根っこにある“オンリーワン”の想い… 阪神・原口文仁選手の故郷を訪ねて《後編》
昨年末、阪神タイガースの原口文仁選手(24)が、地元で初めて野球教室に参加すると聞き、勇んで行ってまいりました。前日には、自身が野球と出会い、学び、将来の道を定めたスポーツ少年団『キングフィッシャーズ』のクリスマス会を訪問。そこで伺ったお話は、こちらの《前編》でご覧ください。<―シンデレラの魔法が解けない理由―>
そして今回の「原口選手の故郷を尋ねて《後編》」では、翌25日に行われた野球教室のこと、その様子を誇らしげに見守る幼なじみの話をご紹介します。
寄居の星☆原口文仁
クリスマスの12月25日、寄居運動公園で『寄居町商工会青年部50周年事業~ふれあい野球教室~』が行われました。役場の方によると、町外や県外からも問い合わせがかなりあったそうですよ。奥様が寄居町出身という縁で、楽天の銀次選手、女子プロ野球・埼玉アストライアの川端友紀選手と岩見香枝選手、そして地元出身の原口選手が講師を務めています。
参加したのはスポーツ少年団の野球チーム5つと女子ソフトボール1チームに所属する110人余りと、一般の小学生11人です。そこにキャッチボールやノックで補助をする中学生(寄居中と城南中の野球部、ソフトボール部、クラブチーム)約50人。また、それぞれのチームの指導者や保護者、役場と商工会の方々、そして見学の皆さんなどで大盛況!「寄居の星・原口文仁」というプラカードもありましたよ。
寄居町の花輪利一郎町長は「1軍で活躍して原口選手の後援会ができたんですよ。私も入会させていただいています。夏には神宮球場へバスで応援にも行きましたしね。来年はことし以上に頑張っていただき、町を挙げて応援したい!」と期待の込もったお言葉です。
なお昨年11月には寄居町特別功労賞を贈られた原口選手ですが、その際に同じ寄居町出身でリオ五輪の陸上1万メートル代表だった設楽悠太選手が、制定後7年目で初の町民栄誉賞を受賞(特別功労賞は既に受賞済み)しています。「したら ゆうた」という名前で、今の時期は思い出される方も多いでしょう。箱根駅伝を沸かせた設楽ツインズです。
兄の啓太(けいた)選手と悠太選手の活躍で東洋大学は2012年と2014年に総合優勝。2014年には揃って区間賞を獲得しました。実は、この2人のことを知ったのが原口選手の話からで、3年目のシーズンを迎える2012年の年明け、鳴尾浜へ戻ってきた時に「成人式で設楽兄弟に会った。箱根ランナーの」と嬉しそうに教えてくれたのがきっかけ。学校は違うけど同学年なんですよね。
ツインズは大学卒業後、啓太選手がコニカミノルタ、弟の悠太選手がHondaと別のチームに所属して、ことしも元日のニューイヤー駅伝で走りました。次は東京五輪に2人揃って出場することが期待されるランナーです。原口選手も同郷の“同級生”に負けず、今度は町民栄誉賞を?と記者陣に振られた花輪町長は「そうですね」とニコニコ。タイトルホルダーになれば実現するかもしれません。
「本当の文仁は…」の話がいっぱい!
小学校、中学校の同級生・正木裕人(まさき ひろと)さんは、原口選手いわく「親友」。25日は朝から94番のユニホームを着て、原口選手のアテンドを担当していましたよ。これまでと大きく変わった2016年のシーズンを振り返って「支配下に戻ること、1軍に上がることは前日の夜に連絡をくれました。その後は想像を超える活躍だったけど、でもあいつが打席に立つと打てる気がしたのも確かです」と正木さんは言います。でも普段は今までと何も変わりません。
「オフは毎年帰ってきて、うちの実家にも来ますよ。ただいま~!って(笑)」。この野球教室の前夜も同級生たちが集まって忘年会をし「いつものように、はしゃいでいた」そうです。普段は穏やかで大声など出さないイメージを持たれがちな原口選手ですが…。この意見は虎風荘で一緒だった元先輩方の答えと一致しますね。「お立ち台で叫んでいたのが本当の原口」と。正木さんも同じで「野球は真面目なんですよ。練習からガチで。でも他は、はっちゃけています!人一倍はしゃぐ」と言っていました。それはきっと心から楽しい時間だからでしょう。
正木さんと話をしたのが野球教室の真っ最中。こちらには来ないと思って、いろいろ聞いちゃっています。原口選手はモテていた?「中学校ではモテましたよ。モテまくり!小学校はめちゃデブで(笑)」。田中代表はコロッとしていたという表現だったけど…。「いや、デブです(笑)。でも中学3年の時、シニアでしごかれてスリムになってモテました」。へえ~。
勉強は?「勉強は…」。あ、はい。了解しました。「わからないくせに張り切って手を挙げるんですよ。それで先生が『お、原口。珍しいな。答えてみろ』って。そしたら『えーと、あれ?おかしいなあ。出てこない』と」。とにかく参加型、という感じでしょうか。
勝負強くて、我慢強いヤツ
「アイツは5年から1つ上のチームでレギュラーを張るようになったんですけど、何がすごいって『キャッチャーやります!』と、キャッチャーミットしか持っていかなかったこと」。きっかけは巨人の阿部慎之介選手に憧れて、でしょう?小学5年の冬、埼玉県熊谷市の八木橋デパートであった阿部選手のサイン会へも行ったとか。「そう、文仁の親父さんに連れられて一緒に行きましたよ!朝4時半に起きて5時に家を出て、早くからデパートで並んだのを覚えています。本当にキャッチャーをやって、アイツの目の前に阿部選手が立っている今…。すごいですよね」
