【オートバイのあれこれ】“緑のカワサキ”が存在するのは、“赤いカワサキ”のおかげ!?
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今日は「“緑のカワサキ”が存在するのは、“赤いカワサキ”のおかげ!?」をテーマにお送りします。
カワサキのイメージカラーと言えば、ライムグリーン。
今、これに異論を唱えるバイクファンはほとんどいないでしょう。
しかし、カワサキが草創期からバイクにライムグリーンを使っていたかというと、そうではありません。
カワサキは1969年(昭和44年)、参戦するデイトナ200マイルレースにて、エントリー車両の『A7RS』と『A1RAS』へ初めてライムグリーンの車体色を採用したわけですが、それより前のカワサキは、赤色をメーカーカラーとしていました。
今回は、そんな「カワサキが赤かった頃」に活躍した、カワサキのレーシングマシンを一つご紹介しましょう。
『125 B8M』!
B8Mは、1963年(昭和38年)に登場したモトクロッサー(オフロードレーサー)です。
125ccの実用向け市販車『B8』をベースに、オフロード走行に適した改造を施して作られたマシンになります。
燃料タンクが赤色に塗装されていたことから、B8Mはニックネームのような感じで「赤タンク」と呼ばれていました。
1963年、カワサキの本拠地でもある兵庫県明石市から北へ40kmほど行った場所にある青野ヶ原にて、MFJ(日本モーターサイクル協会)主催の第1回モトクロスレースが開かれたのですが、カワサキはこのレースにB8Mで参戦し大健闘。
なんと、125ccクラスの1位から6位までをB8M勢が独占したのです。
上位を「赤タンク」が占めたことにより、“カワサキ=赤色”のイメージはより強固なものとなりました。
実はこの頃、カワサキ(当時は川崎航空機工業)の二輪事業は業績が低迷しており、社内では二輪事業の廃止もささやかれていたのですが、このレースでの「赤タンク」の大活躍によってカワサキのオートバイの売上が一気に回復し、カワサキは二輪事業を撤退せずに済んだのでした。
B8Mがレースで奮わず、カワサキの二輪事業がそのまま消えていたかもしれない(=ライムグリーンのカワサキも無かったかもしれない)ことを考えると、B8Mはカワサキの歴史をなんとか繋ぎ止めた救世主のような存在だったと言えるでしょう。
画像引用元:カワサキモータースジャパン