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京都国際高が初優勝した甲子園では背番号を自由化しませんか?

横尾弘一野球ジャーナリスト
高校球児も、背番号で個性や自己表現してもいいのではないか。(写真:岡沢克郎/アフロ)

 第106回全国高校野球選手権大会は8月23日に決勝が行なわれ、タイブレークの延長にもつれ込む熱戦の末、京都国際高が2対1で関東一高に勝って初優勝を果たした。今年は地方大会で有力校が初戦敗退するなど波乱が相次ぎ、そんな流れは甲子園でも続く。春の覇者・高崎健康福祉大高崎高をはじめ、優勝候補と評されていた大阪桐蔭高、智辯学園和歌山高などが二回戦までに姿を消した。

 それでも、快進撃を見せた大社高と早稲田実高の延長11回タイブレークに及ぶ熱闘に代表されるように、球児たちの全力プレーは胸を打った。また、将来も炎天下の甲子園で大会を開催すべきかという議論も交わされているが、現時点では「聖地だからこそ」という意見が優勢のようだ。

 ただ、今大会では一部の日程で朝夕の2部開催がテストされたように、暑過ぎる夏対策は次々と講じられているし、様々な面で日本高校野球連盟は時代に即した高校野球のあり方を模索しながら形にしている。

 ならば、もうひと声。そう感じるのがユニフォームや背番号のことだ。もともと野球のユニフォームに背番号はついていなかったが、1929年にニューヨーク・ヤンキースが採用。打順で1、2……と決められたため、三番打者のベーブ・ルースは背番号3になった。また、日本では1931年の日米野球大会で初めて採用され、1952年から高校野球でも本格的に導入された。その時から、投手は1、捕手は2……右翼手は9が原則である。

背番号で高校球児の個性や意思を知りたい

 高校野球には、試合開始と終了を告げるサイレン、伝令など独自の文化が歴史を重ねているが、用具についても規定があった。かつては、スパイクは黒一色、バッティング手袋の禁止をはじめ、地域によってはユニフォームのデザイン(縦縞は禁止など)や用具の色にも規制があった。

 それは、用具の特別な着色には費用がかかったためで、それが解消されていくに従って用具の色や形には選択の幅が広がっている。そして、高校球児の象徴とも言えた丸刈りもいつしか少数派になりつつあるのだが、背番号を取り巻く環境だけは時間が止まったままのように感じる。

 以前なら、マウンドには背番号1が立っているのが当たり前。テレビを点けて背番号11が投げていたら、「あれ、エースはKOされたのかな」と思っていた。だが、現在では背番号18が先発しても不思議ではない。2ケタ背番号のスタメンも数多いる。投手なら1、捕手は2は原則として知られてはいるものの、もはやポジションを示す番号にはなっていない。

 また、現在でも甲子園の出場校には1~20の白地の正方形に黒い数字が記された同じ布が配られ、それをユニフォームの背中に縫いつけている。ユニフォームがグレー地でも、白い正方形に黒い数字を背負うのだ。また、ユニフォームに関しても、どんなデザインで何色を使おうが、コストはほとんど変わらない。ならば、各校が独自に選んだ書体の背番号を着けたユニフォームで、地方大会から戦えばいいのではないか。

 そして、何より番号は、1~99の整数の中から選手に選ばせてあげたい。もちろん、「エースなら1」という伝統を重んじても構わない。その一方で、「村上宗隆選手が目標だから55」や「アーロン・ジャッジが好きだから99」という意思表示も認めていいだろう。そうやって背番号を自由化すれば、「なぜ24を着けている?」から選手のバックストーリーを知る手がかりになるし、ある高校ではプロ入りした先輩が歴代背負った栄光のナンバーや、もしかしたら永久欠番が生まれるかもしれない。

 現在の高校野球は、デッドボールの判定にも「当たっていません」と告白する選手がいるし、野手に打球が当たれば攻撃側のベースコーチャーが冷却スプレーを持って走り寄る。高校生らしさや正々堂々のとらえ方が変化し、個性を発揮し、対戦相手をリスペクトしながら深紅の大優勝旗を目指すマインドでプレーしている。そんな選手たちの思いを観る者に伝えられるのが、「選手自身が選んだ背番号」ではないだろうか。

 余談だが、背番号発祥のメジャー・リーグでは、長く86、89、92が誰の背中にも着けられなかった。だが、新型コロナウイルスの世界的蔓延で開幕が大きく遅れた2020年、ベンチ登録のメンバーが拡大されて多くの若手が昇格すると、セントルイス・カージナルスのヘネシス・カブレラが92、そのチームメイトのへスス・クルーズが86を選択。そして、ニューヨーク・ヤンキースのミゲル・ヤフーレ(現・東京ヤクルト)が89を着用し、0~99のすべての番号が使用された。

 高校野球の未来で、そんな歴史を語ってもいいだろう。

野球ジャーナリスト

1965年、東京生まれ。立教大学卒業後、出版社勤務を経て、99年よりフリーランスに。社会人野球情報誌『グランドスラム』で日本代表や国際大会の取材を続けるほか、数多くの野球関連媒体での執筆活動および媒体の発行に携わる。“野球とともに生きる”がモットー。著書に、『落合戦記』『四番、ピッチャー、背番号1』『都市対抗野球に明日はあるか』『第1回選択希望選手』(すべてダイヤモンド社刊)など。

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