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月曜ジャズ通信 2014年3月24日 コッホ博士の発見に因む世界結核デー号

富澤えいち音楽ライター/ジャズ評論家

もくじ

♪今週のスタンダード〜オータム・イン・ニューヨーク

♪今週のヴォーカル〜トニー・ベネット

♪今週の自画自賛〜ボビー・ハッチャーソン『ヘッド・オン』

♪今週の気になる1枚〜類家心平5ピース・バンド『4AM』

♪執筆後記

「月曜ジャズ通信」のサンプルは、無料公開の準備号(⇒月曜ジャズ通信<テスト版(無料)>2013年12月16日号)をご覧ください。

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チャーリー・パーカー『ウィズ・ストリングス」
チャーリー・パーカー『ウィズ・ストリングス」

♪今週のスタンダード〜オータム・イン・ニューヨーク

この曲は1934年のレヴュー「サムズ・アップ」のためにヴァーノン・デュークが作詞・作曲しました。

ヴァーノン・デュークは、1903年にロシア帝国下のミンスク(現・ベラルーシ)で生まれ、1929年からアメリカに拠点を移してブロードウェイで活躍した作家です。「エイプリル・イン・パリ」も彼の作曲だったので、<月曜ジャズ通信 2014年2月24日 五輪も終わった早く寝ろ号>でもちょっと触れていましたね。

「サムズ・アップ」のためにデュークが提供したのは3曲で、1曲はタップで踊るためのダンス・ナンバー、もう1曲はタンゴ調のものだったそうです。

そして残りの1曲がこのバラードなのですが、チャーリー・パーカーをはじめ多くのジャズ・ミュージシャンに取り上げられ、フランク・シナトラの歌でヒット・チャートもにぎわすようになったのは、レビューが終わってから10年以上も経ってた1940年代後半のこと。

♪Charlie Parker "Autumn in New York"

ジャズ・シーンで早い時期にこの曲に興味をもったのがチャーリー・パーカー。彼がクラシックの現代音楽好きだったというエピソードは有名ですが、実はこの曲を作ったヴァーノン・デューク、ロシア時代に指示していたグリエール門下の先輩であるプロコフィエフの助言を胸に、アメリカに渡ってからもクラシックへの情熱をもち続けた音楽家としての一面があり、それがパーカーのアンテナを刺激したんじゃないかと思うのです。

♪Tal Farlow- Autumn in New York

名手タル・ファーロウの手にかかると、スローなバラードとグルーヴの躍動感という両極端の要素が、喧嘩せずに共存してしまいます。冬支度を始めた秋のニューヨーク、しかしそこでは生命の準備のための営みが粛々と行なわれ、春に備えているというイメージを浮かべてしまう圧倒的な表現力です。

♪Sheila Jordan- "Autumn In New York"

1928年生まれのジャズ・シンガー、シーラ・ジョーダンの2012年1月のライヴです。彼女はチャーリー・パーカーとの共演歴もあるというプレミアムな歌手。冒頭のコメントといい、エンディングのアドリブといい、実にオシャレだなぁ。

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『トニー・ベネット&ビル・エヴァンス』
『トニー・ベネット&ビル・エヴァンス』

♪今週のヴォーカル〜トニー・ベネット

現役ナンバー・ワンのジャズ・シンガーという称号に異論はないでしょう。

2011年リリースのアルバム『Duets II』ではマライア・キャリーやレディ・ガガたちとデュエットを披露して、自身初となるビルボード・チャートの初登場1位を獲得。2013年に東京JAZZへ出演してその美声が健在であることを示したのも記憶に新しいところです。

1926年にニューヨーク州クイーンズのイタリア系移民のエリアで生まれたベネットは、学生時代は商業デザイナーをめざしていましたが、兵役中に歌に目覚め、除隊後に歌手として活動を始めました。それが人気コメディ俳優ボブ・ホープの目に留まり、全米を回る興行に同行して人気を博すようになり、大手レコード会社と契約して一躍人気歌手の座に躍り出ました。

なかでも1962年にリリースした「I Left My Heart in San Francisco(邦題:思い出のサンフランシスコ/霧のサンフランシスコ)」は世界的なヒットを記録して、彼の名を不動のものにしました。

