【高校野球】オリックス、DeNAでプロ野球を経験した赤間謙さんが母校・東海大山形高校で初指導
プロ野球のオリックスとDeNAでプレーした赤間謙さんが今月9日、母校・東海大山形高校のグラウンドを訪れ、後輩たちを指導した。今年2月に学生野球資格回復制度の研修会を受講し、高校生や大学生を指導できるようになったことで、東海大山形の武田宅矢監督が声をかけた。現在は故郷の福島県楢葉町のスポーツ協会に勤めており、車で約2時間かけて山形県へ。現役時代のポジションである投手を中心に、初めて高校生に技術指導を行った。
■指導資格回復後、初指導の機会を恩師が用意
東海大山形のグラウンドから見える蔵王山にはまだ雪が残っているが、桜の開花が早まりそうな陽気が春を感じさせる。青空が広がる、野球日和。土曜日のこの日、東海大山形の部員たちは午前中に授業を受け、練習は午後から。それに合わせ、卒業生である赤間さんがグラウンドに到着した。
福島県楢葉町で育った赤間さんは、高校進学で東海大山形を選択した。エースとしてマウンドに立った3年夏は山形大会準決勝で敗退。「ほぼ僕のせいで負けたようなもの。みんなを甲子園に連れていけなかったことが悔しかった」と振り返る。卒業後は東海大に進み、社会人野球の鷺宮製作所へ。3年目だった2015年のドラフト会議でオリックスから9位指名され、高校から目指してきたプロへの扉が開いた。
1年目から24試合に登板。3年目のシーズン途中でDeNAに交換トレードで移籍し、2020年シーズン限りでユニホームを脱いだ。
引退後は故郷に戻り、楢葉町スポーツ協会に勤務している。今年2月、研修を受け、元プロ野球選手が高校生や大学生を指導するために必要な学生野球資格を回復。今回、東海大山形・武田監督が初指導の場として、後輩たちに教える機会を作った。
■守備練習では「焦らず、丁寧に確実に」
守備練習を前に、東海大山形の選手たちが一塁ベンチ前に集合した。武田監督はプロアマ規定による指導資格の回復について説明。そして、紹介された赤間さんが「僕の知っている範囲で教えることになりますが、分からないことがあったら聞いてください」と話し、練習がスタートした。
まずはボール回し。その様子を見ながら、赤間さんは「焦っているように見えるな」とつぶやいた。それぞれがポジションについたシートノックが終わり、投内連携に入る前、武田監督は「謙、何かあるか?」と尋ねた。選手たちは赤間さんのもとまでダッシュ。周りを囲む後輩たちに「1プレー、1プレー、焦らずに丁寧に確実にやろう。まずはちゃんと打球を捕ること。そして、投げる方向を決めて、しっかりステップをして送球し、アウトを取ること。焦らずにやろう」と伝えた。
投内連携が始まると、自らもグラブを持ってマウンド付近へ。3年生投手3人の1プレー、1プレーに対して助言し、うまくいくと、グラブを叩いて拍手した。白田大和は「自分たちはランナーがいる場面だと焦ってプレーしてしまい、空回りしてしまうことが課題。赤間さんはすぐにマウンドに上がるのではなく、周りと状況を確認し、どういうプレーをすべきか整理してからマウンドに上がることで落ち着いてプレーできるとおっしゃっていました。実践してみたらうまくできました」と喜んだ。
「自分のところに打球が来た時、どういうプレーが起こりうるのかということを考えておけば、いざ、打球が来ても落ち着いてプレーすることができますから」と補足した赤間さん。野球は守備側がボールを持つスポーツで、投手がボールを投げることではじまる。場面を確かめ、考えてからプレーできることも特徴だ。落ち着いて状況を見極め、事前の声がけによって選択すべきプレーも確認しておくことができる。スピードアップは求められるが、慌てることはない。
守備練習を終えると、ちょっとブレイクタイム。グラウンドを離れ、武田監督らと向かったのは、ソフトボール場だった。ソフトボール部の小林千絵監督は高校3年時の担任教諭。資格回復後の初指導はさながら“帰郷”でもあった。
ソフトボール部の練習を見ながら、約30分の対面。「また、顔を出しますね」と約束して、硬式野球部の練習に戻った。
■投球指導に選手は「分かりやすい」と感謝
ここからが“本番”だ。室内練習場にあるブルペンでは3人の3年生投手陣が今か今かと待っていた。最初に投球練習を見てもらったのは白田。昨秋は調整不足で背番号は「13」だったが、昨夏は「1」を背負った右腕だ。
マウンドの後ろや左右から、捕手の後ろから、バッターボックスに入りながらと見る位置を変えながら、特徴や改善点を把握していった赤間さん。「上半身が力むクセがあるね。力むのは最後のリリースの瞬間だけだよ。下半身からの連動で上半身に力を伝えることができれば、変に力まなくなるよ」などとアドバイス。ボールに変化が表れると、「その感覚で。いいよ、ナイスボールだよ」、「すごくいいじゃん」といった声をかけ、「気になるところはある?」と尋ねて意見を聞き、確認しながら進めていった。
そして、「ラスト! 絶対に(右打者の)インコース、決める」と白田。赤間さんは「9回、同点。2アウト満塁、(カウントは)3ボール2ストライク」と状況を設定した。それに対し、「一発で決める」と声に出して自分に言い聞かせた白田。だが、そのボールは低めに落ちた。「その1球で、試合が決まるよ」。赤間さんの言葉に熱が帯びる。
白田は「ラスト!」と気持ちを入れ直す。試合ではない“もう1球”。それはまたもや低めへ。明らかなボール球だ。「あぁ〜」という、その場にいる者たちの声が響く。投手がコントロールすべきはボールと“心”。「決めようとしすぎて置きにいって、腕が振れなかったんじゃない?」と赤間さん。何事も、あんばいが大切だ。
