「どうする家康」、主人公徳川家康のルーツ
2023年のNHK大河ドラマは「どうする家康」。主人公は徳川家康である。ただし、家康が「徳川」と名乗ったのは独立した戦国大名となった後の永禄9年(1566)のこと。もともとは松平元康といい、三河の有力国衆松平氏の出である。では、この松平氏のルーツは何だろうか。
松平氏のルーツ
松平一族のルーツの地は、三河国加茂郡松平郷(現在の愛知県豊田市松平町)。豊田市東部に広がる山の中だが、地理院地図でみるとこの付近は比較的等高線の間隔が広く、なだらかな地形が広がっていることがわかる。
松平一族はこの山中に少しだけ開けた地に室町時代から勢力を持っていた。「松平」という地名は「松が繁っていた比較的平らな土地」に因むという。
江戸時代に作成された徳川将軍家の系譜では、清和源氏新田氏庶流の得川義季(世良田義季とも)の子孫にあたる僧侶が、松平郷の領主松平太郎左衛門の娘婿となって松平親氏と名乗ったのが祖という。
得川という地名は、現在も群馬県太田市徳川町という地名として現存する。しかし、この話は後から作られたものであるのは明白で、事実である可能性はほぼない。
地元松平郷での由来
松平郷の片隅に豊田市教育委員会の設置した「在原氏の墓所」という看板がある。ここから山の中腹に登ったところにある墓所が、室町時代初期に松平郷に入った在原氏の墓であるという。
この在原氏の入り婿となった親氏が「松平」を名乗って松平一族の祖となったといい、その遠祖は公家在原氏であると書かれている。地元では松平氏は在原氏の末裔としているようだ。
この他にも賀茂氏の出という説もあり、残念ながら松平氏の出自についての定説はない。
いずれにせよ、この地には古くから松平氏という土豪がおり、その入り婿となった親氏という人物が、松平氏を山間の一土豪から三河の国衆へと発展させる基礎を作ったことは間違いなさそうだ。
松平郷を出て発展した松平氏
松平氏の名前が実際に歴史上にみえるのは3代信光からである。このとき、信光はすでに室町幕府官僚の伊勢氏との関係も築いており、三河の有力武士の一角に入っていたようだ。
また、信光は山中の松平郷から矢作川のほとりに出、岡崎平野を一望できる岩津に城を築いて本拠としていた。そのため、信光は岩津松平氏と呼ばれ、信光が岩津に建立した信光明寺には松平氏草創期3代、親氏・泰親・信光の墓がある。
そして、信光以降、松平一族は「一四松平」とも「一八松平」ともいわれる多くの一族を三河各地に分出して勢力を広げていった。
家康は信光から数えて6代目にあたる。