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映画はLGBTQ+を「特別」に描くべきか。普遍性と当事者共感のボーダーは? 特別感ゼロの新作で考える

斉藤博昭映画ジャーナリスト
プライベートでも友人のスタンリー・トゥッチとコリン・ファースが息の合った名演

映画を観たときに「自分に近い境遇だから」と、その部分を発見して共感できるケースと、「自分とは異なる境遇だけど」と距離を置きつつ、その距離を超えて心に迫ってくるケースがある。

そして時として、「近い境遇」の観客には、「こういう描かれ方をしてほしくない」と不満が募る作品も生まれる。国籍や人種、性別、年齢、セクシュアリティなどをメインテーマに描く作品に、そのリスクを伴うことが多い。作り手も「近い境遇」の観客に配慮しつつ、「そうでない幅広い層」にアピールさせるべく苦心している傾向がある。とくにポリティカリー・コレクトネスや倫理観、多様性が求められる近年は、映画にも多くの「配慮」を要求する。

多様なセクシュアリティという意味で、LGBTQ+をフィーチャーした映画は長い間、その問題と向き合いながら、進化を続けている。

その進化をふまえたうえで、日本で7/1に公開される『スーパーノヴァ』は、ちょっと別次元になったと感じる。

主人公2人は男性のカップルで、明らかにLGBTQ+映画なのだが、ここまでLGBTQ+であることを「感じさせない」作品も珍しい。それは、少しばかり驚くレベルだ。

ピアニストのサム(コリン・ファース)と、20年もパートナーとして生きてきた作家のタスカー(スタンリー・トゥッチ)。そのタスカーが記憶を失くしていく、つまり若年性アルツハイマーとなったことで、2人はキャンピングカーで思い出の場所を巡る旅を続ける。このような物語の『スーパーノヴァ』において、男性同士であることの意味や葛藤は、ほとんど描かれない。サムの家族や、2人の友人たちの態度も、その部分にふれることは一切ない、と言っていいほどだ。

このあたりの意図に関して、脚本・監督のハリー・マックイーンは筆者とのインタビューで次のように語った。

「この映画で登場人物のセクシュアリティが言及されることはありません。彼らがゲイ男性であることが物語に劇的効果も与えません。自分で脚本を書きながらですが、その点で独創的な作品になると確信していました」

イギリス人のハリー・マックイーン監督は、『僕と彼女とオーソン・ウェルズ』など俳優としても活躍してきた。長編監督2作目の『スーパーノヴァ』は世界中で高い評価を受けている。
イギリス人のハリー・マックイーン監督は、『僕と彼女とオーソン・ウェルズ』など俳優としても活躍してきた。長編監督2作目の『スーパーノヴァ』は世界中で高い評価を受けている。

一方で、これをLGBTQ+映画として、「自分たちの物語」と期待して向き合った人には、物足りなさを与えるかもしれない。マックイーン監督は「作品が観る人にどのような影響を与えるか。正直、そこまで細かく予想して作ってはいません。キャラクターの複雑な心情を自然に描くことに集中するのが重要で、観客の受け止め方まで僕はコントロールできませんから」と、冷静な視点を貫く。

つまり『スーパーノヴァ』はLGBTQ+を扱いながら、普遍的な、誰でも共感できるポイントを探ることができる映画で、そのようなアピールをすればいいかと考えがちだが、そう単純なものでもない。

「性別を超えた普遍的ストーリー」などと宣伝すると、反発も多く出るのも事実らしい。「普遍的なことを、同性同士でやっているから意味がある」。つまりLGBTQ+だからこそ、感情移入できるのに、「誰でも感動できる」と売るのはおかしい、というわけだ。『スーパーノヴァ』の場合は、LGBTQ+であることの意味が希薄な分、売り方の難しさがある。

マックイーン監督も「これはゲイ映画というより、恋愛映画です。グローバルな社会としては、LGBTQ+の要素が過度にアピールされない方が理想でしょう。でも僕たちの社会は、国によってですが、その段階に到達していません。だから日本でどのような売り方をされるのかには、とても興味があります」と告白している。

LGBTQ+の観客にアピールするのか。あるいは普遍的な感動を与えるのか。『スーパーノヴァ』は、その究極の境界に位置する作品であることが、新しいのではないか。こうしたタイプは過去にもあったが、コリン・ファース、スタンリー・トゥッチという世界的スターを主演にした作品では珍しい。

同じくこの夏には、普遍性を考えさせられるLGBTQ+映画が相次いで公開される。

台湾アカデミー賞(金馬奨)で最優秀主演男優賞など3部門を受賞した『親愛なる君へ』。血縁と親子のつながり、さらなる社会問題を問う。
台湾アカデミー賞(金馬奨)で最優秀主演男優賞など3部門を受賞した『親愛なる君へ』。血縁と親子のつながり、さらなる社会問題を問う。

台湾映画の『親愛なる君へ』(7/23公開)で、主人公の青年が面倒をみるのは、亡きパートナーの母と息子。そのパートナーは同性で、離婚した元妻との間に息子は、すでに主人公に懐いている。病気で苦しんでいた母が亡くなり、主人公の責任、息子との関係が問われる部分がストーリーの中心。同性同士のカップルという点は、ことさらに強調されない。一方で、これが異性のカップルだったら……と考えさせる点は、『スーパーノヴァ』と違って、よりLGBTQ+の当事者に訴える部分が濃厚。しかしそれ以上に、普遍性を意識した作りでもある。

