馬の終生飼育を助ける活動と、犬猫を保護する活動は違う、という話
馬の管轄省庁はライフステージで変わる
馬の管理に関する管轄省庁は、その馬が競馬や畜産に関わるか否かで異なる。競馬に出走することを前提に育成、生産されている「競走馬」は法第10条第1項に規定する「畜産農業に係る動物」に該当すると判断されるため農林水産省の管轄だ。もちろん、家畜や畜産農業に関わる馬たちの扱いも農林水産省への届出が必要になる。
一方、ペットとして飼われている馬は愛玩動物(家庭動物)、乗馬クラブやふれあい牧場などで飼われる場合は展示動物と区分されて環境省の取り扱いになる。
なお、その場合もいずれの場合も、馬が伝染病にかかると畜産業や消費者の食卓にも影響するので1頭でも馬を飼う場合は「家畜伝染病予防法」が適用され農林水産省への届出義務はある。
つまり、同じ馬であっても、立場が変われば生涯の中で所轄も含めて扱われ方が大きく変わることになる。
犬猫保護は社会貢献になるが、馬の終生飼育は…
実は以前、筆者は「経済的な役目を終えた馬の終生飼育や飼育の教育の充実」を目指したNPOを立ち上げようとしたことがある。人を集め、書類を作り、設立を希望した某県に届け出たことがある。しかし、某県からは「地域社会への貢献にならない」とされて書類を返された。もっと計画を煮詰めてからの再提出を求められたが…。その前に、納得がいかなかった筆者は某県の担当者とそもそもなぜ、筆者が志した「経済的な役目を終えた馬の終生飼育や飼育の教育の充実」が「地域社会への貢献にならない」のかを尋ねた。
理由はシンプルだった。
「犬や猫を保護して里親を探すNPOがありますが、この活動は保健所でのこういった動物の管理が軽減されるからです。」
なるほど。確かに保健所の負担を減らせれば使用される税金は減るので、社会に貢献できる。
しかし、馬はそうではない。特に競走馬については、必ず馬主がいる。野良馬はいないのだ。
続けて、その担当職員さんは言った。
「馬の飼い主さんが面倒をみるべきではないでしょうか。」
一般家庭における愛玩動物の管理において、飼い主と動物の関係は確かにそのとおりだ。それが経済動物だった馬にあてはまるのか…?筆者としては最初は納得がいかなかった。しかし、時間をおいて筆者なりに話を整理した。
一般的に家庭で生まれたり迎え入れられたペットたちは生まれたときから愛玩動物だ。
しかし、競走馬が経済動物としての役目を終え、単なる動物に転じた時から、その馬の"愛玩動物ライフ"が始まる。ゆえに、馬は愛玩動物に転じた時点で「その道をつくった人=飼い主」が必ず存在する。さらに言えば、先述の「家畜伝染病予防法」により馬を飼う場合は届出が必要なため、飼い主の存在は継続的に明らかだ。やはり、野良馬はない。
担当職員からは「地域によって解釈は変わることもある」「もう少し、社会貢献に重きを置いた方針に考えなおしてはどうか」と言われたが、筆者はある意味、担当職員の考えに納得したこともあり、このNPOの設立を断念し、社会活動についてはまた別の方向性を模索することにした。
馬の幸せとは何だろうか
余談だが、筆者の主観だが、経済的な役目を終えた馬を保護することで、"幸せ"を得られるのは人間である。そのようにこの世界を知れば知るほど実感させられる。
馬をそのものを助ける活動のはずが、中には特定の人物の生活や自己満足を支える意味のほうが強くなる結果に至っているケースもあるように感じている。もちろん、その馬の生活の面倒をみる人を支えることで馬が生きながらえるのは良いことだ。しかし、寄付をする人の志しと、実際の運営のバランスに疑問を感じざるを得ないことがあるのだ。中には、「馬を助ける」という名目で寄付を集めたのに実施内容が不明瞭、という案件も見受けられる。
そもそも、馬の幸せとは何だろうか。人間でもそうだが、体が思うようにいうことをきかなくなったとき、長く生きることが本人にとって幸せなのか。日本には安楽死が認められていないが、もしも認められていなたら回答は多岐にわたるはずだ。
自分が支えることで好きな馬が生き、それにより幸せを感じる。
しかし、自らの心身にかかる大きな負担がもしも犠牲ならば、そこまでして馬を支え続けてもその人の幸せは得られない。
馬は体も大きいし、多かれ少なかれ人の管理が必要だ。自力では生きていけない。ゆえに多額の費用がかかるし、労働力も要る。
競走馬の馬主さんが大事にしてきた競走馬を手放すとき、乗馬の引き取り先を無償で探す関係者たちの姿を見てきたが、それは少しでも寄り添いたい、なんとか助けたい、という気持ちの表れであり、その人なりの愛馬心なのだと感じている。
ある競走馬の馬主さんの言葉を書き記しておく。
「自分が関わった馬のすべてを生涯面倒見たいという気持ちはあるが、資金、時間、労働力は有限だから実現は無理だ。その資金で新しい馬を買うことで生産牧場の売上になるので、自分は直接的に競走馬産業を支えるほうに力を注ぎたい。
競走生活を終えた馬については、乗馬として新しい生活を過ごせるよう、第三者に任せている。」
このNPO設立を試みた話は、いまから数年前の出来事だ。
あれから、筆者も生活環境が大きく変わり、トレセンべったりの毎日ではなくなった。あれだけ毎日競走馬を見てきた生活から一変、私の住む地域には神社くらいしか馬は存在しないので馬の顔を直接見ることが珍しい、という日々を過ごしている。
周囲には競馬はもちろん、馬に興味のない人も多い。そういった人たちにも理解が得らえるような何かが出来ないものか、と考えを新たにする日々が始まっている。
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