鬱蒼とした鉄道林に消えた秘境駅の歴史を伝える説明看板 根室本線 初田牛駅(北海道根室市)
平成31(2019)年3月16日、根室本線の「花咲線」と呼ばれる区間(釧路~根室間)で一つの駅が廃止となった。根室市の西部にあった初田牛(はったうし)駅だ。大正9(1920)年11月10日の釧路本線厚床~西和田間延伸に合わせて開設された。地名の「初田牛」はアイヌ語の「ハッタウシ(山ぶどうをいつも採るところ)」または「オハッタラウシ(川口にふちのあるところ)」に由来すると言われている。
廃止後の6月に駅舎やホームは撤去され、跡地には駅の歴史を記した説明板が設置されている。同様のものは同日に廃止された直別駅、尺別駅にもあるが、当駅のものは駅名標のようなデザインだ。ひょっとすると外枠は駅名標のものを再利用しているのかもしれない。
説明板の裏側には駅名標を模したイラストと現役当時の駅の写真が掲載されている。一番左の写真は昭和19(1944)年12月2日改築の2代目駅舎で、3代目への改築まで32年ほど使用された。
駅跡があるのは離村によって無人の地と化した集落跡のどん詰まりで、駅に至る400mほどの道は未舗装だ。駅前には鉄道林が鬱蒼と茂っており、熊でも出そうな雰囲気だ。人家はなく、初田牛神社と初田牛会館だけが集落が消えた後も残されている。最寄りの人家は960mほど先の牧場で、駅からは見えない。
駅があった頃でも状況はほとんど変わらず、「秘境駅」として書籍等で紹介されることもあった。平成29(2017)年度の一日平均乗車人員は0.2人で、一人を下回っていた。筆者が平成30(2018)年8月30日に訪問した際には、駅裏から歩いてやってきたおじいさんに出会ったが、話を聞いてみると、「根室市が市内在住の高齢者に配布しているJR券で根室の街まで出かける」とのことだった。「昔は駅前に官舎が何軒も建っていた」とのことで、右手の鉄道林の辺りにあったと教えていただいた。
廃止まで使われていた駅舎は昭和52(1977)年10月24日に改築された3代目で、簡易駅舎としては初期のものだった。同じ根室本線の新吉野駅、姉別駅にも同じデザインのものがあるが、寸法や窓の数が異なっており、この駅のものが一番小さい。駅廃止に伴って41年5カ月に及ぶ役目を終えた。
見た目からわかるように駅舎内はそれほど広くなく、4連のプラベンチが向かい合うように設置されていた。駅の利用者数を考えるとこれでも過剰な設備で、ベンチが埋まることはほとんどなかっただろう。
廃止時点で停車していたのは下り根室方面、上り釧路方面ともに4本ずつで、普通列車でも一部は通過していた。列車の本数こそ少なかったが上り下りを上手く組み合わせれば一時間ほど滞在できたので、訪問難易度自体はそれほど高かったとは言えないだろう。
駅の裏手には道道142号根室浜中釧路線の交差点があり、駅前よりも駅裏の方が交通量が多かった。ただし、こちらにも人家はなく、最寄りの牧場までは2キロ以上離れている。駅裏にもロータリーのようなものがあったが、踏切までは遠く300m以上迂回しなければならなかった。
平成31(2019)年3月16日で98年4カ月の歴史に幕を閉じた初田牛駅。駅跡にはその歴史を伝える説明板が設置されたものの、たまにやってくる列車は最初からそこに駅などなかったかのように通過していく。通過の一瞬に車中の鉄道ファンですら注意を払うことは稀で、この駅の存在は早くも忘れられつつあるようだ。