富士山の宝永噴火49日前に発生した宝永地震と安倍川餅
安倍川の金な粉餅(安倍川餅)
静岡名物の安倍川餅は、つきたての餅にきな粉をまぶし、白砂糖をかけたものです。
徳川家康が、安倍川近くの茶店で、店主からきな粉を砂金に見立てた「安倍川の金な粉餅」の献上に喜び、安倍川餅と名付けたという伝承があります。
白砂糖が珍しかった江戸時代、東海道の名物となって珍重されています。
安倍川は、南アルプスの大谷峰からほぼ一直線に南下し、徳川家康の時代は、駿府と呼ばれた静岡市の市街地を流下して駿河湾にそそぐ大河です。
その安倍川上流にある梅ヶ島の日影沢金山は、今川氏の金山として有名で、享保年間(1530年頃)には多量の砂金を産出し、たびたび朝廷に献上しています。
その後、武田信玄が占領しますが、天正3年(1575年)に織田・徳川連合軍が長篠の戦いで武田軍に勝利し、徳川家康のものとなります。
そして、この頃に発見された金鉱脈によって、それまでの砂金採取から坑道掘りに変わり、慶長年間(1600年頃)には多くの金を産出して、駿府の金座で慶長駿河墨書小判が作られました。
日影沢金山の金堀忍人足は、金堀衆と呼ばれて身分は高く、特殊技術を以って戦場にも参加し、家康の天下統一を助けています。
宝永地震
日影沢金山は、徳川家康が天下を取り、将軍職を息子の秀忠に譲って駿府に在城時代が最も栄えたといわれています。
以後は、鉱脈がつきはじめて産出量が減っていましたが、終焉を迎えた切っ掛けは、宝永4年10月4日(1707年10月28日)に発生した宝永地震です(図1)。
遠州沖を震源とする東海地震と、紀伊半島沖を震源とする南海地震が同時に発生したと考えられる宝永地震は、東海道から四国にかけて、死者2万人以上、倒壊家屋6万戸、津波による流失家屋2万戸という大きな被害が発生しました。
土佐藩士の奥村正明は、宝永地震の被害について、「谷陵記(こくりょうき)」を書いています。
谷陵記には、土佐国だけでなく諸国の被害の様子が記されており、次のような記述があります。
宝永四年丁亥十月四日、未ノ上刻大地震起リ、山穿(うが)チ水ヲ漲シ、川埋リテ丘トナル、國中ノ官舍民屋、悉(ことごと)ク轉倒ス、逃ントスレドモ眩(めくるめい)テ壓(おし)ニ打レ、或ハ頓絶ノ者多シ、又ハ幽岑寒谷ノ民ハ、巖石ノ爲メニ死傷スルモノ若干也、
平野部の人家の倒壊や津波被害だけでなく、山間部では多数の土砂災害が発生していることを示す記述です。
大谷崩れ(おおやくずれ)
安倍川上流部は、古くから土砂災害が発生していましたが、大谷崩れと呼ばれる面積1.8平方キロメートル、高度差800メートルという大きな山崩れとなったのは、古文書の記述から宝永地震からといわれています。
大谷崩れは、長野県の稗田山崩れ、富山県の立山鳶山崩れとともに、「日本三大崩れ」と呼ばれるほど甚大なものです。
明治の文豪・幸田露伴の次女で、随筆家の幸田文は、72歳の時に大谷崩れの迫力に圧倒されたことから、全国の山崩れ・地滑りを取材して「崩れ」を書いています。
宝永地震によって安倍川上流に流入した多量の土砂は、大雨のたびに土石流となって安倍川を流下し、安倍川中流から下流に堆積して洪水被害を拡大させています。
安倍川上流にある日影沢金山などの金山は、村から通じていた道が通れなくなり、坑道に水が入るようになったために水抜作業の経費が必要になるなどで採算がとれなくなり、次々に姿を消しています。
安倍川上流から金山が消えましたが、昭和天皇がお召列車で静岡を通過するときには、たびたびお買い上げになられるなど、現在も、安倍川餅は、静岡を代表とするお土産となっています。
宝永地震の49日後
宝永地震の49日後、11月23日(12月16日)から富士山の噴火が始まっています。
宝永噴火と呼ばれる噴火で、静岡県側からは宝永噴火の噴火口がはっきりみえます(タイトル画像参照)。
この時の噴出物は、ほぼ真東の方向に最大層厚を連ねた分布の軸を持つ扇状に拡散し、南関東のほぼ全域を覆っています(図2)。
横浜中心部で16センチ、東京23区でも4センチも火山灰等が積もっており、現在であれば、深刻な交通障害をもたらす噴出量です。
宝永地震と宝永噴火が発生したのち、「大地震のあとには火山噴火がおきるのではないか」ということが言われるようになりました。
大地震のあとに火山噴火が起きないことが多いのですが、被災者にとっては大きな不安要素です。
そこで、大きな地震が発生すると火山の緊急点検が行われます。
大正12年(1923年)9月1日の関東大震災が発生したとき、気象庁の前身の中央気象台が富士山の臨時観測を行い、噴火の兆候がないことを確認しています。
また、平成23年(2011年)3月11日の東日本大震災の時も、気象庁では富士山等の臨時観測を行い、火山噴火予知連絡会を開催しています。
タイトル画像の出典:GYRO PHOTOGRAPHY/アフロイメージマート。
図1、図2の出典:気象庁ホームページ。