AKB48「恋愛禁止」ルールのタテマエと実態─女性アイドル文化の制度疲労を引き起こす古いジェンダー観
実際はペナルティのある「恋愛禁止」
昨日、AKB48の中心メンバー・岡田奈々がグループからの卒業を発表した。その原因は、先週のいわゆる“熱愛報道”にあると思われる。岡田本人も「幻滅させてしまいごめんなさい」と謝罪した。
AKB48には、かねてから「恋愛禁止」のルールがあると見なされていた。この“熱愛報道”直後には、AKB総監督の向井地美音が「恋愛禁止」ルールについて「改めて考え直す時代が来た」と発言して波紋を呼んでいたばかりだった。
だがその後、向井地がAKB48を運営するDH社に確認したところ、運営側は「恋愛禁止のルールはない」と表明。向井地も一気にトーンダウンした。そして岡田が卒業を発表した、という経緯だ。
つまり、AKB48に「恋愛禁止」のルールはないが、“熱愛報道”されたメンバーは辞めるという結果となった。状況的には、タテマエとして「恋愛禁止」ではないが、実際は「恋愛禁止」の掟を破ると立場が厳しくなる、ということになる。
この曖昧な状況はなにを意味しているのか──。
存在する「恋愛禁止」ルール
AKB48に「恋愛禁止」ルールがあると見なされてきたのは、過去に「恋愛禁止条例」という公演(2008~2010年)をおこなったことにも起因するが、なにより“熱愛報道”されたメンバーの多くが不利な立場に置かれたケースが過去にいくつもあったからだ。
たとえば2012年6月、メンバー・Sは過去の恋人との写真が報道されたことで、秋元康プロデューサーによってHKT48に移籍させられた。九州出身のSはこれをきっかけにむしろブレイクするが、“熱愛報道”によって本人の思惑と異なる活動となったのは間違いない(※)。
とくに記憶に残るのが、2013年1月のメンバー・Mのケースだ。このとき彼女が丸坊主となって謝罪し、国際的にも問題視されたことを覚えているひとも多いだろう。当時の運営会社・AKSは、明確に“熱愛報道”を理由に処分をしている。
これらはともに10年ほど前の出来事ではあるが、AKB48の運営側は明確に「恋愛禁止」の違反にペナルティを課していた。つまり、「恋愛禁止」ルールは存在する。
今回、岡田奈々は運営側からの慰留があったものの、自分で決断したと述べている。昨年にも、“熱愛報道”のあったメンバーが活動休止を経てグループを卒業したケースがあった。
ただ、それらがどこまで“自主的”な判断かはわからない。たとえば政治の世界では、今月だけで岸田内閣の閣僚3人が“辞任”をした。しかし、それが実質的に更迭であることは周知のとおりだ。
また、たとえ本当に本人の判断だったとしても、その結論にいたった原因は“熱愛報道”だ。つまり、そこで「恋愛禁止」のルールが力学として作動しているのは間違いない。
「タテマエ」と「暗黙の了解」
今回まず気になるのは運営側・DH社のスタンスだ。「恋愛禁止のルールはない」と向井地を通じて表明しているが、過去のケースや今回の岡田の結論を踏まえれば、それは曖昧なままルールを運用するためのタテマエでしかない。
現状を言い換えれば、「明文化されたルールではないが、暗黙の了解として違反すればペナルティはある」ということだ。逆に、もしそうでないのであれば、DH社が明確に「恋愛禁止のルールはない」「ペナルティは課さない」と宣言すればいいだけだ。が、それはしない。
DH社が、こうした曖昧なスタンスを取ることにも理由がある。おそらく契約書に「恋愛禁止」の文言を盛り込めないからだ。それは個人の私生活を縛ることなので、人権問題になりかねない。よって、DH社は決してそれを公言せずに運用する。芸能界のローカルルールが一般的なコンプライアンスと齟齬をきたすとき、この曖昧な姿勢が抜け道なのである。
また、経営的にもベターなのだろう。
