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バングラテロの犠牲者7人に“国葬”を!

河合薫健康社会学者(Ph.D)
著作者:Yoshikazu TAKADA

なんという理不尽な事件なのだろう。バングラディシュのテロで、犠牲になった日本人7人は、途上国発展のために情熱を注ぎ、汗を流していた英雄だった。日本の国旗を参考にして作ったその地で、彼らの志は皮肉にも許されない断ち切られてしまったのだ。

「開発途上国で援助を生業とする者として、『日本人で良かった』という瞬間に、何度も出会います。アジアに行こうが、アフリカに行こうが、どこに行っても『日本は本当によくやってくれている』と感謝されます」

開発途上国で援助を続ける友人が、以前、こう話してくれたことがある。

国際援助に関わる人たちは、丸裸で自衛隊も行かないような危険地域に行くことも多い。だが、どこの国でも現地政府の軍組織が彼らを護衛し、日本の援助チームへの協力を惜しまない。

「こんなところまで来て頂いて本当に有り難う」と、感謝されるのだそうだ。

日本の国際援助は、戦争時の暗い歴史の反省を踏まえて、1965年に平和外交の手段として始まった。海外青年協力隊が発足し、局長を含めた7人の日本人がラオスに派遣されたのである。

隊員5名のうち、女性2人はビエンチャンの日本人学校で日本語を教え、3人の男性はサラカム農業試験場で野菜や稲作の指導を担当。英語が苦手だった日本人は、必死で現地の言葉を覚え、現地の文化を学び、現地の人たちに自分たちの技術を伝授した。

「自分たちの言葉を話そうとしてくれる」ーーー。

一見たわいもないことのようだが、この先人たちの姿勢こそが、現地の人たちに受け入れられる“武器”となった。

欧米の援助者たちは、英語で、自分たちの方法で現地に乗り込む。一方、日本の援助者たちは、外交政策の押しつけることもなく、開発途上国のニーズを捉えた援助に徹してきた。

それは現地の人たちにとって最高に嬉しいこと。「自分たちに寄り添ってくれる日本人」への敬意が、日本人の謙虚さ、礼儀正しさ、勤勉さを見習うべきだという評価につながり、日本が平和国家で、公平かつ中立な国として広く知られるようになった所以である。

日本が得意とする、橋梁、道路、港湾、水力発電などのインフラ整備支援から始まり、戦後復興の経験を活かして、農業、水産、教育、保健などの産業・社会ソフト支援まで、日本人の能力は、他の先進国の追随を許さない。7人の先駆者たちの志を、50年経った今も受け継ぎ、約8000の団体が国際協力に参加している。

2005年、当時総務大臣だった麻生太郎氏がインド訪問時に、インドのメトロのトップに「日本からプレゼントされたのは、資金や技術だけじゃない。労働の美徳だ」と言われ、彼らが日本人を、“ベスト・アンバサダー(最高の大使)”と呼ぶことに感動したとコメントしたけど、日本と途上国の良い関係を築くために現場に立ち続けている人たちは、目に見えないカタチで日本の外交を助けてくれているのだ。

そんな中、おきた今回の事件。先人が築いてきた「平和国家・日本」が、開発途上国の前線で働く人たちの、安全の盾になっていたはずなのに。銃と銃を付き合わせるのではなく、手と手をとりあって尽力してきた人たちに向けられたモノ。今回のむごすぎる事件への怒りと、私たちはどう向き合えばいいのか。

政府は、6月に成立したものの、まだ施行されていない「国外犯罪被害者弔慰金支給法」の趣旨をふまえ、犠牲となった7人について、1人あたり200万円の弔慰金を、遺族に支給する方針を固め、近く決定する。

本当にこれだけでいいのだろうか。個人的には国葬を検討していただきたいと考えている。

今回犠牲になった7人の方たちは、まさしく「日本の平和外交の象徴」である。世界の人たちに、「日本」と「日本人」を知ってもらうことに、国際支援に取り組む方たちが果たした役割は計り知れない。

健康社会学者(Ph.D)

東京大学大学院医学系研究科博士課程修了。 新刊『40歳で何者にもなれなかったぼくらはどう生きるか』話題沸騰中(https://amzn.asia/d/6ypJ2bt)。「人の働き方は環境がつくる」をテーマに学術研究、執筆メディア活動。働く人々のインタビューをフィールドワークとして、その数は900人超。ベストセラー「他人をバカにしたがる男たち」「コロナショックと昭和おじさん社会」「残念な職場」「THE HOPE 50歳はどこへ消えたー半径3メートルの幸福論」等多数。

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