野球で印象に残っていることを尋ねたら、すぐに2つのエピソードが出てきました。まず「大事な試合は、いつも文仁が決めていた気がします。県北部で一番強いチームとやった時、7回で決着がつかなくて1アウト満塁から始めるタイブレークに入ったんですよ。8回表の攻撃で、3番も結構打つヤツだけど三振して2アウト。ああ~と思ったら、4番の文仁が満塁ホームラン!実は、5番のオレも初球を打ってライト前ヒットだったのに、みんな満塁ホームランを喜んでいて誰も見てくれていない。それが一番つらかったですねえ」と苦笑いのオチがついていました。
次は真顔でこんな話を。「文仁は本当に我慢強い。1つ上のチームに行って県のベスト8になったんですけど、その試合が終わった途端に、アイツ吐いたんですよ。まだ5年生で、他はみんな上級生というチームなので相当しんどかったはず。心身ともに疲れきったんでしょうね。でも試合中はまったく素振りもなく、終了してから吐いた。全部終わったあとで。どこか痛いとか、オレらにも本当のとこは言わない。そういうヤツなんです」
何もかもわかっているから正木さんも、あえては聞かないんでしょうね。だけど原口選手が頼りにしているのは感じます。それが大きな支えなのかもしれません。
1軍に行ったからこその縁
野球教室のあと、寄居町運動公園の隣・里の駅アグリン館の敷地に記念植樹を行いました。植えたのは桜の木で、銀次選手が東北でも植えられている縁起のいい「大漁桜」という品種、原口選手が虎の文字が入った桜「市原虎の尾」です。『一年中 桜に出会える町 よりい 実行委員会』では、9年間で135品種4000本の桜を町内に植えるボランティア活動をされていて「みんなでこの桜を育てていきますので、寄居に来て見てください」とおっしゃっていました。
最後に、初めて地元で開催した野球教室を終えた原口選手のコメントをご紹介しておきましょう。銀次選手との接点は「交流戦で出塁した時」だったそうです。何で出たの?「ヒットです」。なるほど。「銀次さんが一塁を守っていて、オレの奥さんが隣町なんだ。よろしくって。そのあとオールスターの総会で、野球教室の話があるんだけど、と言われました」
いつか地元でやりたいと思っていた?「自分ではどうやるか流れもわからなかったけど、お世話になっているし、できて良かったですね」。このオフは地元も盛り上がっている?「今までと変わんないですよ」。サインをする数は相当増えたでしょう?「ああ、そうですね!たくさん書かせていただきました」。ちょうどクリスマスだし。「よかったんじゃないですかね。これも仕事の一つとして、ユニホームを着ている時、影響力のある時にいろいろ貢献できたらと思います」
地元の子どもたちを見て「年々うまくなっているのもわかるし、オフに帰ってきての楽しみでもあるので」と目を細め「銀次さんが子どもたちに教えてくれることが、僕たちにも生きるアドバイス。わかりやすくて、僕にも勉強になった」と振り返りました。
そうそう、ロングティーバッティングを披露した時のこと。快音を響かせるもフェンス手前までだった原口選手ですが、最後に放った打球はライト方向へぐんぐん伸びる大きな当たり!ライトの柵を越えそうな…いや、越えた?「おお~」と子どもたちが上げる歓声と、すぐ向こうにある駐車場の車を心配する大人の声。原口選手も驚きがまじった笑顔で見送って「セーフ?」と両手を広げました。あとで聞くと「いや~行くと思わなかった!」と言いながら、ちょっと嬉しそう?
考えたら、1軍に上がっていなければ銀次さんと話す機会がなく、この野球教室は実現しなかったかもしれません。そう言ったら「僕が1軍に上がっていなかったら、銀次さんの奥さんに(同じ寄居町出身だと)知ってもらえることもなかったわけですからね」と原口選手。すべての縁に感謝です。
好きだけでは無理な世界、でも好きだから
2016年の漢字を聞かれて「いろんな初があったから『初』」と答えました。2017年は『進』だそうです。「レベルアップもしたいし、成長していかないといけないので前向きに。日々進歩。頑張ります」
野球が好きで好きでたまらなくて、チームに入ってから1ヶ月の間、ずーっとグラブを抱いて寝ていたくらいだと原口選手のお母さんは教えてくださいました。今もその気持ちは同じ。「こうやってオフにゲームから遠ざかっただけでも、自分は野球が好きなんだなあと感じますね。ケガで出られなかった時も、すごく思いました。ただ、好きだけでやっているかというとそうではないし…でも好きだからこそ、やっていける」
言葉で表すのは難しい?「そうですね。野球しかないから」
“しかない” のが、大好きな野球であることは幸せ?「はいっ!」
元日と3日だけ休んだそうで、といっても「動いてしまいますけど」と、しっかりトレーニングや体のケアに励む、これまでと何ら変わらない年明け。自分にとってオンリーワンの野球で、ナンバーワンのキャッチャーを目指す2017年の戦いが静かに始まっています。