阿吽の龍神(狛龍)が鎮座する 伏見神宝神社と、堂本印象が描いた『蒼龍図』を掲げる東福寺へ
まずはJR奈良線稲荷駅から、全国に約3万あるとされる稲荷神社の総本宮である伏見稲荷大社へ。和銅4(711)年に秦伊呂具によって創建された。
本殿は応仁の乱の後、明応8(1499)年の再建で重要文化財に指定、裏には有名な千本鳥居が連なっており、神蹟や無数に点在するお塚を巡拝することができる。
千本鳥居を抜けた場所にある奥社奉拝所から少し進むと、左手に根上りの松、右手は伏見神宝神社への山道へ。徒歩2分ほどで美しい竹林が広がり、鳥居が見えてくる。創建は不詳ながら平安時代に端を発し、かつては稲荷山上に祀られていたとされる。仁和年間(885~89)に宇多天皇からも大神宝使が贈られ、皇室の信仰を集めたが、中世以降は廃れ、昭和32(1957)年に再建された。
境内の摂社・末社には、龍頭社、八大龍王大神、白龍大神が祀られ、まさに龍神のパワースポットで、今年は注目されている。筆者は1月に6度ご案内をしたが、いつも賑わっていた。
その後、千本鳥居に戻って、産場稲荷神社へ。伏見稲荷大社の「山宮巡拝」の中で、最後にお参りする場所で、願いが産まれる場所として参拝者が今も立ち寄っている。またこの場所に、神の使いである狐夫婦が土の穴を掘って住み、子供が産まれ、愛情をこめて子供を育てたことから、狐神は人の子を守護するという子宝、安産の神様として信仰されるようになった。
現在も神社内の塚には、時計回りに1月~12月の「狐穴」が一つずつ開いており、予定産み月の狐穴に祈願すると、安産で生まれてくると信じられている。
伏見稲荷大社と東福寺は、明治維新まではほぼ接しており、産場稲荷神社の横の道を北上して住宅街を抜けると、東福寺の塔頭寺院である南明院が見えてくる。
応永21(1414)年に室町幕府4代将軍足利義持が創建、東福寺の画僧・吉山明兆も住職を務め、明兆自画像も所持している。
境内には徳川家康の正室で、豊臣秀吉の妹の旭姫のお墓があり、そのことから、徳川家康、秀忠、家光の歴代将軍が上洛するたびに墓参したと伝わる。
最後に東福寺の境内に入ると、圧倒的なスケールの伽藍が並ぶ。特に国宝の三門、重要文化財の庫裏と禅堂は中世以来の存在感を放っている。そして法堂の天井には、堂本印象の『蒼龍図』が描かれている。42歳の時に厄落としも兼ねて、たったか17日間で仕上げたとされ、その勢いに圧倒される。
東福寺には全部で25の塔頭寺院がある。北に抜けていきながら、桔梗の美しい天得院や、藤原道長が造立した不動明王を祀る同聚院、花手水や御朱印で人気になった勝林寺など、魅力的なお寺にも時間の許す限り、立ち寄って大寺院の魅力を満喫して欲しい。