「微力ながら」「草葉の陰から」……応援すると言う人の特徴と見分け方
何かの目標をめざしているとき、いろいろな壁にぶち当たるときがあります。そんなとき、応援してくれる人が近くにいると力になりますよね。まさにマラソンランナーに向かって声援を送る沿道の方々のような存在です。
ただ、あくまでも応援してくれる人は、単に「応援する」と言っているだけであって、具体的に何か手助けしてくれるのか、協力してくれるのかはハッキリとわかりません。「応援者」なのか「協力者」なのかを見分ける術を持ったほうがストレスを溜めずに済むので、ここを見分けられるようにしたいですね。
私は自分が何かをやり遂げたいと考えた場合、「応援する」「協力する」と言ってくれる人が実際どうなのかを、「演劇」に関わる人物でたとえることが多いので、今回はそれを紹介します。
●舞台役者……実際に舞台にあがって演じてくれる役者
●裏方……舞台役者が演技に集中できるよう、あらゆる裏のサポートをしてくれる人
●観客……舞台を観賞しに来てくれる人
●集客……観客を集めてくれる人
●宣伝……観客を集められるかどうかは別にして宣伝はしてくれる人
●口だけ……集客も宣伝もしてくれない人
このように分類すると、「応援する」「協力する」「何かあったら手伝うよ」と言ってくれる人が、実際はどのようなスタンスなのかを区別できるようになります。実際に困ったことがあって声を掛けたとき、
「そんなに困ってるんだったら手伝うよ。じゃあ、具体的に何をしたらいい?」
と言ってくれる人がいたら、裏方、観客、集客、宣伝……のどれかに当てはまります。依頼することのレベルによって、どこまで引き受けてくれるかは、その人の気持ちや置かれた状況によって変わってくるでしょうが。
「そこまではできないけど、これぐらいならやるよ」
と言ってくれ、実際に当事者のように働いてくれたら「裏方」。一緒に動くことはできなくても、こちらが求めていることをコミットしてやり切ろうとしてくれたら「観客」もしくは「集客」。コミットまではせず、その人のできる範囲のレベルでやってくれるのは「宣伝」となります。
「微力ながら協力するよ」
と言う人は、せめて「宣伝」のレベルまでをやってくれることを普通は期待します。
「わが社の社風を変えたいんだ。そのために有志でプロジェクトチームを作ることにした」
とあなたが言ったとき、
「微力ながら協力するよ」
と言って、チームの主要メンバーにまでなってくれるのか。それとも実際にプロジェクトで何かをするときに率先して参加するのか。プロジェクトチームが呼びかけていることに成果を出すまで協力するのか。それとも、社内に宣伝ぐらいはしてくれるのか――ということです。
会社の専務に「微力ながら協力する」と言われたら、「それなら来月の経営会議のとき、部長の皆さんにこのプロジェクトについてご説明いただけませんか。プロジェクトの存在を言ってくれるだけでいいんです」と依頼したくなるもの。にもかかわらず、
「そういうことは……専務の私がやることじゃないだろう。常務のほうが適任じゃないのかなァ」
などと言われたら、ああこの人は「口だけ」だなとわかります。「協力する」「応援する」とは言うものの、具体的な行動をとってくれない人なのです。
いっぽう「草葉の陰から応援する」と言う人は、額面通りと受け止めたほうがよいでしょう。「応援するとは口で言ってるけど、何もしないからね」と念を押している人です。社交辞令的に「応援する」と言っているだけであり、強い期待をしないほうが身のためです。
「応援する」「協力する」と言う人に過度な期待をしてしまい、実際に頼みごとをして裏切られたときのショックは大きいものです。こちらが真剣に頑張っていれば頑張っているほど、そういう人に対して「口だけで何もしてくれない」と非難したくなるものです。
何らかの目標を絶対達成したいと考えたとき、このようなストレスは大敵。「私だって応援するとは言ったものの、具体的には何もしなかったこともある」などと自分に言って聞かせ、サバサバした気持ちで他の方に声をかければいいでしょう。
自分の上司や部下のように、はじめから同じ「舞台役者」なのに、何もしてくれないのであれば別ですが、パートナー企業の人であったり、身近な友人・知人に過度の期待をすると傷つくことが多いので気をつけたいですね。