トニー・ベネットは自分を“ジャズ・ヴォーカリスト”ではなく“ストーリー・テラー”と称していたそうです。これはメロディと詞によって1つのイメージを浮かび上がらせるのではなく、言葉を追っていくうちにどんどん場面が展開していくスタイルを用いていたことに関係していると言われています。

こうしたアプローチはジャズ的でもあり、彼が好んでジャズ・ミュージシャンと共演していることに繋がっています。

♪Bill Evans with Tony Bennett on Johnny Carson's Tonight Show

トニー・ベネットとビル・エヴァンスの共演は、“ピアノの伴奏でジャズ・スタンダードを歌う”という固定観念を打ち破り、ジャズ史に残る名盤となりました。1975年リリースの『トニー・ベネット&ビル・エヴァンス』と1976年リリースの『トゥゲザー・アゲイン』はぜひ聴いてみてください。

この映像は、1975年に2人が出演したテレビ・ショーを織り交ぜたドキュメンタリーの一部。演奏は少ないですが、貴重な証言を聞くことができます。

♪Diana Krall- I've Got The World on a String

エルヴィス・コステロが進行役のテレビ・ショーにトニー・ベネットが出演。すると客席にいたダイアナ・クラールを引っ張り上げ、急遽共演という嬉しいハプニング映像です。

ダイアナ・クラールは2000年にトニー・ベネットと20都市のジョイント・ツアーを敢行し、2006年10月リリースの『デュエッツ:アメリカン・クラシック』にも参加しています。ちなみにエルヴィス・コステロと結婚したのは2003年。イントロを弾き始めたところで「私のお腹のなかには双子がいて、6ヵ月なの」と言っているので、この収録が2006年8月ごろだと推測され(12月に出産)、リリース前にギリギリ間に合わせたプロモーションだったのかもしれませんね。

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ボビー・ハッチャーソン『ヘッド・オン』
ボビー・ハッチャーソン『ヘッド・オン』

♪今週の自画自賛〜ボビー・ハッチャーソン『ヘッド・オン』

限定発売された最新の24bitリマスタリング盤のライナーノーツを富澤えいちが執筆しました。

ちょっとマニアックな1971年のこの作品を、「クラブ・ジャズが流行らなければ埋もれていた?」「お姉ちゃんの元カレが注目のきっかけを作ってくれた?」「クラシック的なアプローチでエレクトリック・マイルスに対抗?」の3部に分けて解説しています。

“ちょっとマニアック”と表現したのは、ボクが一所懸命“教科書”でジャズを勉強していた30年ぐらい前までは、ボビー・ハッチャーソンといえば1960年代の新主流派の旗手で、エリック・ドルフィーの『アウト・トゥ・ランチ』(1964年)やリーダー作『ハプニングス』(1966年)を真っ先に挙げなければ“落第”させられちゃうような雰囲気だったからで、1971年のこの作品は取り上げづらいものであったことは確かです。

ところがライナーノーツにも書いたように、この状況を一変させたのが1990年代に起きたクラブ・ジャズのムーヴメントでした。

価値観の多様性をジャズにも持ち込んだ画期的なムーヴメントだと思うのですが、実はクラブ・ジャズの価値観は既成のジャズの価値観を広げただけでなく、否定的に断じられていた事象を反転させる、いわば革命的な意味合いも多く含まれていると思っています。

その意味でもエポック・メイキングな作品なのです。

♪Bobby Hutcherson- Hey Harold

『ヘッド・オン』は、トッド・コクラン作の現代音楽的なアプローチと、ボビー・ハッチャーソン作のファンキー&エレクトリック・マイルスを先取りしたアプローチの、両極端とも言える内容が共存している点でも興味深い作品です。この「ヘイ・ハロルド」はハッチャーソン作のファンキー・チューンで、1970年代のジャズ・ロック的なテイストが前面に出たクラブ・ジャズ好みのテイストだと言えるでしょう。

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類家心平5ピース・バンド『4AM』
類家心平5ピース・バンド『4AM』

♪今週の気になる1枚〜類家心平5ピース・バンド『4AM』

シリアスなコンテンポラリー・ジャズ・シーンの牽引役としてひとつ図抜けた感のある類家心平が、4ピース・バンドを経て活動の中心に据えているのがこの5ピース・バンドです。