息を吐いた白田。この日のアドバイスを思い起こし、右腕を振るう。
「ナイスボール」。“3度目の正直”でボールはストライクゾーンのキャッチャーミットに収まった。
続いて本間裕也がマウンドに上がろうとした、その時。一旦、ストップをかけた。「こういうのも気にする」と言いながら右足を左右に動かした赤間さん。砂がかかって見えなくなっていたピッチャープレートが顔を出した。
場を整え、本間が投球練習をはじめる。体格を生かした球威ある直球が持ち味だ。「どっちの方が投げやすい?」と体の動きをチェックしたり、「体が硬そうだね。あとで股関節の可動域を出すストレッチをやろうか」と策を伝えたりしながら、練習は続き、最後の1球を投げ込んだ。「指にかかったボールはいいよね」と捕手の森桜花に確認した赤間さん。「かかったボール」が“安定供給”できるようになると面白そうだ。
ラストは昨秋、背番号1を付けた左腕の雨谷七斗。本人曰く、「体の開きやテークバック、手首が寝ちゃったりとか、いろいろ」と気になるところがあったようで、「自分のフォームのダメなところを指摘してくださって、とても分かりやすかったです」と感謝した。
投球練習後、アイシングをしながら「自分は力むクセがあったので、それを直す方法などを的確に教えていただきました。とても分かりやすかったです」と話してくれたのは白田。「また来てほしいですか?」と訊くと、「結構(な頻度で)、来てほしいです。ピッチャーとしてプロで投げていた方なので、もっと教えてもらいたいなと思います」と声を弾ませた。
■捕手の森「3人とも全然、違った」
3人の投球を受けた捕手の森は「赤間さんが何も言わずに見ている最初の方と、アドバイスしてからのボールでは、3人とも全然、違いました」と変化を感じとり、「赤間さんがおっしゃったことを続けたら、成長できるなと思いました」とうなずいた。
人はちょっとした一言で変わることがある。だが、その効果は一時的な“魔法”のようなもので、“魔法”のままでは解けてしまう。学んだことや得たこと、つかんだ感覚を自分の本当に力にするのは、その後の自分にかかっている。
赤間さんは森にも投手との会話を大切にするように伝えた。また、構えたところと違うコースや高さにボールが来た時、次に構えるミットの位置もアドバイス。森は「試合はバッテリーがカギを握っているので、自分たちのペースで進めていくためにもしっかりとコミュニケーションをとっていきたいと思います」と話した。
■「教えるって、難しい」
さまざまな角度からひとりひとりの特徴をつかみ、長所も見ながら必要なことを伝えていった赤間さん。「ピッチングフォームにつながるようなトレーニングをすることで、少しずつ形になっていくから」と、最後は投球動作に直接結びつくトレーニングも自ら見本を見せながら伝授した。高校生への初めての指導は4時間半に及んだ。気づけば日は沈み、グラウンドにはナイター照明が灯った。打撃練習をする後輩たちを見ながら、赤間さんは「いや〜、難しいですね、教えるって」と苦笑した。
「どう伝えたらいいのか、この子にはどういうことが合うのか。強制的にやらせるというのはしたくないことじゃないですか。今日、初めて来て、『これをしろ』というのは選手にとってよくないことだと思うので、どれが合うのか、自分も探しながら、という感じでした」
選手の性格や考え、持っている知識や情報、何に悩んでいるのか、どうしたいのかなど、把握しておかなければいけないことはたくさんある。伝えたことが伝わるとも限らない。指導するというのは、容易なことではない。だが、選手が上達した時の喜びを感じられるのは指導する側の醍醐味だろう。
この日は投内連携と室内練習場のブルペンで行われた投球練習で指導。武田監督自らも、「こういう練習はどう?」と尋ねる場面もあった。
「高校卒業後、プロも経験して、いろんな人に教えてもらったノウハウがあるのは羨ましいなと思います。私はピッチャーではなかったので、いろんな人に指導法を聞くんですけど、そのポジションでしか分からないところがありますから。選手は今日、謙から引き出しをもらったと思います」
高校卒業から13年。教え子が、教える側としてグラウンドに立つ姿を「たくましくなったなと思いました」と見守った武田監督。「試合になるとまた変わってくるので、ゲームで投げているところや考え方も伝えてもらいたいなと思いますね」と、今後も指導を依頼する予定だ。「いろんな人のつながりで、うちに限らず教えることは謙の指導力になっていくと思います」と、東海大山形以外のチームで指導することもOKだという。
1965年に創部され、これまで春夏通算9回の甲子園出場がある東海大山形。8強入りした2004年センバツ大会以来、甲子園からは遠ざかっている。夏は1995年が最後だ。「どれくらい力になれるか分かりませんが、僕の知っている範囲で教えて、力になりたいなと思います」と赤間さん。母校はもちろん、野球を選んだ子どもたちの成長を支えていく。
(写真はすべて筆者撮影)
【参考記事】
☆「町を出ないといけない」震災翌日の母からの電話 楢葉町で暮らす元オリ赤間謙さん、11年前の記憶(Full-Count、2022年3月11日)
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☆戦力外後に2球団から“オファー”も辞退 元オリ右腕が被災地にUターンしたワケ(Full-Count、2022年3月13日)
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