実在の名王者たち&「ロッキー・バルボア」が誕生したフィラデルフィア
フィラデルフィア国際空港からI95に乗り、北に20分ほど進む。23出口で高速を降り、更に北へおよそ10分。
小雪が舞うフィラデルフィアの路地裏ではホームレスが列をなし、食料を受け取っていた。そこから2ブロック先の端に、ロッキー・バルボアが作品中で住んでいたアパートを見付ける。住所は、1818 E Tusculum St。
所謂ゲットーである。6名のホームレスが、スーパーで客が使用するカートを引きながらウロウロしていた。
今更ながら、シルベスター・スタローンの脚本家としての力量に驚く。『ロッキー』は多くの映画評論家が指摘するように、ファイトシーンはリアリティーに欠ける。が、食えないボクサーが副業を持たざるを得ないこと、そして、生きるために自分を錆び付かせてしまう姿を巧みに描いている。
「抜け出したいけれど、どうしても現状を抜け出せない」切なさを伝えるのに、このアパートは説得力がある。周辺には廃車を住居としている方もいるらしく、座席からは生活反応が窺えた。
『ロッキー』には、実在のモデルが存在する。
1975年3月24日にモハメド・アリの持つ世界ヘビー級タイトルに挑戦したホワイトヘビー、チャック・ウェプナーだ。イタリア系ではなく、ドイツ、ウクライナ、ポーランドの血がミックスした白人だった。
ベトナム戦争への徴兵を拒否し、世界タイトルを剥奪されたアリは、3年7カ月のブランクを作り、32歳にして当時40戦全勝37KOのジョージ・フォアマン(25)に挑んだ。1974年10月30日のことである。ブランク後に2敗を喫し、戦績46戦44勝(31KO)2敗となっていたアリは大方の予想を覆し、フォアマンを8ラウンドでKOして王座に返り咲く。
フォアマンとの激闘を制したアリは、5カ月後の防衛戦に安全なチャレンジャーを選んだ。それが、ウェプナーであった。
ウェプナーは世界ランキングに踏み止まってはいたが、ファイトマネーだけでは生活できず、日中は酒屋の配達、夜は工場の警備員として働く35歳のファイターだった。
アリに勝つ可能性などゼロと言っても良かったウェプナーだが、持ち前の喧嘩ボクシングで応戦し、第9ラウンドにアリからダウンを奪う。その闘志に、売れない役者だったスタローンは酔いしれたのだ。
結局、試合終了19秒前にウェプナーはノックアウトされるが、同タイトルマッチを劇場で目にしたスタローンは丸3日をかけてタイプを打ちまくる。そして書き上げたシナリオが『ロッキー』である。「脚本だけ売ってくれ、ロッキー役にはハリウッドスターを起用する」というオファーを蹴り、スタローンは自ら主役を演じ、スターダムにのし上がった。
スタローン自身がイタリア人の父を持っていることから、ロッキー・バルボアはイタリア系アメリカンと設定した。ウェプナーと元世界ヘビー級チャンピオン、ロッキー・マルシアーノを掛け合わせた主人公を創り上げる。
1818 E Tusculum Stに建つアパートから、南南西に5マイル(8.05km)の場所に位置するリトル・イタリーを抜け、フィラデルフィア美術館の階段の上へ。片道7.5マイル(12.07km)の距離をロッキー・バルボアは走っていた。
著者がリトル・イタリーを訪ねた1月31日、当地はマイナス8度であった。『ロッキー』シリーズにはフィラデルフィアの寒さを示すシーンがいくつかあるが、十二分に理解できた。行き交う人の半数以上が、防寒用のニット帽を被っていた。
イタリアのみならず、メキシコ料理の店も少なくないんだな…と思いながら歩いていると、ロッキー・マルシア―ノのポスターが目に飛び込んで来た。49戦全勝43KOで、世界王者のままリングに別れを告げたマルシア―ノ。映画のヒットは、名前の響きも要因に挙げられるか。
2021年1月23日、フィラデルフィアにWBOスーパーバンタム級チャンピオンが誕生した。19戦全勝8KOで新王者となったステファン・フルトン(26)は、この街でボクシングと出会い、14歳からアマチュアのリングに上がった。
フィラデルフィアにボクシングを根付かせたのは、アリに初めて土を付けた元世界ヘビー級チャンピオンの故ジョー・フレージャーである。ロッキー・バルボアがアポロ・クリードに挑んだ第1戦の際、フレージャーはアポロを激励するシーンで登場した。また、ロッキーが食肉処理場で働き、天井から吊るされた牛肉をサンドバッグのように叩くシーンは、フレージャーを模倣している。
フレージャーはサウスキャロライナ州ビューフォートで生まれ、15歳でフィラデルフィアに移り住んだ。1964年の東京五輪で金メダルを獲得後、プロに転向。アリと三度、フォアマンとは二度グローブを交えた。
フレージャーが活躍することで、彼に憧れる若者がボクシングジムに通い出す。ライトヘビー級のマシュー・サード・ムハマド、バンタム級のジェフ・チャンドラー、ヘビー級のティム・ウィザスプーン。
84年のロス五輪で金メダリストとなり、プロではスーパーライト級、ウエルター級で世界を獲ったメルドリック・テイラー、96年アトランタ五輪で金メダルを得、プロではスーパーウエルター級で世界王者となったデビッド・リード、統一ミドル級、ライトヘビー級のバーナード・ホプキンス、スーパーライト級、ウエルター級のダニー・ガルシアら、数々の名チャンピオンが生まれた。また、ボクシングが活性化することで、指導者のレベルも向上する。
1946年7月6日にニューヨークで生まれたスタローンは両親の離婚後、1957年からフィラデルフィア市民となった。母親、そして母の再婚相手であるピザ職人との生活は居心地が悪かったようだ。何度も学校でトラブルを起こし、転校を繰り返している。
しかし、ここまで故郷を宣伝できる人間もそうはいない。
ロッキー・バルボアがロードワークの折り返し地点としていたフィラデルフィア美術館には、72段の階段がある。私が訪れた日も、3組の観光客がスマートフォンでロッキーのテーマを流しながら、階段を駆け上がっていた。
そして、階段の脇にあるロッキーの銅像前にはホームレスの黒人男性が佇んでおり、「シャッターを押すから記念写真を撮りなよ」とやって来る全員に声を掛け、チップを要求していた。
ボクシング・タウン、ペンシルバニア州フラデルフィア。WBOス―パーバンタム級王者のステファン・フルトンは、今後、当地で何を見せるか。また、今後、どんなチャンピオンが生まれるか。楽しみだ。