消える終身雇用「若者は一生に2つ3つのキャリアを」英テック教祖を直撃【フィンテック最前線】
イギリスの前首相デービッド・キャメロンがテクノロジー・スタートアップ構想「テク・シティーUK」を打ち上げたのは2010年11月。
12年にロンドン五輪を開催する絶好のチャンスをとらえ、アメリカ西海岸のシリコンバレーにならってイーストロンドンを「シリコン・ランドアバウト」にするという野心的な計画でした。
「ランドアバウト(環状交差点)」とはタクシーの前身とされる辻馬車がスムーズに行き来できるよう円形に設計された交差点で、慣れない日本人ドライバーはランドアバウトをぐるぐる回る羽目に陥ってしまいます。
若者街ショーディッチから五輪会場のストラトフォードにかけた「シリコン・ランドアバウト」に生息するテクノロジー・スタートアップは08年にはわずか15社でしたが、10年に100社、11年には500社を超える勢いで増えました。
「テク・シティーUK」の頭脳となったのが、オランダ生まれ、南アフリカ育ちのテクノロジー起業家エリック・ヴァン・デル・クライです。
自動的に顧客の信用とリスクを分析する金融機関向けサービスを提供するテクノロジー・スタートアップを成功させたエリックは06年、イギリス政府の経済振興機関UKTIの顧問に招かれました。
11年にはUKTI傘下の「テク・シティー投資機関」最高経営責任者(CEO)に引き上げられ、13年、新金融街カナリー・ワーフに開設されたインキュベーター「レベル39」の初代CEOを務めました。
エリックは今年5月、人工知能(AI)、インターネット・オブ・シングズ(IoT)、ブロックチェーン、ロボット技術の4大テクノロジーを支援する「デジタル革命センター(C4DR)」を立ち上げたばかり。
20年に東京五輪・パラリンピックを控える日本もイギリスのようにフィンテック(ファイナンシャル・テクノロジーの略)のスタートアップを育てることができるのか――。
イギリスの「テクノロジー・スタートアップの教祖」とも言える存在のエリックを直撃しました。
――新しく立ち上げた C4DRはどんなことをしていますか
「C4DRは2つのことをしています。私たちは企業やスタートアップが第4次産業革命におけるこうした技術を活用できるよう支援します。そして政府や社会が現代の産業革命がもたらす変化に対応し、恩恵を享受して繁栄できる方法を見つけるのを手助けするデジタル・シンクタンクも持っています」
「例えば、最近、スイスの電気通信事業者スイスコムとパートナーシップを結んだように企業とともに新しいソルーションを構築しています。人工知能やIoT、ブロックチェーン、ロボット技術分野で技術革新に重点を置く若い企業に投資するスタートアップ向けの『オポチュニティー・プログラムズ』を運営しています」
――巨大なグローバル企業と比較した場合、新しいテクノロジーにおけるスタートアップの長所と短所は何なのでしょう
「スタートアップは大企業に比べもっと機敏です。大企業が時に数年を要し、しばしば、社内手続きや、そのアイデアが大きなビジネスモデルの一部に過ぎないという構造上の制約から後退を余儀なくされるのに比べると、スタートアップは数週間のうちに計画を立て、テストを経て、スタートできます」
「人材や資金、技術を兼ね備えたスタートアップの機敏性と企業の市場規模を組み合わせることによって、私たちは既存プレーヤーやチャレンジャーがともに働き、ビジネスと社会を前向きな形で後押しする効率的で持続可能な解決策を創り出していくことを望んでいます」
――なぜ、テク・シティーUKやレベル39のプロジェクトにかかわったのでしょう。フィンテックのインキュベーターとしてのロンドンの強みとユニークさは何でしょう
「テク・シティーUKはスタートアップを支援する政策環境を向上させ、イギリスを世界中に売り出すのが目的でした。これはイギリス政府のテクノロジー分野での幅広い計画の一部でした」
「レベル39は当初、小さなフィンテックを世界で最もよく知られる企業に押し上げることに焦点を当てていました。これは不動産開発会社カナリー・ワーフ・グループが主導した野心的なプロジェクトです」
「カナリー・ワーフというエコシステム(生態系)の環境と利点を補完する形で高成長を実現するプレーヤーにまで広げて、入居を呼びかけました。おそらく巨大金融機関がさまざまなルートを通じてスタートアップとつながったのは初めてのことでした」
「 C4DRは企業が世界市場の中で競争力を保ち、実際的な価値を持ち続けることができるよう変化に対応できる企業のリーダーを生み出すのを目的としています。と同時に経済の変化と社会にとって現実的な観点から見た推進力になることも重要です」
「大きなフォーカスは変化と改革に直面する大きな金融サービスが拠点を置く欧州の各都市のフィンテックですね」
――アメリカのシリコンバレーとロンドンのフィンテックの違いは何ですか
「2014年、ロンドンはシリコンバレーより大きな労働市場を創り出しました(South Mountain EconomicsとBloomberg Philanthropiesの調査では、ロンドンのフィンテック人口は当時 4万4000人。ニューヨークは4万3000人、シリコンバレーは 1万1000人)。他の金融市場を見てもロンドンは依然としてリードを保っています」
――ロンドンのフィンテックが世界に占める位置はどうなるでしょう
