専門家が教える「うまくいく夫婦関係を今すぐ作る方法」構造を知るだけで今すぐできる
今回は「文章の読解方法」を援用して、夫婦関係や恋愛を読んでみたいと思います。
私は心理カウンセリングとは別に毎晩、高校生の読解の授業をしていますが(現代文、古文、漢文、小論文、英語)、高校生たちに対してなにか文句があるわけではありません。むしろ現代文を教えている先生方に言いたいことがあります。すなわち「主観を交えて読んではいけない」という脳の構造上不可能なことを高校生たちに強いてはいけない。
具体的には以下です。
構造とはなにか
文章というものはすべからく構造を持っています。
例えば、ある大学の小論文の入試問題は次のような主旨の論説文でした。「アメリカや日本などはしばしば『国際化』という言葉を使う。それらの国々は紛争地域に平和をもたらすことを目的としてその地域の国々に『国際化』を啓蒙しに行っている(ようにその著者には感じられる)。しかし、紛争地域にもなんらかの宗教があり、人々の生活がある。すなわち、国際化という広く一般化された概念でひと括りにできない個別具体的なものがある」。このあとに、紛争地域における民族の具体例が書かれています。
つまり、国際化というA:概念(=一般的なこと)と、B:人々の生活という一般化されえないもの、という対立構造を、この文章は持っています。
AとBの対立という構造をもとに読めば、おそらく誰でも、著者がどちらに重心を置いているのかが「見えてきます」。すなわち著者はBの一般化されえないものに軸足を置いている。
つまり著者は、なんでもかんでも国際化するのではなく、個別具体的なものも考慮に入れたらどうか、と主張しているということが「見えてきます」。要するに、理性偏重主義ではなく少しは感性も取り入れたらどうか、と――。
第三の考え
さて、では恋愛における対立構造とは何でしょうか?
例えば、A:彼氏は年収1000万円。他方、B:私は年収240万円。こういった対立。わかりやすいですよね?
では、その対立から「見えてくるもの」とは何でしょうか?
「お金と寝る」彼女の計算高さや生きるたくましさでしょうか?
たしかにそれもあると思います。しかしこの場合は、実際には、AとBの中間地点になにかあるケースが多いように思います。例えば、彼女は彼のお金が好きだがしかし、同時に精神的に頼れる父性のようなものを持っている彼も好き、とか。
AとBの中間になにかあるのではないかという考え方は、例えば、フランスの哲学者であるメルロー・ポンティが採っています。彼はモノとしての身体と「NOTモノ」である意識の中間に「身体性」を置きました。
身体性というのは、ざっくり言えば、身体自体がなぜか生まれながらにして持っている「意識とは独立に動こうとする意思」のようなものです。
例えば、「今日こそは好きな人に好きと言おう」と決意したにもかかわらず、その人の前に立つと何も言えないというのは、意志薄弱なのではなく、生まれもった運動性(好きと言うという行動のために身体がすぐ動く・動かないという意味における運動性)が「なぜかその程度」だということです。なぜなら意識は「好きと言おう」と思っているからであり、身体は意志と身体自身の運動性の両方によって動かされるものだからです。
「理想」を下げたほうがいい?
恋愛がうまくいかない時、「私の計算高さが原因なのかも。もっと『理想』を下げたほうがいいのかも」と考える人が多いと聞きます。つまり、知らず知らずのうちにAとBの対立構造に依拠してものを考える人が多いようです。で、答えが出ないまま時が流れます。
そういう時はAとBの間にあるものを考えてみるといいでしょう。すると、例えば先に例示したように「彼の父性的なものに惹かれているのかも」とか、そういう「第三の考え」が存在することに気づくでしょう。
対立するAとBの中間地点にあるものも大事。そう思える恋愛がちょうどいいのではないでしょうか。
あるいは夫婦生活。家事に協力しない夫に不満のある奥さんは、A:家事をしない夫、B:家事に追われて息つく暇もない私、という対立構造の中間に何を見いだしますか? 「家事に協力的ではない夫はホント最低だけど、子どもみたいなところがあるから、やっぱり私が守ってあげなくちゃ」とか、そういった第三の考えが生まれたらステキだと思いませんか? あくまでも一例ですけど。
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