「みんなで鍋をつつくって、本当にあるんだね」 ~1ミリでも進める子どもの貧困対策~
「あたりまえ」の欠如
ある「こども食堂」での話。
今日は鍋にしようと、大人たちが鍋料理をつくり、子どもたちと食べた。
高校生の女の子が「みんなで鍋をつつくって、本当にあるんだね」と言った。
彼女には、その経験がなかった。みんなで鍋をつつくというのは、テレビの中でだけ起こっているフィクションの世界の話だと思っていた。スーパーマンが空を飛ぶように。
同様の話を、よく聞く。
大学生のボランティアに会った中3生が「大学生って、本当にいるんだね」と言った。簡単なクリスマスパーティをしたら「これって現実なのかなぁ」と驚いた。中3生でも「偏差値」という言葉を知らない。高校生でもテストで先生を呼び止めて「『氏名』ってなんて読むの?」と聞く。
「あたりまえ」の経験や知識が欠如してしまっている子どもたちが増えている。
この子たちが世の中を回すようになったとき、世の中はどうなるんだろうか。
広くて深い、子どもの貧困
右肩上がりで増え続け、広がり続ける子どもの貧困。
14.2%(06年)から16.3%(12年)と、伸び率は同期間の全国平均の5倍を超える。
0~17歳人口2014万人のうち約328万人。6人に1人にあたる。
さらに、4月に発表されたユニセフ調査によれば、日本は貧困の「深度」も深い。
詳しい説明は省くが、所得の低い順に子ども100人を並べた場合、下から10番目の子どもは、50番目の子どもの4割以上所得が少ない。
調査を行った首都大学の阿部彩教授は「日本とよく比較されるアメリカにおいても、日本より貧困の度合いは浅く、日本よりこれが高いのはルーマニア、ブルガリアなどの東欧の一部、メキシコ、ギリシャ、イタリア、スペイン、イスラエルとなります」と指摘する(ユニセフ報告書。http://www.unicef.or.jp/library/pdf/labo_rc13j.pdf。表の「筆者」は阿部彩氏)。
貧困の「広がり」だけでなく、一般家庭との格差も「深い」、日本の子どもたち。
人口減少、超少子高齢化の中、これからの子どもたちにはますますがんばってもらわなければ、国そのものが立ちいかなくなる。
人工知能などの急速な展開・普及の中、ますます高度人材が必要と言われてもいる。
このままではヤバイ。
「あたりまえ」の経験と学力をもつ子どもが増え、すそ野が広がれば、そこから有能な子が育っていく確率も上がるだろう。それは、日本の発展と成長を願う私たちにもメリットのある話だ。
お金だけの問題ではない。同時に、子どもの発達を支える最低限のお金は必要だ。
早急に、できるところから、着手する必要がある。
立ち上がる人々
どうするか。
嘆いていても、その子たちの状況は改善しない。
「親は何やってるんだ!」といらだつだけでも、改善しない。
1ミリでもいい。動かすことが必要だ。
多くの人たちが、この1ミリを動かすために立ち上がっている。
子どもたちに新しい機会や体験を提供する活動があり、人生の選択肢を広げる資金を提供する活動がある。
NPO法人キッズドア(渡辺由美子理事長)は「タダゼミ」という学習支援活動を展開し、通ってきている子どもたちの高校進学率を100%にしている。そこには多くの大学生たちが、ボランティアとして参加している。
食事を提供する支援もある。NPO法人豊島子どもWAKUWAKUネットワーク(栗林知絵子理事長)は、子どもたちが集まって食事する場をつくり、そこから気になる子どもを支える態勢をつくる。地域の大人たちが連携して、自治会・議員・行政も含めて、子どもとその親を支える。かつて高校進学すらためらっていた女の子が、今春、保育士の専門学校に入学した。
公益財団法人子どもの貧困対策センター・あすのば(小河光治代表理事。私もアドバイザーを勤める)は「入学・新生活応援給付金」として、街頭募金などで集めた浄財を、小学校・中学校入学生3万円、中学校卒業生4万円、高校卒業生など5万円を給付する(返済不要、成績不問)。
行政も動いている。
国は「子供の貧困対策推進法」をつくり(2013年)、大綱を策定し、予算(「子供未来応援交付金」)をつけ、民間の寄付を集めるための「子供未来応援基金」もつくった。基金は、発足から半年余りで6億円を超える資金を集めており、これからも増えるだろう。
自治体も動いている。沖縄県は県内の子どもの貧困率を推計し(29.9%)、今年度の対策費を30億円計上した。長野県は、ルートイングループからの寄付をもとに、児童養護施設などの子どもたちの進学を支援する「長野県飛び立て若者!奨学金」を創設した(2015年)。
市町村レベルでは、全国161の市町村長の参加を得て、「子供の未来を応援する首長連合」が発足した。
これらは、ホンの一例にすぎない。
お金だけの問題ではない。同時に、人生の選択肢を広げる最低限のお金は欠かせない。
関係を提供し、お金をかける。私たちは、そうやって育てられてきた。その機会を子どもたちに。
されど1ミリ
すべての子どもたちに届いているかと言えば、そうではない。金額が十分かと言えば、そうではない。
「それで十分か」と問えば、誰一人「十分だ」と答える者はいない。そんなことは、やっている本人たちが一番わかっている。
「もっと根本的な対策が必要だ」と言えば、それもまったくその通りと答える他ない。そんなことも、やっている本人たちが一番わかっている。
それでも、1ミリを進める。
その1ミリには、「不十分」「もっと根本的」とだけ指摘する言葉の1万倍の価値がある。
たかが1ミリ、されど1ミリ。
1ミリ動かすのに、どれだけの労力が必要か。やっている人(実践者)にはよくわかる。やっていない人(評論家)にはわからない。
私は社会活動家として、実践者の側に立つ。
1ミリを動かすどんな試みが巷に溢れているか。
これから、その諸相を紹介していく。
そこには、状況の厳しさと同時に、それに立ち向かう希望が示されるだろう。
子どもの貧困は減らせる。
私たちの社会は、私たちの手で変えていける。
それは、たった1ミリに敬意を払う、私たち自身の姿勢から始まるはずだ。
(2016年7月2日、誤字を修正)