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ホームカミング下関:ベイスターズ、球団創設の地に帰る

阿佐智ベースボールジャーナリスト
来年のベイスターズの復刻試合が行われる下関球場

 23日、勤労感謝の日、横浜DeNAベイスターズのファン感謝イベントが行われ、そこで、来年のオープン戦を山口県下関市で行い、その際に、復刻ユニフォームで試合に臨むことが発表された。来年は、球団創設70周年だそうだ。ベイスターズがDeNAの手に委ねられてから早6年。若いファンの記憶は、TBSが保有していた「横浜ベイスターズ」までしかたどることはできないだろうが、その昔、この球団は大洋漁業が保有していた。本業で捕鯨をしていたことからついたニックネームが「ホエールズ」。本社の元々の商号である「林兼」からとった丸の中に「は」の文字が入った「マルハ」がシンボルマークとしてユニフォームの袖に縫い込まれていた。私事になるが、子どもの頃、この「マルハ」マークの下に交差した2本のバットが描かれた「バットの『は』」マークが近所のビルのてっぺんに描かれているというので、必死になって探した記憶がある。

来年春、ベイスターズの復刻試合が行われる下関球場
来年春、ベイスターズの復刻試合が行われる下関球場

下関で始まった球団の歴史

下関球場
下関球場

 大洋漁業がプロ野球チームを持ったのは、まだ「戦後」の色が濃かった1949年の11月のことである。前年にプロ野球ではじめてフランチャイズ制度が導入されたこともあって、この球団は、本社の拠点であった遠洋漁業の町、下関に本拠を置き、プロ野球リーグ分裂の中、セントラル・リーグに加盟した。

大洋漁業のルーツ、兵庫県明石市には創業者・中部幾次郎の像がある
大洋漁業のルーツ、兵庫県明石市には創業者・中部幾次郎の像がある

 その後、京都にフランチャイズを置く松竹球団と合併。1953年からは大阪球場をホームとする大洋松竹ロビンスとなり、「ホエールズ」の名は一旦消えるが、2シーズンで松竹は球団経営から撤退。チームも川崎にフランチャイズを移し、大洋ホエールズが復活した。オールドファンにはこの頃の、湘南カラー(オレンジと緑)のビビッドな配色のユニフォームが懐かしいだろう。

 ホエールズが現在の横浜に移転したのは、1978年のことである。当時最新鋭と言われた新築の横浜スタジアムの主として乗り込んできたのだ。40代の野球ファンにはこの時代が印象に残っているかもしれない。

 そして、バブルが崩壊し、遠洋漁業も斜陽化の一途をたどっていた1993年、大洋漁業は球団経営の幕引きを始める。本社は水産会社から総合食品メーカーへの転身を模索、社名を「マルハ」に改めるとともに、球団名から社名を外し、地域密着型球団への方向性を示すとともに、ニックネームも横浜をより連想させる「ベイスターズ」に改めた。球団名に社名が冠されることが当然だった当時、この改革は大英断だったと言って良く、現在パ・リーグに多い地域密着球団の先鞭をつけたものであったと言える。

 そして、2001年11月、球団の筆頭株主がマルハからTBSに交代。しかし、この「身売り」の際には、球団名はおろか、ユニフォームの袖のワッペン以外はユニフォームも、そしてフランチャイズ球場も変わらないという日本プロ野球史上最もスマートなオーナー交代が演じられた。その後については、ここで語る必要もないだろう。

ようやく歴史を重んじるようになったプロ野球界

昭和実質最後の1988年に建造された「新下関球場」
昭和実質最後の1988年に建造された「新下関球場」

 来年、オープン戦が行われる下関球場は、かつて大洋ホエールズが使用していた球場とは別物である。ホエールズが使用していた旧球場は現在病院の敷地となり、現球場は1988年、市の北郊の運動公園に新造された。当時は、「新下関球場」として旧球場と区別された。それ以来、ホエールズ、ベイスターズはこの球団創設の地を大事にし、オープン戦、公式戦を度々行ってきた。ずいぶん前の話になるが、私も、16年前にこの球場でベイスターズとライオンズの試合を観戦している。もちろん、当時も球団創設の地という縁があって下関球場を使ったのだろうが、当時は、とくにイベント性を持たせるわけでなく、オープン戦の地方ゲームのひとつとして行われた印象が強かった。

 今回も、その本質は、数あるオープン戦会場のひとつとして下関でも試合が組まれたのだろう。しかし、かつてのように、地方の興行主が試合を丸ごと買い取ってくれたようなことも少なくなり、平日の昼間開催が多いオープン戦はその数を減らし、実戦の調整はキャンプ地での「練習試合」にとってかわられるようになった。また、オープン戦じたいも、本拠地球場での開催が増えた。地方球場でのオープン戦は、普段プロ野球を目にすることの少ない地方都市のファンに、調整中ではあれ、プロのプレーを見せる貴重な機会なのだが、今や「絶滅危惧種」になっているのが実情だ。そういう中、地方試合にイベント性を持たせ、ファンの注目を集めようというDeNA球団の姿勢には敬意を表したい。

 そして何よりも、そのツールとしてややもすれば負の遺産ともとられてしまうかもしれない身売りと流浪の歴史を利用していることを評価したい。今回の復刻ユニフォームは大洋球団創設時のものを使用するという。高校野球のものとみまがうようなユニフォームの左胸に「Whales」の文字と、それに「まるは」のマークが縫い込まれただけのシンプルすぎるものだが、これがかえって新鮮にも映る。

 近年、日本でもプロ野球の過去を振り返るイベントが増えているが、現在の隆盛も先人の苦労があってこそのものである。球団のルーツの地で創設当時のユニフォームで「ホエールズ」が戦うこの試合は3月10日に組まれたという。この「フィールド・オブ・ドリームス」を胸にこのオフを過ごそう。

来年の春には「ホエールズ」の雄姿を下関で見ることができるだろう
来年の春には「ホエールズ」の雄姿を下関で見ることができるだろう

(写真は全て筆者撮影)

ベースボールジャーナリスト

これまで、190か国を訪ね歩き、23か国で野球を取材した経験をもつ。各国リーグともパイプをもち、これまで、多数の媒体に執筆のほか、NPB侍ジャパンのウェブサイト記事も担当した。プロからメジャーリーグ、独立リーグ、社会人野球まで広くカバー。数多くの雑誌に寄稿の他、NTT東日本の20周年記念誌作成に際しては野球について担当するなどしている。2011、2012アジアシリーズ、2018アジア大会、2019侍ジャパンシリーズ、2020、24カリビアンシリーズなど国際大会取材経験も豊富。2024年春の侍ジャパンシリーズではヨーロッパ代表のリエゾンスタッフとして帯同した。

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