AKB48ファンのコア層は、疑似恋愛的な(あるいはキャバクラ的な)要素を軸とする中高年男性だ。売上を考えると、DH社はその層を決して手放せない。シングルCD売上はコロナ前と比べて3分の1になったが、それでも40万枚程度も売れる。ここで「恋愛」を解禁すれば、コア層の中高年男性を見放すことになる。それは、経営的にリスキーだ。
よって、表向きには「『恋愛禁止』ルールはない」と言いながらも、実質的に運用することが、DH社にとって最善の策なのだろう。もちろん見方を変えれば、狡猾というほかない。
アイドル文化のアキレス腱
そもそもアイドルとは、ファンに疑似恋愛的な熱情をもたらす文化装置である。噛み砕いて言えば、恋人かもしれないと想像させるファンタジーだ。70年代から一般化したこの文化において、アイドルは概ねこのルールを保持し続け、ファンの間でも暗黙の了解として共有され続けてきた。
よって、その了解が裏切られれば傷つくファンもいる。今回も岡田の14年来のファンと思しき男性が、大量のグッズを粉々にした写真をTwitterに投稿して話題となった(『週刊女性PRIME』2022年11月21日)。
こうしたことを生じさせるのは、従来の女性アイドル文化が100年以上前に成立した極めて保守的な思想に端を発するからだ。19世紀末、当時の明治政府は「良妻賢母」を掲げ、少女に純潔規範を課し、その延長線上に処女信仰が生じる。将来「良妻賢母」になるためには、複数の男性と交際をしたり、他の男性との子の出産を禁じたりするための規範意識を植え付けることが必要だったからだ。
この近代家父長制下の社会規範として一般化したのが「少女」概念だ。「少女」とは、(妊娠可能な)性的な身体を有しているにもかかわらず、その使用が禁止されている存在だ(大塚英志『少女民俗学』1989年)。子供と大人の中間のモラトリアムな存在なのである。
アイドルとは、この「少女」概念の延長線上に生じた文化だ。「恋愛禁止」ルールも純潔規範のひとつだと言える。そこでは、その「少女」性が商品価値となっている。
AKB48にかぎらず日本の多くのアイドルにとって最大のアキレス腱は、進展の見られないこの古いジェンダー観にある。1990年代には〈コ〉ギャル文化などによってほとんど化石化していたこのコンセプトは、AKB48を中心に2000年代後半頃から復活した。日本社会全体の保守化と同期していたのも偶然ではないだろう。
変革を訴えた向井地
AKB48の場合、選抜総選挙が盛り上がっていた全盛期は、メンバー間やグループ間の競争が人気の多くを占めていた。そこにゲーム的な面白さがあったからこそ、一般にも人気が拡大した。
だが総選挙が衰退した現在、メンバー個々のパーソナリティ(人格)やコミュニケーションの側面が相対的に大きくなった。もともと握手会を売りにしていたAKB48は、キャバクラのシステムを芸能化したものだ。そもそも疑似恋愛の要素を強くはらんでいた。「恋愛禁止」ルールが運用され続けてきたのも、そこに置かれる比重が小さくないからだ。
おそらく総監督の向井地が抱いているのは、こうした状況への違和感だ。そして、古いジェンダー観に基づくAKB48の変革を主張した。が、運営側は「そもそも恋愛禁止のルールはない」と実態と異なる態度を示し、向井地はトーンダウン。DH社は、向井地の主張を否定せずに拒否したと捉えられる。見方を変えれば、向井地は上手く丸め込まれたようにも思える。
そして、この曖昧さこそが今回の事態を不鮮明なものにし、このわかりにくさが状況の変革を妨げる。こうしたプロセスも含め、非常に日本的に思える文化でもある。
恋愛オープンのK-POP
ここ1年ほどのAKB48は、K-POPで活躍した本田仁美(元IZ*ONE)を中心に変化の兆しが見えていた。ダンスをちゃんと練習し、楽曲も工夫するなど、要は「音楽をちゃんとやるアイドルグループ」への志向が見られ始めた。たとえば9月発表の「Sugar night」(→MV)は、クオリティ的にそのアプローチがもっとも上手くいったケースだ。
