映画『渇水』で描かれる水道停止と社会的孤立
「水と安全はタダ」という言葉をときおり聞く。この言葉は『日本人とユダヤ人』(イザヤ・ベンダサン著)の一節で、「日本人は水と空気と安全はタダだと思っている」と記述されている。
映画『渇水』を見ると「水はタダではない」ことをあらためて思い知らされる。自然界の水は無料だが、水道には料金がかかる。水道施設・設備、運営などにかかる費用を利用者の人数で割って計算する。だから料金は自治体ごとに異なり、最も安い兵庫県赤穂市が853円であるのに対し、最も高い北海道夕張市は6841円と8倍の格差がある(20立方メートル当たりの料金)。
水道は毎日の生活になくてはならない。1950年に26.2%だった水道普及率は、高度経済成長期に飛躍的に伸び、現在は98.1%。だが、人口減少や水道施設の老朽化対応から水道料金はじわじわと上がっている。
そして映画『渇水』で描かれているように、料金を支払わないと水道は止まる。水道事業者は、料金滞納が続く利用者に対し、水道法や自治体の条例に基づき、給水停止処分を行うことができる。
水道職員の岩切(生田斗真氏)は毎日、給水停止を仕事としている。「停水、お願いします」の声とともに、ルールに基づき、機械的に水を止めていく。各家の水道メーター付近にある止水栓を回し、そのうえからキャップを付けて利用者が開栓できないようにする。わずかな時間の作業だが、蛇口をひねっても水は出なくなる。
生きていくには水が必要だ。人は水と睡眠をしっかりとれば、食べものがなくても2〜3週間は生きていられる。だが、水が飲めないと、せいぜい4〜5日で死んでしまう。停水とは暮らしの生命線を断つ仕事。市民の水を守る使命をもつ水道職員にとって、ミッションとは真逆の行動と言える。そんな仕事を粛々と行う岩切の心にはどんな風景が映っていたのだろうか。
「水道が出ないならペットボトルの水を飲めばいい」などという話では当然ない。映画に登場する幼い姉妹は母親に捨てられ、金もなく、すでにガスも電気も止まっている。そうした状況のなかで、岩切は生命線を断つ。気候変動の影響からか、長期間にわたって降雨がなく、水道局は節水を求め、公共プールからも水が抜かれている。幼い姉妹が近所の家の水道から水を盗んだり、ペットボトル水を万引きしたりして命をつなぐ姿がせつない。
実際の停水には以下のようなプロセスがあり、納付期限を守らなければすぐに水が止まるわけではない。
どうしても水道代が払えない場合には、早めに水道局へ相談するよう呼びかけられている。水道代が払えないほど困窮しているならば、生活保護受給者に該当している可能性も高い。水道局への相談経由で、低所得者向けの減免措置申請を行ってもらえる可能性もある。事前相談があれば、給水停止にまでは至らずに、分割払い納付や減免措置を受けられる。
しかし、社会的に孤立しているため、相談や申請を行わない、行えないケースもある。
2019年12、東京都江東区の集合住宅で72歳と66歳の兄弟が痩せ細った状態で死亡しているのが見つかった。電気やガスが止められ食べ物もほとんどなかった。料金の滞納で水道が止められる直前だったが、生活保護の申請はしていなかった。
劇中の姉妹も、父親は行方知れず、母親に捨てられ、他に頼る大人も皆無だ。社会的に孤立しているのである。
水道を止められる様子が、社会との断絶、人間関係の断絶を想起させる。水を止められるのは地獄。だが、止める側は何ともないわけではないだろう。止められるのも止めるのも地獄なのだ。はたして渇いていたのは何だったのか。生きるとは何か、水とは何かをあらためて考えさせられた。
映画『渇水』
6月2日(金)より全国公開中
(c)「渇水」製作委員会