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不安を煽り、 生命を商品化する社会

大野和興ジャーナリスト(農業・食料問題)、日刊ベリタ編集長

 高血圧市場を拡大せよ

 朝、新聞を広げると、血圧の正常値が140から130に引き下げられた、という記事が飛び込んできました。今年の4月のことです。

 いきなりなんだよ、と記事に目を通したのですが、正確には日本高血圧学会のガイドラインの数字で、その内容が改訂されたという記事です。それまで血圧は上が140、下が90を超えると「高血圧」と診断されていましたが、新しいガイドライン(高血圧治療ガイドライン2019)では、「高血圧は140/90mmHg以上とする」という基準はそのままに、新たに高血圧患者が血圧を下げる目標値を定め、75歳未満の人は130/80mmHgとしたのです。つまり、これまで治療の必要がなかった人も、高血圧ということで薬を飲ませられることになったわけです。

 個人的にも血圧については大いに関心があるので、記事をじっくり読みましたが、いくら読んでもいきなり正常値の範囲を狭くした理由がよくわかりません。自分なりにいろいろ考えて思いついたのは、これで高血圧症の患者が増え、医者と薬屋が儲かるだろうなという下世話な結論でした。

 血圧が低いほど心筋梗塞などのリスクが少なくなることはたしかです。しかし、そのことと血圧症診断基準の緩和で患者を増やし、より多くの薬を飲ませることのリスクを比べて、どちらのリスクが高いかと問われれば、薬の副作用や体質、日ごろの生活習慣など個人差なども考えれば、どちらともいえないというのが現実だと思います。厚生労働書の『国民健康・栄養調査』(2017年)によると、70歳以上の高齢者の52%が降圧剤を飲んでいます。この膨大な高血圧市場をいっそう拡大したいという製薬業界と医療業界の思惑が見え隠れしています。

 不安を煽れ、という商法がいま、食と医・薬の分野で蔓延しています。消費者の不安をつくり出し、それを市場化するという商法です。農・食と医・薬を共通項でくくると、「生命」という言葉が浮かんできます。つまり、「生命の商品化」という概念で語ることができます。高血圧の話はほんの一部にすぎません。食の分野でいえば、特定保健用食品(トクホ)とか機能性食品とか名づけられた消費者庁お墨付きのレッテルを貼った食品が次々市場に投入されています。その背後にいるのは巨大化し、寡占化した食品産業です。製薬産業も食品産業もいまでは多国籍化し、巨大化しています。そして、よりいっそうの「生命の商品化」を求めて世界中をかけめぐり、市場拡大につとめています。 

安定し拡大する日本の医薬品市場

 現実になにが起きているのか。日米政府間で合意し、国会で審議がはじまった「日米貿易協定」を念頭に、医・薬にしぼって世界市場の動きをみていきます。

 薬の世界市場の規模はざっくりみて100兆円足らずです。そのうち日本市場の規模はほぼ11兆円、1割ほどです。国産が7兆円、4兆円が輸入です。人口割合でみたら、日本の人たちがいかに薬を愛用しているかがわかります。製薬資本にとって、こうした日本市場をこじあけることは大きな魅力です。なぜなら、日本の薬市場はきわめてしっかりしているからです。それは、国民皆保険という制度に守られてとりっぱぐれがない、安定した市場だからです。

 TPP交渉にさいして、米国は薬の特許期間の延長を主張、日本はそれを受けて2016年にTPP関連法を成立させたさい、特許権を5年間延長させることができる制度を盛り込みました。また、米国はバイオ医薬品などに関し、薬のデータ保護期間を延長させることを強く主張しました。

 その後、米国大統領にえらばれたトランプ氏がTPPからの撤退を選択、自由貿易交渉の場を2国間に定め、アジア太平洋地域の12カ国参加ですすんでいたTPPは、アメリカ抜きの11カ国となり、現在に至っています。日本政府も米トランプ政権との交渉に入り、とりあえずの合意が成立したところです。日米交渉は自動車と農産物がクローズアップされていますが、医薬品についても米国のこだわりは強く、今後TPPで合意した水準以上の要求が突きつけられる可能性があります。

米国と連動する日本の規制緩和

 食品についていえば、ゲノム編集でつくられた食品の輸入問題がクローズアップされています。

 ゲノム編集とは、ある目的に沿って遺伝子を切り取ったり貼りつけたりする技術です。たとえば豚の大きくなる遺伝子を切り取ると、ほんらいの大きさより小柄な豚が生まれます。中国では、こうしてつくられ愛玩用のマイクロ豚が販売されているそうです。日本は、こうしたゲノム編集食品について、多くの場合、規制しないし表示義務もないという方針です。

 政府がこうした方針を打ちだした背景には、米国からのゲノム編集食品の輸入をスムーズにしたいという意図があるようです。ゲノム編集食品の追求している科学ジャーナリストの天笠啓介さん(遺伝子組み換え食品いらない! キャンペーン代表)は、「ゲノム編集食品がいよいよ輸入へ」題して日本消費者連盟発行『消費者リポート』(2019年8月号)で以下のような事実を指摘しています。

