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「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」なずなの描かれ方は男目線?アメリカの批評

猿渡由紀L.A.在住映画ジャーナリスト
「L.A. Times」の批評記事(筆者撮影)

 全米で花火が上がる独立記念日の週に合わせて、「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」がアメリカで限定公開された。タイトルは、シンプルに「Fireworks(花火)」。昨年の「君の名は。」公開時はもっと規模が大きく、英語吹き替え版と、英語字幕付き版が用意されたが、今作は上映都市がL.A.とニューヨークのみで、字幕付きだけだ。

 批評が出ているのも、当然、この2都市のメディアのみ。数はかなり限られているが、その多くが「恋はデジャ・ブ」「スライディング・ドア」などを思い出させると述べた。中で好意的なのは、業界向けサイトTheWrap.comのウィリアム・ビビアーニ。「若い恋人たちが、その年頃らしく、経験の浅さから来る愚かな間違いをおかし、共感できるような不安を抱えているのを見るのは素敵」というのが、ビビアーニの感想。彼はまた「新房昭之と武内宣之監督は、これらのキャラクターが成長するのを我慢強く待っているかのようだ。演出は、穏やかかつ落ち着きがあり、タイムトラベルのスリルよりも、自転車に乗っている時に吹いてくる風の感触などのほうにもっと重点を置いている感じ」「今作は、空想の話を、成熟した手で、品位をもって語るもの」とも書く。

 しかし、ほかの批評は、おおむね否定的だ。「君の名は。」を絶賛した「L.A. Times」のジャスティン・チャンは、「たしかに同じプロデューサーが関わっているが、それ以外でこの2作品を比べるのは冒涜」という。「君の名は。」のストーリーはもっと凝っていて、ビジュアルも美しかったというのがその理由だ。「この打ち上げ花火はどこから見てもつまらない」という文で、チャンは記事を締めくくっている。

 RogerEbert.comのクリスティ・レマイアも、今作を「退屈」と言い切った。「『スライディング・ドア』にしろ、『オール・ユー・ニード・イズ・キル』にしろ、時間の要素が出てくる話は、その都度、新しい視点を与えてくれて、おもしろいもの。でも、この映画では何も新しい意味が出てこず、毎回が同じことの繰り返しのように感じられて退屈」というのだ。「もっとひどいのは、その度に典道の友達が『打ち上げ花火は横から見たら丸いのか、平べったいのか』と議論するのを聞かされること。この会話は、視点というテーマを示唆しているのだろうが、最初に聞かされた時も退屈だったのに、私たちはそれを何度も聞くことを強いられるのである」とも述べる。「New York Times」のベン・キングスバーグも、中学生を主人公にしたこの映画のストーリーを「中学生レベル」と突き放した。

アニメも「#MeToo」「#TimesUp」の時代には逆らえない

 もうひとつ、非難の対象となっているのが、女子中学生なずなの描かれ方だ。

「Village Voice」のシェリリン・コネリーは、なずなが「奔放な心を持った性の対象」の域を出ることがいっさいないと批判、「映画は完全に男の視点から語られている」と述べた。

 先のレマイアも、なずなが常に悩める美しい少女でしかなく、それはまさに女性蔑視の発想であると書く。「反対に、男の子のほうは毎回少しずつ勇敢になっていくのだ」と、コネリー同様、男女のキャラクターの扱いに差にも触れた。彼女はまた、短いスカートが揺れる様子を後ろから描写したことについても違和感を示している。

 このシーンには、男性であるチャンも疑問を感じたようだ。「なずなが母の愛した歌を口ずさむシーンで、監督たちはなぜ後ろのアングルから彼女のスカートが意味ありげに揺れるのを見せようと思ったのだろうか?このシーンを表現するのに、本当にこれは最も効果的だったのか?彼女が突然にして腰から歌い始めたとでもいうのならわかるが」と、チャンは記事の中で問いかける。彼はその直後に「おそらく、典道のエッチな気持ちを正直に反映したかったのかも」と自分なりの解釈を示しているのだが、それでも「だからといって正当化はできない」とも付け加えることを忘れていない。

 今は「#MeToo」「#TimesUp」の時代。この運動が起こる前だったら、これらの事柄もそれほど気にならなかったのかもしれない。「#TimesUp」は、反セクハラだけでなく、男女の扱いの平等をうたうもので、そこには映画の中での男女のバランスも含まれる。これはハリウッドで今、頻繁に語られている問題であり、そのレーダーにはどの映画も引っかかってしまうのだ。

 もちろん、「打ち上げ花火〜」は、しょせんアニメだ。日本のアニメをよく知るチャンもそこは認識しており、「(日本の)アニメで女性の体が性の対象として描かれるのを非難するのは、チョコレートスフレに卵白が入っていたと非難するようなものだろう」とも書いている。「だが、たまに、その卵が気になりすぎる場合があったりするのだ。そういう時には、誰が作ったのかと考えてしまうのである」と、チャン。それはまさに言い得ていると思われる。

 時代の変化が例外を許さなくなってきた中、アニメの作り手も、材料はこれまで以上に吟味しないといけない。その上で、ある材料をどうしてもはずせないならば、それが浮きすぎないようしっかりと計り、しっかりと混ぜ込まないといけないのだ。そんなひと手間が、これからは必要とされるのである。

L.A.在住映画ジャーナリスト

神戸市出身。上智大学文学部新聞学科卒。女性誌編集者(映画担当)を経て渡米。L.A.をベースに、ハリウッドスター、映画監督のインタビュー記事や、撮影現場レポート記事、ハリウッド事情のコラムを、「ハーパース・バザー日本版」「週刊文春」「シュプール」「キネマ旬報」他の雑誌や新聞、Yahoo、東洋経済オンライン、文春オンライン、ぴあ、シネマトゥデイなどのウェブサイトに寄稿。米放送映画批評家協会(CCA)、米女性映画批評家サークル(WFCC)会員。映画と同じくらい、ヨガと猫を愛する。著書に「ウディ・アレン 追放」(文藝春秋社)。

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