共感が顧客基盤をコミュニティにするとき
豊かな社会においては、商品は飽和し、消費の多様化が進行します。消費者は、商品の効用だけを求めているのではなく、効用以上の多様な何かを求めているのですが、例えば、その一つは商品への共感であり、商品の製作者への共感です。
ブランドとは
ある著者の本に深い感銘を受けたとき、同じ著者が書いた全ての本を手に入れようと思うのは、他の著書も読んでみたいという気持ち以上に、著者に対する共感によるのです。おそらくは、本は必ずしも読まれるためだけに発行されるのではなく、例えば、ある著者の個人全集が発行されるのは、読者の利便性を高めて読まれるためよりも、愛好者の共感に訴えて単に所有されるためです。
ならば、売られているのは本ではなく、本が表象する著者なのです。同様に、身に着けるものを買うとき、特定の好みのブランドの商品を選ぶのは、実は、商品を買っているのではなく、商品に付されたブランドを買っているのです。要は、服ではなく、ブランドを身に着けているわけですが、それはブランドに愛着があるからです。
美味しさとは
美味しいと評判の店は、確かに美味しいのでしょうが、美味しいとの評判があれば、より美味しいと感じる、あるいは、より美味しいと信じるわけですから、食べられているのは、美味しい食べ物であるとしても、同時に、美味しいとの評判も食べられているのです。実際、経済学的にも、美味しいラーメン屋に行列ができるとするのは供給優先の考え方で、需要優先に考えれば、行列ができているラーメン屋が美味しいのです。
いずれにしても、ブランドや美味しさは、それを信じる顧客基盤のなかでのみ成立するものであり、逆にいえば、ブランドや美味しさを成立させるものが真の顧客基盤なのであって、商品がブランドになり、食べ物が美味しくなるためには、商品や食べ物を支持する真の顧客基盤が確立していなければならないのです。
コミュニティとは
コミュニティは単なる人の集団ではなく、何かを共通して信じる人の集団であり、何かの文化価値を共有する人の集団です。例えば、起源の神話を共有する範囲がコミュニティとしての民族であり、風習等の民俗を共有する範囲がコミュニティとしての地域であり、氏神様を共有して例祭に参加する範囲が地域の最小単位のコミュニティなのです。逆に、何かの価値を共有する人の集団がコミュニティならば、顧客基盤、即ち、ブランドとしての価値や美味しさを信じる人の集団はコミュニティです。
コミュニティのなかでは、例えば、民族の起源の神話に共通した親しみが感じられるように、あるブランドの衣服に共通した満足感が感じられるように、ある食べ物に共通して美味しさが感じられるように、共通した感情や感覚、即ち、共感が成立しています。コミュニティとしての顧客基盤は、商品と、その商品の製作者への共感の上に成立しているのです。
顧客との共通利益の創造
商業の王道は顧客との共通利益を創出することで、このことは、例えば、近江商人の三方よしとして古くから知られています。つまり、商品が顧客の役に立つこと、即ち、商品の効用が顧客の需要を充足することは顧客の利益であり、顧客に利益があるからこそ商品が売れることは商人の利益なのです。
しかし、これは、顧客の利益を守ることが商人の利益になるという商業道徳を説くものであり、商人の立場からする共通利益の創出であって、そこに共感があるわけではありません。共感とは、当然のことながら、顧客側の参画が前提されたものであって、共感に基づく共通利益は、商人と顧客との協働によって創出されるものです。
クラウドファンディングの本質
巷には多種多様なクラウドファンディングと称するものが溢れているようですが、それが真のクラウドファンディングであるためには、顧客の商品もしくは商品の製作者に対する共感は必須であり、その共感に基づき、顧客の商品もしくは商品の製作者に対する応援として、購買のなされることが要件なのです。
そして、ここでの共通利益の創出においては、単に顧客の需要が適切に充足されるだけではなく、顧客は、共感に基づく参画によって、何らかの経済的利得を得ることになります。例えば、生産量が試作品程度であるために価格が高いものでも、商品の支持者が増えれば、量産効果によって価格が下落する、あるいは、そもそも、一定数以上の商品の支持者を得て、はじめて生産が可能になり、商品を手に入れることができるなどです。
顧客が出資者になること
クラウドファンディングは、ファンディング、即ち、資金調達という名前が示すように、商品の製作者に対する金融支援なのですから、購買型、即ち、商品の購入によって資金支援を行う形態が主流になっているとしても、当然に出資型もあり得ます。
しかし、出資型にしたとき、どのようにして出資者に利益還元をするかは大きな問題です。例えば、仮に株式会社にして上場を目指すことにすれば、規模の拡大を志向せざるを得ず、共感を基礎にしたコミュニティとしての事業構造は維持し難くなりますし、非公開を前提とするのならば、コミュニティに相応しい組織を工夫する必要があります。実際、金融におけるコミュニティ事業の仕組みとしては、信用金庫と信用組合という特別な法人が法定されています。
第二地方銀行の非公開化
現に、上場している第二地方銀行については、株価が著しく低迷していることを背景に、非公開化の可能性が論じられています。第二地方銀行は、相互銀行が普通銀行化したもので、相互銀行は無尽会社が銀行化したものなので、創業の原点においては、コミュニティ事業だったからです。
しかし、ここで決定的に重要なことは、今の第二地方銀行は、コミュニティの名に値する真の顧客基盤を有しているのか、顧客との間に共感を維持できているのか、何らかの文化的な価値を顧客と共有できているのかという根源の問いであり、より現実的な問いとしては、出資に応じる顧客はあるのかという問いです。
同じ問いは、信用金庫と信用組合にも向けられるべきです。なぜなら、信用金庫と信用組合は、形式上は、それぞれ会員と組合員によって所有される協同組織、即ち、コミュニティであるにしても、今や、共感なり、文化的な価値の共有が失われつつあることは否定できず、もはや、存立の基盤が大きく揺らいでいて、おそらくは、新たなる共感の創造のもとで、コミュニティと呼ばれ得るだけの堅固な顧客基盤を再興できない限り、生き残れないからです。
ステークホルダーによる非公開化
上場企業は、上場する目的が成長のための資金調達である以上は、成長し続けなければなりません。そして、成長が止まった企業は、株価が低迷することで、買収による非公開化が促される、これが市場機能ですから、そうした企業が大量に上場し続けていること自体、日本の株式市場の機能不全を示しているのです。
非公開化は必ずしも他社による買収である必要はなく、むしろ、独立した企業としての存立が志向されて、経営者、従業員、取引先企業、顧客などの何らかのステークホルダーによって買収されるほうが望ましいわけです。
仮に、取引先企業や顧客によって買収されれば、まさにコミュニティ事業になりますが、それが可能になるほどに強い顧客の共感があり、買収によって、それが再確認されれば、成長こそしないものの、事業基盤は強化されて経営は安定し、ステークホルダー全てにとって望ましい帰結を生むかもしれません。これは今後の企業経営の一つの理想でしょう。
また、上場費用は、不特定多数の株主を得ようとする費用であり、営業費用は、不特定多数の顧客を得ようとする費用であって、現にある株主や顧客の利益につながりませんが、共感に基づくコミュニティ事業においては、それらの費用は不要となり、顧客との共通価値の創造の方向に費用構造が合理化されるのです。