阪神タイガース・湯浅京己が実戦復帰!古巣・富山GRNサンダーバーズの後輩たちを3人斬り!!
■富山GRNサンダーバーズとの練習試合で実戦復帰
充実感と満足感、そしてゲームで投げられる喜びが、その高揚した笑顔に詰まっていた。阪神タイガース・湯浅京己投手がマウンドに帰ってきた!
右前腕の故障が癒えて初めての実戦登板で、納得の第一歩を踏み出した。「感覚的にも悪くなかったですし、全然問題なく投げられていたんで。(復帰)1試合目にしてはよかったんじゃないかと思います」と現時点での手応えを口にした。
7月15日に鳴尾浜球場で、20日には甲子園球場でのシート打撃に投げ、いよいよゲームに登板というところでウエスタン・リーグの試合は25日までない。そこで23日に組まれていた古巣・富山GRNサンダーバーズとの練習試合に登板することとなった。
“古巣”とはいっても湯浅投手が在籍していたのは5年前で、当時のチームメイトは誰もいない。おまけにユニフォームもリーグも変わり、今や別のチームのようになってしまっている。
が、それでも「変な緊張感がありましたね(笑)。初めてなんで、5年目で。今まで投げたことなかったんで」と、やはり多少なりとも違う意識はあったようだ。
■もっとも重要視したのは“ゲーム勘”
しかし、いざマウンドに上がれば相手は関係ない。キャッチャー・長坂拳弥選手とも事前に打ち合わせ、自身の感覚で「感じるまま、投げたいボールを投げよう」と、幾度かサインに首を振って投げた。
1人目の石橋航太選手には2球続けて149キロでファウルをとって追い込むと、最後はこの日最速の151キロで空振り三振に仕留めた。
「先頭はまっすぐだけで」と考えたのは現状のストレート、それもゲームでの打者を相手にしたストレートを自分でも確認したかったから。
「やっぱりカウントをとるときより、追い込んで三振を取りにいくときは強くなったりするんで、そういう感覚とか」。
もっとも重要視していたという“ゲーム勘”。実戦で、打者相手でしかわかり得ないゲーム勘を、しっかり呼び覚ましたかった。2ストライクからフォークではなく首を振ってストレートを選択した、それこそが自身の“感覚”だった。
2人目の髙野光海選手は初球のフォークでショートゴロに、3人目の代打・根本大輝選手には1-2と追い込んでからフォークを見送られたが、次も首を振ってフォーク。これもボールでフルカウントとなったが、さらに“感じるまま”フォークを投げて空振り三振を奪った。
結果、富山が誇る強打者3人をわずか10球でねじ伏せ、“先輩”の貫禄を示す格好となった。スタンドからは両チームのファンが大きな拍手と歓声を送っていた。
■不安も怖さもなくなった
ストレートの最速は151キロだった。
「球速は気にしていない。球速より質だと思うので。投げていけばもうちょいスピードも上がってくる。そこまでスピードを追い求めてやっているわけではないので、自然と上がってくればいいかなと思います」。
変化球はフォークも縦スライダーも投げた。「縦スラはカウントをとりたいところで首振って投げたりもしましたけど、まぁまぁ抜けたりしてたんで、そこは精度を上げてしっかりやれればなと思います」と、次への課題とした。
「やっぱりシートよりゲームのほうが負担も大きいと思いますし、そこで投げていく上で前腕自体が問題なく投げられていれば、そこが一番。徐々に試合に投げるたびに上げていければいいかなと思います」。
2度のシート登板より確実に状態は上がっている。不安も怖さもなくなった。ここからはしっかりと1軍で抑えられるように上げていくだけだ。
ただ、「ちょっとでも違和感とかがあったら無理せずにやらないといけない」と、翌日の確認は怠らない。もう二度と故障しないために、細心の注意を払っていく。
■ファーム首脳陣は…
和田豊監督は「前回上がったときよりも状態はいいよ。上がる前の時期としたら、前回よりもしっかり腕は振れているし、躍動感が出てきているよね」と評価し、次の福岡ソフトバンクホークス3連戦(25~27日 @鳴尾浜球場)のどこかで投げることも明言した。
福原忍投手コーチも「最後のバッターもフォークを3球続けたけど、あれを一発で決めたいところ。まぁ久々の実戦ですからね。これからバッターに投げていって上がってくると思います」と、今後の上昇に期待していた。
■鳴尾浜球場には大勢のファン
この日に復帰登板することは新聞紙上で報じられたため、鳴尾浜球場には公式戦並みの観客が集結した。早朝から続々とファンが訪れ、9時の開門前には100人以上が列を作った。
同じリーグの石川ミリオンスターズのスタッフが開門時に石川・富山の観光案内などのパンフレットを配布したが、約3分で100部を配り終え、湯浅人気の高さに驚いていた。
試合開始時には満席になり、スタンドのあちらこちらで「湯浅京己」と描かれたサンダーバーズカラーの漢字タオルがはためいていた。
地元が富山で現在は関西の専門学校に通っているという男性は「中学生のときにサンダーバーズの湯浅投手を応援しはじめて、ずっとファンです」と、湯浅投手のユニフォームやグッズで全身を固め、登板が楽しみな様子だった。
サンダーバーズファンも数多く富山から駆けつけ、かつての“富山の末っ子”の大きく成長した姿に目を細めていた。
■独立リーガーの憧れ、目標
また、試合終了後には虎風荘の前で、サンダーバーズの選手たちとの写真撮影会やサイン会が繰り広げられた。
一緒にプレーはしていなくとも“我がチームの先輩”と交流したいという選手が大勢おり、湯浅投手を囲んだ。そこへ、ゆかりのある桐敷拓馬投手や森木大智投手も加わり、大にぎわいとなっていた。
そして雷鳥戦士たちは「いずれは同じ舞台で…」と決意も新たにし、バスで5時間の帰途についた。
“富山の末っ子”も5年が経過してすっかりお兄ちゃんになり、今や侍ジャパンのメンバーとして世界一にまでなった。後輩たちにとってはもちろんのこと、全独立リーガーにとって憧れであり目標である。
湯浅京己はこれからさらに輝いて、大きな夢を届けていく。
(撮影はすべて筆者)
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