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繰り返し天を仰いでいた松本人志 2023年『M−1』全体動向を決定づけた松本の「ひと言」とは

堀井憲一郎コラムニスト
(写真:Splash/アフロ)

2023年M−1優勝は令和ロマン

2023年M−1、優勝は令和ロマンだった。

令和ロマンはトップバッターで出場、1stステージを3位で抜けて、ファイナルの出番も1番手で、それを勝ちきった。

どきどきハラハラのM−1であった。

なぜトップバッターは優勝しにくいのか

トップバッターの漫才師が、M−1では優勝しにくかったのはなぜか、今年の戦いを見ていて、あらためてよくわかった。

やはり最初の出演者には高い点をつけにくいのだ。

松本人志の採点を見ていて、つくづくそうおもった。

トップバッターに高得点をつけるのは、おもったよりもっと勇気が要るらしい。

令和ロマンの漫才に対して、松本人志は90点をつけた。

たぶん、そこそこ高く評価していたように見受けるのだが、でもトップだからという理由で「様子見の90点」をつけたようだ。

あと9組が出てくるから、まだまだ上があるはずだ、という判断である。

松本人志と審査員とのズレ

ここのところの松本人志の採点傾向でいえば、90点というのは10組中だいたい真ん中から少し下、というあたりになる。

つまり「令和ロマンはファイナルに行けないかもしれない」と覚悟したことになる。

2023年の前半は、珍しくほかの審査員と松本人志の判断にズレがあった。

松ちゃん、ちょっと低い

令和ロマンの採点が公開されたとき、正直なところ(松ちゃん、ちょっと低い)とおもった。

そう感じた人もけっこういただろう。

松本人志自身がそうおもっているみたいだった。

最低でも92、おもいきって94くらいつけてもいいのに、というのがその瞬間の正直な感想であった。

サンド富澤、海原ともこ、中川家礼二が94点をつけていた。だから令和ロマンはトップ3に入り込めたのだ。

そして松本はさや香に低い点をつける

そして3番手にさや香が出てきた。

彼らの漫才はかなり受けた。

山田邦子は98点をつけたし、海原ともこは96点、サンド富澤95点と高得点、それ以外も93点以上だった。

でも松本人志は89点だった。

ここは目立って低かった。

翌日に放送していた舞台裏を見せる番組で、さや香に98−94−95−93−96と点数がついていくのを見て、松本が「高っけー」と呟いていたシーンが(「高っけ」の文字入りで)流されていた。

松本自身が、他の審査員の採点との差を強く感じていたのだ。

「さや香の漫才は令和ロマンを越えていない」

直後の講評で松本は

「さや香の漫才が、令和ロマンを越えていないかな、と僕はおもってしまいました」

と説明する。

令和ロマンを90点にしたから、だからそれより下の89点にしたというのだ。

たしかに、令和ロマンのが良かったと感じていた人も多かっただろう。

私もそうだった。だから松本人志の説明には納得する。

令和ロマンの魅力と、さや香の中だるみ

令和ロマンがとても魅力的に感じられたのは、ボケ(高比良くるま)の立ち居振る舞いによるものだろう。彼の立ち居振る舞いは不思議な色気に満ちていて、圧倒的に惹きつけられた。