4ピースは4人、5ピースは5人。単純に見れば1人メンバーが増えただけですが、そのサウンドは大きく異なっています。

ライヴ収録となった本作では、彼がジャムバンドで培ってきたプリミティヴな情動の発散と、バンド・サウンドとしてのキメの打ち方のバランスに磨きがかかり、より自由な演奏状態が可能になっていることが伝わってきます。

ジャズにおけるプリミティヴな情動の発散は、自分に与えられたアドリブ・パートのなかで処理すべきものであり、それを逸脱しないことはもちろん、全体の色調への配慮も当然のように求められるものとされていました。

この制限をしないものが一般的にはフリー・ジャズと呼ばれるわけですが、フリーといえどもアウト=逸脱からイン=テーマ部分に戻らなければ曲が成立せず、一定の小節数といった決めごとがない場合には目で合図を送ったりメンバー同士で通じるようなパターンやフレーズを演奏したりと、いずれにしても規則あっての自由であることを否めないのが音楽という表現形態です。

この決めごとの不自然さをいかに減らすかが、とくにインプロヴィゼーションを主体とするジャズでは大きな命題となっていて、フリー・ジャズがアウトからインに戻るジレンマを解消できずに縮小していった1970年代以降のシーンでクローズ・アップされることになります。マイルス・デイヴィスはとくに、この点に腐心していたアーティストと言えるでしょう。

連綿と続いているこの大命題に正面から取り組んでいるのが、類家心平をはじめとしたコンテンポラリー・ジャズの旗手たちで、その意味で本作は新たな解決策を提示した意欲的な内容であると考えています。

♪Shinpei Ruike- 4 AM PV

プロモーション用のトレイラーです。

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富澤えいち『頑張らないジャズの聴き方』
富澤えいち『頑張らないジャズの聴き方』

♪執筆後記

調べものをしていると、思わぬところで刺激的なジャズに出逢うことが多々あります。そうすると、本来の目的を忘れてそちらに夢中になったりするので困ったりもするのですが……。

最近、そんな困った状態にボクを陥れてくれたのが、クリス・デイヴというドラマー。

ロバート・グラスパー・エクスペリメントのメンバーとして知っている人もいると思いますが、その超絶的なドラミングを堪能するには彼のプロジェクトをチェックすることをお勧めします。

たとえばこれ。

♪Chris Dave Trio'A Love Supreme' LIVE Charlie Wrights 2009

ドラム、ベース、サックスという変則のトリオです。リズムが錯綜して、聴くだけでトリップできるデンジャラスなサウンド。ベーシストのFoleyという名前に見覚えがあったので調べてみると、やっぱりマイルス・デイヴィスのバンドにいたお茶目なフォーリーではありませんか。すっかりオヂサンになってしまって見違えちゃいました。曲はコルトレーンの「至上の愛」と、これまた刺激的。

このようなスタイルは、25年ぐらい前にジョン・ゾーンに取材したときに、彼から「サンフランシスコで流行っている」と紹介されたスタイルを踏襲しているんじゃないかと思います。当時は“フラッシュ”とか“サドン・デス”などいろいろな呼び方をされていたようですが、とにかくスピーディでアヴァンギャルドなタイプの演奏形態だった模様。その数年後にクラブ・ジャズが注目されるようになり、「ああ、ジョン・ゾーンさんが言っていたのはこういう感じのサウンドだったんだ」という音楽が日本にも紹介されるようになったことを、この映像を見ていたら思い出しました。

ではまた来週。

富澤えいちのジャズブログ⇒http://jazz.e10330.com/

音楽ライター/ジャズ評論家

東京生まれ。学生時代に専門誌「ジャズライフ」などでライター活動を開始、ミュージシャンのインタビューやライヴ取材に明け暮れる。専門誌以外にもファッション誌や一般情報誌のジャズ企画で構成や執筆を担当するなど、トレンドとしてのジャズの紹介や分析にも数多く関わる。2004年『ジャズを読む事典』(NHK出版生活人新書)、2012年『頑張らないジャズの聴き方』(ヤマハミュージックメディア)、を上梓。2012年からYahoo!ニュース個人のオーサーとして記事を提供中。2022年文庫版『ジャズの聴き方を見つける本』(ヤマハミュージックHD)。

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