NBA最年少MVP選手のサヨナラセレモニー
現地時間の1月4日(土)、シカゴ・ブルズがホームアリーナにニューヨーク・ニックスを迎え、139-126で勝利した。この日、ユナイティッド・センターは満員御礼となった。ファンは東地区9位のブルズが2位のニックスを討つ姿が見たかっただけでない。チームのレジェンドの<Good Byeセレモニー>に駆け付けたかったのである。
ハーフタイムに、トンネルから姿を現したのはかつての背番号1、シカゴ近郊で生まれ、育ち、2008年のドラフト1位で地元チームを選んだ男。史上最年少の22歳でMVPを獲得したデリク・ローズだった。過去に447回このトンネルを潜った際はブルズのユニフォームを着ていたが、この日は黒に赤のピンストライプが入ったスーツという出立ちだった。
ローズが登場すると会場からは「MVP!」「M!V!!P!!!」とチャントが起こった。ブルズ時代からの盟友であるルオル・デン、ジョアキム・ノアも駆け付け、肩を抱いた。
「キミはMVP選手なだけでなく、人々のチャンピオンだ」
ノアは友をそう労った。
感涙に咽びながら、ローズもスピーチした。
「この場にお集まりの皆さん、今宵は、私の人生の旅…良いことも悪いことも、醜いこともあった…ものの確かな一部分です」
名に因んだ真っ赤な一輪の薔薇を手渡されたローズは、言った。
「シカゴ出身ですから、タフな愛を理解しています。愛情を忘れてタフネスを発揮することもありますよね。タフな環境で愛情を受けた私がコートに立ったのだから、愛を示したかった。タフさも必要だけど、いつもタフである必要はないですね」
1988年10月4日にシカゴの南部で生を享けたローズは、ドラッグディーラーが闊歩する危険地帯、かつ貧民街で成長した。母親の2人の弟はドラッグで命を落としている。長兄もヤクの売人をしていた時期があり、NBAドラフトの折には、バッググラウンドを問題視する人間も少なからず存した。
左膝前十字靭帯断裂、右膝半月板損傷、右膝半月板部分損傷と相次ぐケガに苦しみ、8シーズン在籍したブルズで256ゲームを欠場。放出された先が、この日のブルズの相手であるニックスだった。
メガネをずらして涙を拭うローズは、故郷のファンからの声援に包まれた。彼らしいフィナーレだった。
2020年2月23日、試合後のロッカールームで彼をインタビューしたことがある。NBAを取材する身なら、どうしても直接話を聞きたかった。
一つの時代が終わった寂寥感は残るが、私もデリク・ローズに心から拍手を贈りたい。