさは女性的な色気というよりは、犬や猫を見ている時に感じるような動物的なかわいさだった。

逆にいうと人間的な生々しい演技は本人の資質にあまり合っていないないのだが、だからこそ『あまちゃん』におけるアイドルを目指す少女という役柄を演じた時にうまくハマったのだろう。現実の人間を演じるよりは、少し浮ついているが理想の生き方を体現しているヒロインを演じた時の方が彼女の存在はしっくりくる。

のんのたたずまいは、スタジオジブリや京都アニメーションのアニメに出てくるヒロインのようで、漫画のキャラクターが現実に飛び出してきたかのような不思議な存在感がある。

その意味で実はリアリティが要求されるシリアスな作品では少し浮き上がってしまうのだが、逆に声優としてアニメのキャラクターに声を当てると実写のようなリアリティが生まれたのだろう。

空っぽの入れ物にキャラクターを宿す。

『あまちゃん』でブレイクする以前の能年玲奈は映画『告白』やドラマ『大切なことはすべて君が教えてくれた』(フジテレビ系)といった作品にその他大勢の学生役で出演していた。

この二作は好きで何回か見ているのだが、髪型がロングであるためか、今見ても毎回どこにいるのか見つけることができずにネットで検索してやっと理解できるくらいだ。

その意味でロングヘアー時代の能年とショートにしてからの能年は女優としてもほとんど別人だと言えるのかもしれない。

今回、『あまちゃん』以前でショートの能年が脇役で出演していた『鍵のかかった部屋』(フジテレビ系)を久しぶりに見たのだが、こちらはわりと今の彼女のイメージに近い。

能年は父親の紹介で佐藤浩一が演じる弁護士の秘書としてアルバイトする傍ら、小さな劇団で女優を目指している女性を演じていたのだが、今見ると違う物語の主人公がいるように見えて可笑しかった。

「あさイチ」(NHK)や「しゃべくり007」(日本テレビ系)等のバラエティ番組に出た時の能年は口数が少なく、ゆっくりと自分のペースで小声で喋る姿が、逆に印象的だった。 

その一方で例えばアキの台詞を言ってくださいと言われると、とたんに活き活きと喋り出す。

『あまちゃん』のアキも登場当初は無口で暗い女の子だったが、積極的に方言を使うようになり、地元の子以上になまった喋り方をはじめ、田舎の素朴な女の子というキャラを自分のモノとした瞬間に明るく元気になる。

そういった違う自分になることで生きる力を獲得する姿を、肯定的に描いていたのが『あまちゃん』の面白さだった。

今考えると能年自体が空っぽの入れ物みたいな存在で、与えられたキャラクターを自分の内側に取り込むことで強烈な個性を発揮するというタイプなのだろう。

当たり役と出会ったことの祝福と呪い

女優にとって当たり役を演じるということは、とても幸福なことだが、同時に一生を左右しかねない呪いとしても作用してしまう。

のんにとって『あまちゃん』のアキとはそういう役だった。

だからこそ「早くアキのイメージが消えればいいのだが」と心配しており、その時点では『あまちゃん』でアキを演じたことは呪いとして作用するだろうと思っていた。

しかし自体は思わぬ方向へと向かう。

その後、能年の出演作は妄想癖がある女子高生を演じた『世にも奇妙な物語2014年 春の特別編』の「空想少女」と、映画の『ホットロード』と『海月姫』のみで、2015年は出演作が一本もなく、2016年6月、所属事務所を辞めて、芸名がのんとなった。

女優としての仕事はなく、孤立無援に当初は思えたが、そんな彼女を応援したのは、『あまちゃん』の時に彼女を支持したファンや、マスコミ関係者、そして『あまちゃん』のロケ地となった岩手県久慈市の人々だった。

過去の自分(アキ)に背中を押されることで――と書くと、アキの母親の春子が若い頃の姿で生霊として登場した『あまちゃん』みたいだが――のんは女優として新たなスタートを切ることができたのだ。

現在ののんは、テレビの露出こそほとんどないが、『この世界の片隅に』のインタビューで、ウェブメディアや雑誌に多数登場し、朝日新聞に映画コラムを連載。LINE LIVEで配信する自身の番組「のんちゃんねる」も好評だ。

今や、のんの女優人生自体が、『あまちゃん』第二章みたいな状態になっている。

『この世界の片隅に』の成功が、今後ののんの女優業にどのような影響を与えるのかはまだわからない。しかし、『あまちゃん』に匹敵する代表作をわずか3年で持てたことは女優としては大きな財産だと言えよう。

多くのものを失い、マイナスからの再スタートかに見えたのんだが、本作のすずと同じ様に、失われたかに見えた多くのものは、彼女のすぐそばに、今も存在し続けている。

ライター、ドラマ評論家

1976年生まれ、ライター、ドラマ評論家。テレビドラマ評論を中心に、漫画、アニメ、映画、アイドルなどについて幅広く執筆。単著に「TVドラマは、ジャニーズものだけ見ろ!」(宝島社新書)、「キャラクタードラマの誕生 テレビドラマを更新する6人の脚本家」(河出書房新社)がある。サイゾーウーマン、リアルサウンド、LoGIRLなどのWEBサイトでドラマ評を連載中。

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