 一つはカリクスト社の動きです。2016年ウドンコ病抵抗性の小麦、18年に高植物繊維小麦を開発、20年から栽培を開始。18年高オレイン酸大豆栽培開始。すでにこの大豆は米国中西部でファーストフード店で「健康に良い」ことを売り物に使用されています。

 もう一つはサイバス社の動きで、この6月にゲノム編集した大豆の種子販売を開始。ある種の除草剤に耐性がある大豆です。

 ゲノム編集食品については規制に対する考え方が国・地域によってまちまちで、EUでは遺伝子組み換え食品なみの規制をかける動きが現実化しています。対して米国は規制をしない方針で、日本政府はそれに追随しています。ということは、米国からの大量に輸入される食品の中に、消費者になにも知らされないままゲノム編集食品が混じってしまういることになります。

 日本の場合、小麦も大豆も国内生産はごく僅かで、ほとんどを輸入に頼っています。ゲノム編集大豆を開発したサイバス社は巨大穀物商社カーギルと提携しており、世界中にゲノム編集ダイズを売りさばくことが予想されます。また、日本でもご飯と並んで主食となっているパン、麺類も安心して食べることができなくなります。

人も社会も“薬漬け“

 以上みてきた国際的な市場化の流れは、生活の場にあっても私たちの生命を蝕む現実を引き起こしています。最後にそのことを考えます。

●線引きがあいまいに

 近年の大きな特徴は、食品と医薬品の区別が次第にあいまいになってきていることです。法律上は、食品と医薬品は厳密に区別されます。

 『食品衛生法』によると、食品とは「医薬品及び医薬部外品をのぞくすべての飲食物」とされます。一方、医薬品は「医薬品、医療器具等の品質、有効性及び安全性の確保等に関する法律」で定義されています。いまでは多くの人が口にするサプリメントを含む健康食品は食品に分類されます。

 テレビコマーシャルなどにサプリメントが登場するようになるのは1990年代ですが、当時は医薬品と間違われないようカプセル入りや錠剤状のものは認められませんでした。この規制が厚生労働省によって緩和されるのは90年代終わりからで、順次錠剤やカプセルのサプリメントがは出回るようになりました。その背後には、日本市場に進出したい米国からの規制緩和の要請があったとされています。

 こうしてサプリメントを含むいわゆる健康食品は成長産業として市場を拡大、いまやその市場規模は、特定保健用食品(トクホ)なども含めると1兆8975億円(2018年)と年々拡大しています(『健康産業新聞』まとめ)。

背後にあるのは、人びとの健康不安です。現代社会のストレスは人びとの心身を蝕み、さらにそれをテレビコマーシャルなどが煽り、不安に駆られた人が「健康食品」に飛びつく、先にも触れた「生命の商品化」です。

●市場がつくりだす過剰

 医療・医薬品でも深刻な問題がでています。過剰診療と過剰投与という現実です。ここでも人びとの不安感情を市場化し、生命そのものを商品にしてしまう力学が働いています。冒頭に述べた高血圧基準の拡大(規制緩和)とも関連する高齢者の多剤服用はその典型ですが、ここでは発達障がいや知的障がいをもつ子どもたちへの投薬問題を考えてみます。

 この2年、地元の特別支援学校の高等部の生徒さんと農作業をともにしています。毎週2日、とても楽しい時間を過ごすのですが、そこで知ったことの一つに、子どもたちの多くが薬を処方され、継続的に飲んでいるという事実です。

 人はいつも機嫌よく過ごすことなどありえません。憂うつになったりイライラしたり、1日に間でも気分は変化します。それが平常というものです。登校する特別支援学校の子どもたちと毎朝道で会ってあいさつを交わすのですが、たいがい天気のいい日は元気いい返事が、雨模様の日はなんとなく憂うつそうな返事が返ってきます。自然の状態に素直に反応するその様はとても素直でいいなと思うのですが、管理する側、保護する側は気になるらしく、その変化を薬で抑えようと考えるようです。

 不安に駆られる人々とその不安を市場に変えようとする資本がマッチングして、人も社会も薬漬けにする、その連環をどう断ち切るかが、いま問われています。

ジャーナリスト(農業・食料問題)、日刊ベリタ編集長

1940年、愛媛県生まれ。四国山地のまっただ中で育ち、村歩きを仕事として日本とアジアの村を歩く。村の視座からの発信を心掛けてきた。著書に『農と食の政治経済学』(緑風出版)、『百姓の義ームラを守る・ムラを超える』(社会評論社)、『日本の農業を考える』(岩波書店)、『食大乱の時代』(七つ森書館)、『百姓が時代を創る』(七つ森書館)『農と食の戦後史ー敗戦からポスト・コロナまで』(緑風出版)ほか多数。ドキュメンタリー映像監督作品『出稼ぎの時代から』。独立系ニュースサイト日刊ベリタ編集長、NPO法人日本消費消費者連盟顧問 国際有機農業映画祭運営委員会。

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