日本は「アンビルトの女王」には小さすぎた ザハ・ハディドさん逝く
2020年東京五輪・パラリンピックの主会場となる新国立競技場の旧計画をデザインしたイラク出身の英建築家ザハ・ハディドさんが31日、米フロリダ州マイアミの病院で心臓発作のため亡くなられました。65歳でした。突然の悲報にザハさんが活動の拠点を置いてきた国際都市ロンドンでも驚きと悲しみが広がっています。
ザハ・ハディド建築事務所によると、ザハさんは気管支炎のため入院して治療を受けていたそうです。ザハさんが常に心がけていたのは「抽象」と「流線」の2つだと言います。斬新なデザインで世界的な評価を集める一方で、実際に建てるのに費用が途方もなく膨らみ、「アンビルト(建たず)の女王」という不名誉な形容詞も定着していました。
日本の新国立競技場も総工費が当初の1300億円から2651億円に膨れ上がり、白紙撤回されました。建築で流線を表現するのにはカネがかかります。2012年ロンドン五輪・パラリンピックの水泳会場も屋根を建設するのに自転車競技場の10倍の鉄骨が必要となり、市民団体から「持続可能ではない」と批判されました。
ザハさんがデザインした北京の銀河SOHOは未来感あふれる建築です。しかし、周囲の下町が漂わす雰囲気とはかけ離れています。カタールのサッカー・ワールドカップ用スタジアムの建設も手掛けていますが、カタール全体では1200人もの労働者が亡くなるなど、直接、ザハさんの仕事とは関係ないとは言え、大きな社会問題になっています。
ザハさんの斬新なデザインはまさに21世紀を先取りしています。がしかし、それを実現できるのはカネが有り余る中国や産油国だけで、「小市民」の日本にはスケールが大きすぎたようです。遠藤利明五輪担当相は「キールアーチ(弓状構造物)を含めて斬新なデザインは大会招致に大きな貢献をし、招致決定後の日本の期待感を盛り上げた」と述べています。でも仕事を頼んだのがそもそもの誤りでした。
イスラム教徒のザハさんは「永遠のアウトサイダー」だったのだと思います。イスラム教徒が95%を占めるイラクで修道女学校に通い、男社会の建築業界で生き抜き、「直線」ではなく「流線」を、「現在」ではなく「未来」を表現しました。ザハさんは最後の最後まで「アウトサイダー」であり続けました。
ザハさんは2009年に高松宮殿下記念世界文化賞(日本美術協会主催)を受賞した際、産経新聞のインタビューにこう答えています。
「1970年代後半から80年代前半にかけての私の作品は斬新なものだったといえるのではないでしょうか。当時は世の中にある種の諦めムードが漂っていました。(略)しかし、この時期、日本の魅力が存分に発揮されていました」
「私は東京と日本が大好き。ですから(もし東京が五輪・パラリンピックの開催地になったら)東京のために何かできたらうれしいですね。ドイツと日本が私たちの最初のクライアントでした」
70年代後半から80年代前半にかけ、日本はザハさんにとって「未来」でした。しかし現在、ザハさんにとって日本は「過去」になってしまったのです。ザハさんの功績と語録を振り返っておきましょう。
1950年、イラクの首都バグダッドで生まれる
レバノンにあるベイルート・アメリカン大学で数学を専攻
1972年、ロンドン建築協会の会員
1979年、独立
1993年、大型プロジェクト、ドイツのビトラ消防署を手掛ける
2004年、女性として初めてプリツカー建築賞を受賞
英建築界最大の栄誉、英王立建築家協会(RIBA)スターリング賞を2度受賞
2012年、北京の銀河SOHO、ロンドン五輪・パラリンピックの水泳会場
2013年、アゼルバイジャンのヘイダル・アリエフセンター建築
2016年、女性として初めてRIBAの金メダルを受賞
「あなたは心底、あなた自身の力を信じるだけでなく、世界が現実にあなたの犠牲に値することを信じる必要があります」
「建築は雨露をしのぐ場を与えるだけでなく、あなたを興奮させ、穏やかにし、思考を与えられる場であるべきなのです」
「あなたの周りには360度広がっているので、どうしてその1つにとらわれる必要があるのでしょう」
「女性はいつもこう言われています。『お前にやれるワケがない。難しすぎる。このコンペティションに入ってくるな。お前は永遠に勝てない』。女性は自分自身の中に自信を持たなければなりません。女性の周りにいる人々がそれを支援する必要があります」
批判しつつもザハさんの卓越した才能を評価した英国と、国民の怒りを受け拒絶した日本。同じ島国でも対応は大きく分かれました。
(おわり)