AKB48がこうした正攻法を見せてきたのは、2018年頃から人気凋落が止まらないからだ。その要因は、ビルボードチャートの浸透で“AKB商法”(人気錬金術)が機能不全となり、指原莉乃など主要メンバーの卒業・離脱、そしてNGT48の不祥事が生じ、新型コロナによって“AKB商法”が破綻──以上の4つにまとめられる(「紅白落選も必然だった…AKB48が急速に『オワコン化』してしまった4つの理由」2020年12月27日/『文春オンライン』)。
向井地が主張した「恋愛禁止」ルールの見直しも、正攻法を見せる現在のAKB48の方向性と合致している。音楽のパフォーマンスが充実していれば、メンバーに恋人がいても関係ないからだ。
事実、音楽やパフォーマンスで人気を拡大しているK-POPでは、恋愛をオープンにする女性アイドルも目立ってきている。たとえばRed VelvetやTWICEのメンバーがそうだ。それで人気が落ちることもない。なぜなら、ファンの多くは音楽やパフォーマンスを好んでいるからだ(同性のファンが多いのもそのためだ)。
翻って日本の女性アイドル文化は、大人になりきらない「少女」だからこそパフォーマンスの質がおろそかにされることを良しとしてきた。それは1970年代に始まったオーディション番組『スター誕生!』の際、審査員を務めた作詞家の阿久悠がすでに明示していたことでもある。「つまらない上手より、面白い下手を選びましょう」と(阿久悠『夢を食った男たち』(1993→2007年)。
日本にオリジンを持ちながらも変貌を日々遂げているK-POPアイドルに対し、まるで伝統文化のように保守的な思想に拘泥する日本──それは男女の格差を計るジェンダーギャップ指数が99位の韓国と116位の日本との差でもあるのだろう。
向井地の主張はそうしたギャップを感じ取ったうえで発せられてもいるのかもしれない。そんな日本のアイドル文化は、演歌が歩んだ衰退の道をたどっているようにも見える。
サクラの違和感
こうしたなか、思い出すのは48グループを離れて韓国に渡ったLE SSERAFIMのサクラ(宮脇咲良)だ。
元HKT48のサクラは、期間限定グループ・IZ*ONEでの2年半の活動を経て、今年LE SSERAFIMのメンバーとして3度目のデビューをした。BTSの所属するHYBEが力を入れて送り出したこともあり、順調にグローバルヒットを飛ばしたこのグループは、大晦日の『NHK 紅白歌合戦』に出場することも決まった。
LE SSERAFIMが押し出しているのは、K-POPでは2015年頃から主流となっているガールクラッシュのスタイルだ。強さや主張する女性像を前面に出し、同性から憧れられる存在となるコンセプトだ。
たとえばデビュー曲「FEARLESS」は、タイトル通り「恐れ知らず」な女性を描いた歌詞だ。それは、サクラなどメンバーの意向を取り入れられたという。サクラはこの曲について以下のように話している。
「欲を隠せ」とは、「主体性を持つことなく、従順であれ」ということを意味している。つまりサクラは、HKT48の活動期間も含む10年以上もその抑圧に違和感を感じていたということになる。「従順であれ」とは、アイドル文化の基盤である「少女」概念にも通じる規範意識だ。要は、「男性社会で従順な『少女』であれ」ということだからだ。
多くの若い女性がJ-POPアイドルよりK-POPを支持するのは、要は中高年を中心とする男性社会やそこに基盤を置く日本のアイドル文化に対する違和感を抱いているからだと考えられる。その日本の保守的な思想を根本から見直すかどうかが、AKB48にかぎらず日本のアイドル文化の今後を大きく左右するはずだ。
今回の岡田奈々の一件と、それにともなう向井地美音の主張は、日本のアイドル文化が制度疲労を起こしつつあるときに生じたひとつの現象なのである。
※筆者は、芸能人のプライバシーについての報道を肯定しないので、ここではイニシャルにとどめる。
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