サッチャー元首相の訃報に思う
昔、ダウニング街10番地にある英国首相官邸でサッチャー首相にお目にかかった事がある。フォークランド紛争に勝利し、高い国民の支持を背景に「サッチャー革命」に取り掛かった頃で、間近で会った本人は写真やテレビより色白で太り目に見えた。
私が首相官邸でサッチャー首相と会ったのは取材のためだが、しかし本人の取材が目的ではなく、「東洋のオナシス」と呼ばれた香港の海運王Y.K.パオ氏のドキュメンタリーを作っていて、パオ氏から突然「日本のテレビは英国首相官邸の内部を撮影した事があるか」と聞かれ、「私とサッチャーの会談を撮影してくれれば官邸内部の撮影も許可させる」と言われたためである。
当時のパオ氏は香港が英国から返還された後の初代行政長官の座を狙って、ウエストミンスター寺院の修復などに多額の寄付を行い、英国から「サー」の称号を贈られていた。サッチャー党首の保守党にも相当の支援をしていたと思われ、英国首相官邸内部を撮影させる事が出来たのである。
それから間もなく私は政治部記者となり、中曽根政権時代の自民党を取材する事になった。「レーガン・サッチャー・中曽根時代」と言われ、日米英とも「民営化」路線を政策の柱に据えたが、しかし経済で一人勝ちの日本に対し、レーガン、サッチャー両政権からは厳しい批判が相次いだ。
摩擦の種は色々あったが、サッチャー首相で思い出すのは日本の酒税を変えさせた事である。それまで日本には酒に特級、1級、2級の区別があり税率を変えていた。特級酒を飲む金持ちからは高い税率を、2級酒を飲む低所得層には低い税率を適用する仕組みであった。これにサッチャー首相が噛みついた。
スコッチウイスキーを輸出の重要品目とする英国から見れば、これらの区別が差別行為に映ったのである。特級、1級、2級の撤廃を求めてきた。日本で酒税は戦前から間接税の中に大きな割合を占める重要な財源で、その中で所得の再分配を図ろうとしたのが特級、1級、2級の区別であった。しかしサッチャー首相は同じアルコール度数なら同一の税率にすべきだと主張して譲らない。竹下大蔵大臣は「労働者でも酒が飲めるように考えた税制だがなあ」と嘆いたが日本は譲歩させられた。
酒に特級、1級、2級の区別がなくなり、それまで高価で手の届かなかった輸入ウイスキーが一気に国産ウイスキー並みに安くなった。すると不思議なもので高価なスコッチウイスキーに憧れ、どんなに高価でも手に入れようとしていた気持ちが失せ、それほどスコッチを飲みたいとは思わなくなった。一方で酒税収入を得るため大蔵省が中央集権的に管理してきた酒造りの世界が変わり、日本に地酒ブームが起きて、国民は様々な銘柄の焼酎や日本酒を楽しむことが出来るようになった。サッチャー元首相のおかげだと私は心密かに思っている。
55年体制下の日本政治を取材するうち、政治の実態と国民の意識のズレの大きさを感ずるようになり、私は議会中継が世界ではどのように行われているのかを調べるようになった。するとNHKがテレビ放送開始と同時に始めた国会中継を、英米をはじめとする先進民主主義国は「民主主義に良くない」と批判している事を知った。大衆迎合(ポピュリズム)の政治を生み出すというのである。
しかしベトナム戦争に敗れ、それまでの価値観を大転換せざるを得なくなった米国は、70年代の終わりに「ポピュリズムにしない」ことを前提に、ケーブルテレビの世界で議会中継専門チャンネルを始めた。それを見て英国にもテレビ中継を認めようとする機運が生まれたが、政治を劣化させると大反対をしたのがサッチャー首相であった。
民主主義を自らの手で勝ち取ったことのない日本では、なんでも公開する事を民主主義だと勘違いしているが、民主主義は公開すべき事と公開すべきでない事の峻別が大事である。それを間違えるととんでもないことになる。現在の国会中継のように与野党が党派性をむき出しにスキャンダル攻撃をやり合う様を見せても何も国民的利益にならない。政治に幻滅するか政治家に敵対感情を抱かせて民主主義を弱体化するだけである。日本では公開すべき事を公開せず、公開すべきでない事を公開する傾向があり、その違いが分からないところに問題がある。
米国の議会中継専門チャンネルは与野党が対立する委員会審議を中継しない。専門家と与野党の議員が政策的議論をする公聴会を中心に中継する。日本の国会中継とは大違いなのである。サッチャー首相の反対にもかかわらず保守党の多数が賛成して、英国議会中継が始まったのはベルリンの壁が崩壊した1989年で、私は英国に行きそれを素材にドキュメンタリー番組を作った。
議会中継が始まってみると、反対していたにもかかわらずサッチャー首相の弁舌が野党労働党を圧倒した。しかし冷戦の終わりは「サッチャー革命」の終わりでもあった。弱肉強食の政治は次第に国民の反発を呼び、欧州統合に対する批判的姿勢も支持されなかった。サッチャー首相退陣後の英国では民営化路線も見直されるようになった。その頃日本に誕生したのが一周遅れでサッチャー路線を目指した小泉政権である。
「官から民へ」を掲げた小泉構造改革は英国と同じように格差社会を生み出して、それが国民の反発となり日本で初めての政権交代につながった。しかし初めての政権交代に、政治家も官僚も学者もメディアも国民も国全体が不慣れであった。過剰すぎる期待と過剰すぎる恐れ、そして未熟な政権運営が、3年3か月で再び自公政権を復活させた。そこで誕生した安倍政権もまたサッチャー路線を意識している。言葉の端端にサッチャー首相の影響がうかがえる。
しかし世界の政治はそうした方向ではない。英国の保守党は既にサッチャー路線とは異なる「大きな社会」を掲げ、NPOや地方に権限を与えて社会的課題に対応しようとしているし、米国のオバマ政権は「小さな政府」とは逆の方向に向かっている。そうした中で安倍政権の対応は二周遅れにならないか、サッチャー元首相の訃報を聞いてそうした事を考えた。