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【その後の鎌倉殿の13人】伊賀光宗の密談を知った北条泰時の意外な反応

濱田浩一郎歴史家・作家

貞応3年(1224)7月5日、北条政村(北条義時の5男)の執権擁立を企む伊賀光宗兄弟が、相模国の有力御家人・三浦義村の邸に頻りに出入りしていました。(彼らは何か談合しているのではないか)ー人々は、伊賀光宗や三浦義村の動きを怪しんだようです。

その夜、伊賀光宗兄弟は、北条義時が住んでいた邸にやって来ます。『吾妻鏡』(鎌倉時代後期に編纂された歴史書)には「後室居住」とあるので、後室(つまり、義時の後妻・伊賀の方)が、現在は住んでいました。彼らは、義時が住んでいた邸に集まって、何やら話し合っていたようです。

具体的に何を話していたのか?残念ながら、詳しいことは分からないのですが、『吾妻鏡』によると彼らは「この事を変えてはいけない」などと話していたようですね。「この事を変えてはいけない」と誓い合っていたというのです。

「この事」というのが、何を指すのか。想像を逞しくすると「北条政村を執権に擁立しようとする意思」のことかもしれません。

しかし、彼らの話を密かに聞く者がいました。「或る女房」と『吾妻鏡』にあるので、義時の邸に勤めていた女中でしょう(彼女は伊賀の方に仕えていたと思われます)。女中は、伊賀氏の面々の話を最初から聞いていたわけではなかったようで、途中から聞き耳を立てたようです。

詳しい話の内容を分からないが、とにかく、この事を北条泰時方に伝えなければと、その女中は思ったようです。

泰時の邸に走り、この件を伝えます。泰時、驚くかと思いきや、動揺する気配はなかったとのこと。そればかりか「伊賀兄弟が(何事かは知らないが)変わるべからずと、誓い合っているということは、良いことではないですか」と余裕の発言。

温厚で篤実な泰時らしい言葉です。しかし、果たして、泰時はこのままで大丈夫なのでしょうか。

歴史家・作家

1983年生まれ、兵庫県相生市出身。皇學館大学文学部卒業、皇學館大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。兵庫県立大学内播磨学研究所研究員、姫路日ノ本短期大学講師、姫路獨協大学講師を歴任。『播磨赤松一族』(KADOKAWA)、『北条義時』『仇討ちはいかに禁止されたか?』(星海社)、『家康クライシスー天下人の危機回避術ー』(ワニブックス)ほか著書多数

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