そしてフランソワ・オゾン監督の『Summer of 85』(8/20公開)は、16歳の主人公が、18歳の相手と運命的な出会いを果たし、恋におちる、ひと夏の物語。オゾン監督というのもあるが、こちらも同性同士が惹かれ合い、すれ違う感情を、いい意味で、あっけらかんと描く。『スーパーノヴァ』ほどではないにしろ、相手が同性であることの「深い意味」は感じさせない。当事者共感と普遍性の境界に近い作品と言ってよさそうだ。

タイトルどおり1985年の夏、フランスの海辺の町を舞台にした『Summer of 85』。当時のカルチャーや音楽にいろどられて初々しい恋と、切なすぎる運命が展開する。
タイトルどおり1985年の夏、フランスの海辺の町を舞台にした『Summer of 85』。当時のカルチャーや音楽にいろどられて初々しい恋と、切なすぎる運命が展開する。

日本映画でも近年、『親愛なる君へ』のような同性カップルと子供の問題を描いた『his』のようにLGBTQ+映画の多様化は感じられる。「おっさんずラブ」など幅広い層に受け入れられている作品もあるが、当事者以外には、どこか別世界という描き方がされるケースが多い。『スーパーノヴァ』は「きのう何食べた?」に近い感覚であるが、後者でも描かれた葛藤もすべてスルーしている。LGBTQ+作品であることも忘れさせる。それがいいことか、それとも重要な部分を強調しないことが、逆にネガティヴなのか……。

と、ここまで書いてきて、やはり多様化が進むのは、男性同士の、いわゆるゲイ映画で、それに比べると女性同士の関係を描いた作品はまだ少ない。今年公開された、ケイト・ウィンスレットとシアーシャ・ローナンと、こちらもビッグスター共演の『アンモナイトの目覚め』は、主人公2人のラブストーリーだが、この時も「性別を超えた普遍的ストーリー」と評する言葉に、一部から反発があったと聞く。女性同士の映画がまだ少ない分、当事者としてその部分に感情移入したい人にとって、「普遍的で誰でも感動できる」とされることは納得がいかないのかもしれない。『アデル、ブルーは熱い色』『キャロル』など傑作も多いレズビアン映画だが、全体としてゲイ映画より希少なので、観る側の思いも一極集中で高くなると考えられる。

さらにトランスジェンダーを描いた映画も増えているが、こちらはさらに「トランスジェンダー」というアイデンティティがメインテーマになる作品がほとんど。つまり当事者ではない観客にとっては、「外からの目線」で物語に入り込む確率が高く、それを「自分のこと」と置き換えるのは難しくなる。逆に当事者の視点に立つと、「そこは違う」「そういう描き方はされたくない」という反論も出やすい。昨年、多くの賞を受賞した『ミッドナイトスワン』でも、そのような論議が起こった。

ただ、映画ではないが、NHK教育で放映されたオーストラリアのTVシリーズ「ファースト・デイ わたしはハナ!」のように、中学に進学するトランスジェンダーを真摯に見つめた作品も現れ、描き方の広がりには期待がもてる。

たとえばトランスジェンダーの主人公が、まったくトランスジェンダーであることを意識させない映画ができあがったら、それは理想的なのか? しかしそれでは、トランスジェンダーとしてのアイデンティティが描ききれないのではないか? そもそも主人公がトランスジェンダーという意味があるのか……。

本来、LGBTQ+映画というジャンルが存在すること自体、「特別感」を与えているわけだが、『スーパーノヴァ』のような作品が誕生すると、その枠組みの重要性も薄らぐ。むしろその方向性が、社会としての理想かもしれない。しかし、ピンポイントで主人公に強烈なシンパシーを与えるのも映画の役割。「黒人映画」「女性映画」という表現があるように、「LGBTQ+映画」は、日本を含めた各国に映画祭があるように、今後もジャンルとして存在し続けるだろう。その意義や、是非などをどう考えるかは、受け止める観客側に託される。

※日本では「LGBT」という言葉が多用されているが、「LGBTQ+」はハリー・マックイーン監督もインタビューで使ったので、こちらを優先して使用。「Q」は「Questioning(自身の性自認、性的指向を定めていない)」「Queer(奇妙な、という意味で、セクシャルマイノリティがあえて自分たちを指す言葉として使った)」の頭文字で、「+」は、さらに限定せずに枠を広げるという意図が込められている。

『スーパーノヴァ』

7月1日(木)、TOHO シネマズ シャンテほか全国順次ロードショー

配給:ギャガ

(c) 2020 British Broadcasting Corporation, The British Film Institute, Supernova Film Ltd.

『親愛なる君へ』

7月23日(金・祝)、 シネマート新宿・心斎橋ほか全国順次公開

配給: エスピーオー、フィルモット

(c) 2020 FiLMOSA Production All rights

『Summer of 85』

8月20日(金)、新宿ピカデリー、ヒューマントラストシネマ有楽町、Bunkamuraル・シネマ、グランドシネマサンシャイン池袋ほか全国順次公開

配給:フラッグ、クロックワークス

(c) 2020-MANDARIN PRODUCTION-FOZ-France 2 CINÉMA–PLAYTIME PRODUCTION-SCOPE PICTURES

映画ジャーナリスト

1997年にフリーとなり、映画専門のライター、インタビュアーとして活躍。おもな執筆媒体は、シネマトゥデイ、Safari、スクリーン、キネマ旬報、VOGUE、シネコンウォーカー、MOVIE WALKER PRESS、スカパー!、GQ JAPAN、 CINEMORE、BANGER!!!、劇場用パンフレットなど。日本映画ペンクラブ会員。全米の映画賞、クリティックス・チョイス・アワード(CCA)に投票する同会員。コロンビアのカルタヘナ国際映画祭、釜山国際映画祭では審査員も経験。「リリーのすべて」(早川書房刊)など翻訳も手がける。連絡先 irishgreenday@gmail.com

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