【バスケットボール】藤本愛妃 “母娘オリンピアン”の夢に向かって
アジアカップ3連覇達成で勢いづいている女子バスケットボール界に、母娘2代の五輪舞台を目指すホープがいる。
女子ユニバーシアード日本代表の藤本愛妃(あき・東京医療保健大2年)は、父がプロ野球元オリックスの藤本俊彦さん、母が女子バレーボール全日本でバルセロナ五輪、アトランタ五輪に出場した山内(旧姓)美加さん、そして妹の愛瑚さん(桜花学園高3年)も女子バスケットボールU18日本代表候補というアスリート一家の長女だ。
父から教えられたプロの厳しさ、母が語ってくれた五輪の魅力を胸に、夢に向かって一歩一歩前進していこうとしている。
■母と一緒にバレーボールも
バスケットを始めたのは地元徳島市の小学校3年のとき。学校の友人に誘われ、ミニバスケットボール(ミニバス)のチームに入った。
「小さい頃から背が高かったので、声を掛けてもらいました」
1、2年生時は母の教えでバレーボールの練習をしていた。いずれはバレーを本格的にやろうと思っていたが、ミニバスの練習に参加してみるとすぐにシュートの魅力にとりつかれ、夢中になった。母に「バスケをやりたい」と言うと、気持ちよく背中を押してくれた。
地元の中学を卒業後、バスケットの名門・桜花学園(愛知)に進学。U16日本代表に選ばれるなど大器と期待されたが、高校時代はケガに泣いた。入学してすぐに肉離れ、そして足首の捻挫。ケガが多く、コンスタントな活躍はままならなかった。
「メンバーに入れたのに怪我で出られなくなったり、悔しい思いをすることが多かった」
だが、大学入学後は1年のときに捻挫をしたのが最後で、今年はケガをしていない。現在は8月19日から始まるユニバーシアード大会(チャイニーズ・タイペイ 台北市)での金メダル獲得を目指して日々特訓中だ。
■母「オリンピックは特別すぎるくらい特別な舞台」
昨夏、リオデジャネイロ五輪に出場した女子日本代表“アカツキファイブ”の戦いに胸を打たれた。中でも、女王アメリカを相手にハーフタイム近くまで競り合った準々決勝には大興奮した。幼い頃、母から聞いていた「オリンピックの魅力」が地球の裏側から直に伝わってくるようだった。
前述の通り、母の美加さんは、全日本女子バレーのエースアタッカーとして五輪2大会に出場した名選手だった。身長182センチメートル、最高到達点317センチメートルの高さを生かした豪快なバックアタックは相手を震え上がらせ、見る者をとりこにした。
藤本がミニバスチームに入って2年ほどたった小5のころのことだ。以前から母がオリンピック選手だったことは知っていたが、それがどういう意味合いを持つのか、今ひとつ分からなかった。5年生になり、オリンピックがどのような大会なのかが分かってくるに連れ、母に質問することが増えた。
「どんなところだったの?」「どんな思いだったの?」
母はこう言った。
「オリンピックは特別すぎるくらい特別な舞台。だから、スポーツをやっていてチャンスがあるのなら、ぜひ目指すべきよ」
■父「人の2倍の練習を」
桜花学園に進んでからは、元プロ野球選手の父の教えが支えになった。
父・俊彦さんは徳島商から1990年にドラフト4位でオリックスに入団。捕手や外野手としてプレーしたが一軍での出場機会は少なく、ひたすら努力を積み重ねた苦労人だ。引退は95年だった。
小学生のころから藤本は、父に「プロアスリートの厳しさ」を教え込まれていた。しかし、試合に出るのは当たり前、そして出るたびに毎回得点を量産する少女にとっては、興味をそそられる話ではなかった。
ところが、選りすぐりの選手がそろう桜花学園に入ってからは、状況が変わった。実力を認められなければ試合に出られない。努力しなければ生き残っていけない。その現実に直面したとき、父の言葉がずしりと胸に響いた。
「父の言葉で最も影響されたのは『人の2倍はやらないと絶対にうまくなれない』というものでした。
父は本当に努力の人だったと思います。人より先に練習に行き、何本も打ち込んでから練習に入り、全体練習の後も残って練習。休みの日も何か練習をしてからじゃないと遊びに行かない。常に野球のことを考え、いかに良いコンディション、良いモチベーションで野球をできるかを考えていたと思うんです。
今、自分が疲れたなと思って休むじゃないですか。そしたらスッと思い出すんです。お父さんはこういう時にも練習していたんだな、じゃあ、自分もシュート打とうかな、と」
■身長2mの選手とマッチアップ
桜花学園時代はパワーフォワード(4番)でプレーし、外角のシュートやドライブも得意だった。けれども、大学に入ってからはセンター(5番)としてプレーしており、ユニバーシアード代表チームでもポジションはセンター。身長179センチメートルと、センターとしては小柄だが、与えられたポジションで役割を全うしようと奮闘する毎日だ。
「(身長)2mのセンターをマークするプレーが求められますから、ガリガリやっていますよ」と、前向きに取り組んでいる。
選手個人として課題と感じているのは、波があること。「点を取れる時と、取れない時との波があるので、メンタル的なコンディションの持っていき方が個人としての課題です」
ユニバーシアード代表チームでの戦術的課題は、やはり、身長差のある大きな選手への対応だ。
「国際試合では20センチ以上大きい選手とのマッチアップもあるので、タフな状況になります。自分が相手を上回れるのは走力。走ることに関しては自信があるので、そこでしっかり勝って点を取りたい。守備では少しでも相手にリバウンド取らせないように心がけています」
藤本の武器は桜花学園時代に習得した細かいテクニックだ。
「桜花に行った当初、普通のプレーをしてたら全然最初通用しなかったんです。そこで工夫したのが、小技の部分。フェードアウェイという、後ろに跳びながらシュートを打つプレーや、ハイポストからの高速ドライブが得意です」
そんな藤本にとって東京五輪は「もちろんあこがれですし、いつかは出てみたい」という舞台だ。しかし、「今はユニバーシアードで頑張ることが自分の課題」と目の前の戦いに目を向ける。
トップアスリートとして生きてきた両親の薫陶により、スポーツの持つ魅力や良識の中でまっすぐに成長してきた藤本。その目はキラキラと輝いている。