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理研研究者がiPS細胞関連特許の強制ライセンスを求めて裁定請求

栗原潔弁理士 知財コンサルタント 金沢工業大学客員教授

出典:特許6518878号公報

理化学研究所に所属する研究者の方によるこのようなツイートがありました。

以下、このツイートからつながる一連のツイートをそのまま引用します。

この度、理研の我々の研究室で共同研究の名の下に開発されたRPE作成法の特許について、理研、ヘリオスらを相手に経済産業大臣に対して裁定を請求しました(事件番号:2021年裁定請求第1号)。特許法93条2項に基づいた、初の「公共の利益のための通常実施権」の実施を認める裁定請求です。

我々を含むグループが世界初のiPS細胞由来RPE細胞の移植に成功してから8年近く経ちます。その間治験が行われないまま特許の独占交渉権を持つ株式会社ヘリオスに対して何度も協議を求めましたが一切応じませんでした。そのため、やむを得ず、公共の利益のために裁定を請求するに至りました。

産学連携の共同研究の結果生じた発明の場合、公的研究機関が企業に対して安易にシーズの独占交渉権や独占実施権を付与して、事業化がなされなかったり、研究者が研究を進めることができなかったりして、日本のアカデミアの優れたシーズが活用されず死蔵されてしまうケースが散見されます。

研究者はこれまでこのような契約に対して皆泣き寝入りをして来ました。本件は、このような産学連携の問題点を如実に表す事例であると考えておりますので、問題提起をするとともに公共の利益を図るためにも、皆様の質問や取材など喜んでお受けいたします。よろしくお願いいたします。

中小企業と大企業間のライセンス契約トラブル事例は特許庁のHPにありますが、この際研究に支障をきたした産学連携の例も集めて啓発したく思います。そのような事例がありましたら下記アドレスに守秘義務に注意した内容(概要)でメールを送っていただきますれば幸いです。 patentissue6@gmail.com

私は、詳細な事実関係を知る立場にありませんが、ここでは、この動きの背景となっている特許制度上の仕組みについて解説したいと思います。

特許制度の本質は、発明の実施の独占権(特許権)を一定期間付与することで、発明およびその公開のインセンティブとすることにあります。特許権は独占権なので、権利者はその発明を自分で実施しようが、他人にライセンスして実施させようが、開放特許として自由に使えるようにしようが、売却しようが自由です。さらには、発明をライセンスも実施もせずに塩漬けにしておくことも違法ではありません(土地の持ち主が土地を使わず塩漬けにしていても固定資産税さえ払っていれば違法ではないのと同じです)。

これは特許権が独占的財産権である以上当然のことなのですが、このような強力な権利であることで社会全体の利益が損なわれる可能性があります。典型的なケースとしては、今回の話とはまた別ですが、コロナウイルスのワクチンや治療薬に関する特許の問題があります。特許による独占がなければ製薬会社がワクチン等の開発投資のインセンティブがなくなってしまうので特許権が必要なのは確かなのですが、その扱いを市場原理だけに任せておくと、開発途上国等の人々が適切な治療を受けられないといった問題が生じ得ます。

このような問題の解決策として、多くの国の特許法には強制ライセンス(裁定通常実施権)の制度が設けられています(土地にたとえれば必要な道路を作るために土地の所有権を制限して強制収用するようなものです)。今回関連するのは特許法93条(公共の利益のための通常実施権の設定の裁定)の規定です。

第93条 特許発明の実施が公共の利益のため特に必要であるときは、その特許発明の実施をしようとする者は、特許権者又は専用実施権者に対し通常実施権の許諾について協議を求めることができる。

2 前項の協議が成立せず、又は協議をすることができないときは、その特許発明の実施をしようとする者は、経済産業大臣の裁定を請求することができる。

(以下略)

93条の規定はずっと以前から存在していますが、裁定されたことはおろか、請求されたことすらないはずです。なお、強制ライセンスとは言っても無料で使わせるということではありません。ライセンス料金なども含めて国が適切な条件を決定するということです。

なお、理研と株式会社ヘリオスが共同権利者になっている特許は6850455号6518878号です(前者は後者の分割)。上記ツイート者の高橋政代先生が発明者の一人になっています。特許の技術的内容については私の専門外なので他の方にお任せしたいと思います。

今回の件は、特許法の「伝家の宝刀」規定の発動というだけではなく、産学連携のあり方、そして、特に人の健康が関連する特許における独占権と公共の利益のバランスのあり方という点で大変興味深いものがあります。

弁理士 知財コンサルタント 金沢工業大学客員教授

日本IBM ガートナージャパンを経て2005年より現職、弁理士業務と知財/先進ITのコンサルティング業務に従事 『ライフサイクル・イノベーション』等ビジネス系書籍の翻訳経験多数 スタートアップ企業や個人発明家の方を中心にIT関連特許・商標登録出願のご相談に対応しています お仕事のお問い合わせ・ご依頼は http://www.techvisor.jp/blog/contact または info[at]techvisor.jp から 【お知らせ】YouTube「弁理士栗原潔の知財情報チャンネル」で知財の入門情報発信中です

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