素直に2本目が見たいとおもった。

さや香の漫才もめちゃおもしろかった。

ただ、途中「バイト初日で飛んだ」のやりとりでダレていった。ここの印象が私は強くて、令和ロマンのほうがいいなとおもったばかりだ。

2023年M−1の方向を決定づけた発言

このときの松本の採点と発言が、かなり大きな影響を及ぼした。

「さや香より、令和ロマンのほうが良いとおもった」という言葉は、2023年のM−1の方向性をやんわりと決めたとおもわれる。

いや「令和ロマンが〝上〟だ」というところに意味があるわけではない。そこは誤解しないでもらいたい。上下は関係ない。

松本とは逆に、令和ロマンよりさや香に高い点をつけた審査員は4人いる。

松本のこの発言を聞いたからといって、自分は間違っていたのかも、などと考える審査員は一人もいない。いるわけがない。そういう意見もあるのか、とおもうばかりだ。

他人の発言で揺らぐような弱さを抱えていたら、審査員なんぞ務まらない。

「同じレベルの漫才だった」という共通理解

ただ松本の発言は「令和ロマンとさや香は、同じレベルの漫才だった」ということを確認する役目を果たしている。

審査員も出演者にも視聴者にも、それを強く印象づけた。

もちろんみんな何となく感じていたことだろうが、明確に言葉にされると強く意味を持ってくる。

さほどの高得点ではない令和ロマンを、あっさりと敗退させにくい合意ができてしまった瞬間である。

でも「まだ見ぬ出場者」も気になる。

特に、ここ数年は後半にめちゃくちゃ爆発する漫才が出てきて、その驚きを覚えている審査員も多いだろう。

後半にひっくり返される現場に立ち会うのは喜びであり、でも審査員としてはとても怖いところだ。

6番め出場者まででファイナル進出が決まった

でも今年は後半の爆発がなかった。

ファイナルに進んだのは出番1番の令和ロマン、3番のさや香、6番のヤーレンズでそれ以降の4組は「暫定勝ち残り席」に座ることなく去っていった。

「この日、とてもおもしろい漫才を演じた出演者」の比重が前半のほうに寄っていたのだ。

とても珍しい大会である。

松本人志が天を仰ぐ姿

放送では、漫才が終わるごとに、直後に審査員の表情が抜かれる。

2、3人の審査員の表情が映し出されるのだが、松本人志は必ず撮られる。

今年、印象的だったのはそのとき「松本人志が天を仰いでいる」姿である。

ふだんはあまり見せない姿だ。

たとえば去年2022年では、パフォーマンス後に松本が天を仰いでいたことはほぼなかった。唯一、ヨネダ2000のパフォーマンス直後、天を仰いでいたけれど、そのポーズ自体がややギャグっぽく、彼女たちのネタは相変わらず奇想天外なものだったから、どの審査員も採点前に頭を悩ませていたのは同じである。

でも、今年は松本一人が繰り返し天を仰いでいた。(室内だから仰いでいたのは天井だけど)

3組連続で天を仰いでいた松本人志

まず、最初の令和ロマンから上を向いて熟考している気配であった。むずかしいなあ、という声が聞こえてきそうな腕組み姿だった。

そのあとの3組(シシガシラ、さや香、カベポスター)のときはふつうの姿勢であったがそのあとから困り始める。

5番手マユリカ、6番手ヤーレンズ、7番手真空ジェシカと、3連続でパフォーマンス後、松本人志は天を仰いで考え込んでいた。

見ようによってはやや茫然としているようだった。

3組連続で天を仰ぐ松本人志なぞ、かつて見たことがない。

ふだんの松本は、漫才が終わるとすぐにメモに向かって、採点のバランスを考えていることが多いのだ。

松本人志方式採点が渋滞しはじめる

マユリカからあとの3組は、「令和ロマン90点」から始まった松本の採点が渋滞しはじめたところだったのだ。

「松本人志方式採点/なるべくすべての出場者に違う点数を付ける」がどんどんむずかしくなっていたのである。

80点台をつけるわけにもいかず、でも90点ですべてを並べるわけにもいかず、松本は悩んでいた。

松本人志が逡巡する姿は珍しい。

採点方式はさまざま

審査員の採点方式はさまざまである。

サンド富澤は、松本と同じく、なるべくみんなの点数を違うものにしようとしている。今年は88点から97点まできちんと1点刻み10段階で採点した。

山田邦子は、飛び抜けて高い点や低い点をつけるのが特色だ。目立つので話題にされがちだが、それに大きな問題があるわけではない。

みんなのスタイルが違っていて、それでいいんである。

ファイナル3組を選んでいたのはナイツ塙だけ

ナイツ塙は、同点をつけることに躊躇がない。

今年は93点が3組、92点が1組、91点が3組、90点が2組と、同じ点数を複数組につける。それが塙のスタイルである。

そして7人の審査員のうち、ファイナルに進んだ3組を上位3に入れていたのは、ナイツ塙だけであった。

令和ロマン、さや香、ヤーレンズを3組とも93点で同点一位にしていた。それがそのままファイナルに進んだのだ。

今年の結果は、塙のようなざっくり方式が合っていたようだ。

ここ数年と違った傾向だった2023年M−1

今年は、いろんなポイントから、ここ数年の傾向とまったく違う展開だったのだ。

松本は最初は少しズレてしまった。

だからといって松本によって決定的に何かが変わったわけではない。

そこは松ちゃんである、きちんと修正して、全体の流れに沿っていった。さすがである。

ただ、言葉によって(「令和ロマンはさや香より上」)採点を修正していったという側面があったばかりである。

令和らしいスターの誕生

2023年はこれまでと違う展開だったのだが、べつだん時代の変わり目ではないだろう。

たまたまこうなっただけである。

いつもと違う採点の動きをもたらしたのは、ひたすら「令和ロマン」の特異な存在感であった。

令和ロマンはまさに令和らしいお笑いスターになっていくはずだ。

コラムニスト

1958年生まれ。京都市出身。1984年早稲田大学卒業後より文筆業に入る。落語、ディズニーランド、テレビ番組などのポップカルチャーから社会現象の分析を行う。著書に、1970年代の世相と現代のつながりを解く『1971年の悪霊』(2019年)、日本のクリスマスの詳細な歴史『愛と狂瀾のメリークリスマス』(2017年)、落語や江戸風俗について『落語の国からのぞいてみれば』(2009年)、『落語論』(2009年)、いろんな疑問を徹底的に調べた『ホリイのずんずん調査 誰も調べなかった100の謎』(2013年)、ディズニーランドカルチャーに関して『恋するディズニー、別れるディズニー』(2017年)など。

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