「規制を守っているかどうか、顧客の身元確認を自動的にチェックできるレグ・テックや保険テック、専門家たちのハブ施設『アビバ・デジタル・ガレージ』、中央銀行、イングランド銀行も自らのアクセラレータ・プログラムを運営するなど、ロンドンは金融の専門性を活かした強みを築き始めています」
「私たちは長期的な成長を期待しています。普通では考えられない前向き思考であるイギリスの金融当局がフィンテックと金融セクターを守り、育てていく共同責任を負うことによって成長は支えられています」
「すぐさま世界のスタンダードになったレギュラトリー・サンドボックス(革新的な新事業を育成する際、現行の規制を一時的に停止する緩和措置)を創り出したのもイギリスの金融当局です」
「これからの本当のチャレンジは新しいテクノロジーが雇用を創出していけるかどうかにかかっています。 政府は今まで以上に変化を敏感に理解し、適応していくことができるのか、私たちの社会にとって大きなチャレンジになります」
「人工知能のような効率性と自動化を進めると、世界が現在、直面している『テクノロジーVS仕事』という究極の問いにぶつかります。もし、私たちが政策と実行を正しく行わなければ、新しいパラダイムは貧富の格差をさらに広げ、社会の多くの部分を取り残していく恐れがあります」
――次の目標は何ですか
「私たちは、一生のうちに2つか3つのキャリアを持てるよう若者たちにトレーニングする必要があると考えています。私の次のフェーズは、幾何級数的に進化するテクノロジーがビジネスや社会に与える影響をできる限り学び、人類が直面する最大の危機の解決策を創造していくことを手助けすることです」
「もし私たちが未来世代のために、ほんの少しでも前向きなエッセンスに対して貢献する方法を見つけることができたなら、未来に向けた私の志の幾ばくかを達成したことになるでしょう」
――EU離脱後も、イギリスはスタートアップにとって魅力的であり続けるでしょうか。ブレグジット後の移民規制やEU域内で自由に営業できる金融単一パスポートがどうなるか分からないという不確実性をどう見ていますか
「イギリスはスタートアップを呼び寄せ続けると考える理由はいくつかあります。まず大切なのは資金面です。ベンチャーキャピタルの投資が不確実性から世界的に落ち込んでいるにもかかわらず、イギリスのスケールと量は欧州大陸を見渡しても他の追従を許しません」
「シードステージ(会社設立前の準備段階、設立直後の最初期)の最も好ましい環境と、エンジェル(創業まもない企業に投資する富裕層)の投資がスタートアップをイギリスに呼び寄せてきました」
「スタートアップが居場所にあまりこだわらないと言っているわけではありません。EU離脱決定後の不確実性にもかかわらず、イギリスやロンドンに対する投資トレンドが相変わらず旺盛なことは言及に値します」
「これから2年の間に、多くの議論と交渉、どこに拠点を置くかという検討が行われるでしょう。しかし、イギリスとEU間のビジネスと貿易の相互依存の重要性は誰の目から見ても明らかで、イギリスがスタートアップにとって非常に魅力的な場所であり続けることに疑いを差し挟む余地はないと私は考えています」
「次に人材供給面。極めて効率的な人材市場を創出してきたトップ・テクノロジー企業で働く人々とともに、優秀な大学の卒業生が人材の豊富な供給源になっています。こうした環境は、アップルやグーグルのような主要テクノロジー企業が人材育成・発掘のための施設を拡大すると発表したことによってさらに改善されました」
「そして政府による促進策。誰がイギリスの首相になっても、スタートアップにとって魅力を損なうようなことはしないと確信できます。イギリスはEU市場との相互アクセスをできる限り保ちながら、グローバルステージにおけるスタートアップ支援を維持する政策環境を変更せずに、強化していくことを模索するでしょう」
「ブレグジット後に、イギリスが実際にこうした環境を作り出すために、さらに多くの手段を獲得する可能性すらあります。しかし大きな課題はお互いの市場へのアクセスを保ちながら、ビジネス機会や貿易をさらに促進するバランスを保つことです」
――フィンテックのインキュベーターとして、ロンドンとEUのどちらが有利になるでしょう
「あなたが『ロンドンか、EUか』と質問したのは興味深いですね。この質問自体がEU全体の中で、一都市が非常に大きな勢いを持っていることを意味しています」
「イギリスはサービス産業に大きく依存しており、金融セクターで多くの人材が働いています。伝統的な金融サービス企業の大半がすでにフィンテックに膨大な投資を行っています。こうした投資が、急速に進化し、成長するこの分野のビジネスチャンスをさらに創出しています」
「イギリスだけでなく、たとえばスイスはフィンテックの重要性を理解して、主要な金融サービスのプレーヤーたちが協力し、C4DRも支援するキックスタート・アクセラレータを立ち上げました。これを通じて大手金融機関は潜在的な商業的パートナーシップや大規模な協力を通じて、スタートアップとの接点を持つことができます」
「私はどちらか一方が他方に対して圧倒的な優位性を持つとは思いません。イギリスにとってもEUにとっても、それぞれの経済のエコシステム(生態系)の中でスタートアップを育てていくことは大切で、これから数十年、全体的な改善が行われるでしょう」
「イギリスは明確に定義づけられる優位性を確実にし続ける必要があります。現実には、これまで以上に多くの企業が成長にとって最高の環境はどこなのかを選ぶ戦略を慎重に検討しています」(つづく)