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織田信長が明智光秀の妻にセクハラをしたことが、本能寺の変の原因になったのか

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
明智光秀。(提供:アフロ)

 連日のように報道されているのが、セクハラ、性犯罪の報道である。そういうことは、あってはならないことである。ところで、本能寺の変の原因は、さまざまな説が唱えられているが、織田信長が明智光秀の妻にセクハラをしたという説もある。この点について考えてみよう。

 そもそも光秀が信長を討とうとした理由は、怨恨説が主流だった。光秀が信長から殴られたとか、辱めを受けた話は、多くの二次史料に書かれている。

 ほかにも光秀が天下を望んだとか、信長の政権構想から外れ将来を悲観したとかの説もある。また、足利義昭や朝廷が黒幕だったとか、いちばん得をした羽柴(豊臣)秀吉が疑わしいなど、いまだ原因については特定されていない。

 まったく取るに足りない話であるが、『落穂雑談一言集』という俗書には、光秀が信長に恨みを抱くに至ったエピソードを載せている。それこそが、信長が光秀の妻にセクハラをしていたというものだ。

 ある日のこと、信長は家臣らとともに女色談義をしていた。女色談義というのは、誰の妻(あるいは娘)がいちばん美しいのかという他愛のない話だろう。すると、家臣の一人が光秀の妻こそが、天下一の美人に違いないと発言した。

 その話に興味を持った信長は、毎月1日と15日に家臣の妻が出仕するよう決めたという。もちろん信長の目当ては、美しいと噂される光秀の妻だった。信長の妻が出仕する当日になると、信長は物陰で待ち構えていたという。そして、廊下に光秀の妻がさしかかると、信長は背後から抱きついたのである。

 抱きつかれた光秀の妻は驚き、とっさに手に持っていた扇子で信長を激しく打ち据えた。殺さるかもしれないのだから、光秀の妻のとった行動は正当防衛といえよう。結局、信長は本懐を遂げることなく、その場を去った。しかし、光秀の妻は、襲った犯人が信長とは気づかなかったようである。

 事件の話を妻から聞いた光秀は、妻を襲った犯人が信長であると確信した。以後、光秀は信長の態度に注意していたが、やがて信長は家臣らの面前で光秀に恥辱を加えるようになった。恥をかかされた光秀は信長に対する怒りが収まらず、ついに殺意を抱くようになったというのである。

 この話はコメントしづらいが、まったく無視して差し支えない荒唐無稽なレベルのものである。単なる興味本位の逸話に過ぎず、検討にすら値しないといえよう。

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『蔦屋重三郎と江戸メディア史』星海社新書『播磨・但馬・丹波・摂津・淡路の戦国史』法律文化社、『戦国大名の家中抗争』星海社新書、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房など多数。

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