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【戦国こぼれ話】「主(あるじ)に過ちがあれば、命を投げ出してでも正す」という立花道雪から学ぶ

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
大友宗麟は、家臣の立花道雪から諫言されていた。(提供:GYRO_PHOTOGRAPHY/イメージマート)

 国会議員は、昔から事件を起こすと「秘書のせいです」と逃げ回っていた。秘書もそれに抗することなく、決して諫言しなかった。今回は、「主に過ちがあれば、命を投げ出してでも正す」という立花道雪から学ぶことにしよう。

■宗麟に諫言した道雪①

 「主に過ちがあれば、命を投げ出してでも正さなければならない」。大友宗麟(1530~87)の家臣である立花道雪(1513~85)は、常にそう考えていた。

 主君の宗麟は、若い頃に酒と女に溺れる日々が続いていたという。政治にはまったく関心がなく、家臣や領民を思いやる気持ちもなく、罪を犯す者を処罰することもなかった。いいかげんな宗麟の態度には、さすがの道雪も危機感を抱いていた。

 道雪は宗麟を諌めようと、何度も面会を求めるが、決して宗麟は会おうとしない。道雪は、悶々とする日々が続いた。しかし、ここで道雪は一計を案じることになった。京都から美女を招いて踊りをさせ、宗麟をおびき寄せたのである。

 宗麟はこの作戦に見事に引っかかり、ついに道雪と面談せざるを得なくなる。その場で道雪は、日頃の宗麟の非道を説き、一国の主としてふさわしい態度を取ることを求めた。以後、宗麟は酒と女に溺れることなく、政治に力を入れるようになったという。

 それでも、若い宗麟は道を踏み外すことがたびたびであった。その都度、道雪は宗麟に諫言をもって、態度を改めるよう求めた。しかし、やがて大友家は島津氏との戦いに敗れ、家運が傾くようになる。それでも、道雪は大友家を見放さない忠義の臣だったといわれている。

■宗麟に諫言した道雪②

 諫臣の重要性は、よく説かれるところである。お世辞を言って、主人の歓心を得ようとするのは本当の意味での忠臣ではない。道雪は、常にそのように考えていた。

 あるとき、道雪の主君・大友宗麟は、猿を飼うことにした。しかし、この猿は十分な躾がなされておらず、家臣たちに飛び掛り、怪我をさせる始末だった。宗麟はそれをおもしろがって見物していたが、家臣は我慢して何も言えずにいた。

 これを見て愕然としたのが道雪である。

 ある日、宗麟の猿がいつものように、道雪に飛び掛ってきた。すると道雪は、持っていた鉄扇で猿を叩きのめしたのである。哀れなことに、鉄扇で叩かれた猿は、そのまま命を落した。道雪は主人の宗麟に対して、「人を弄べば徳を失い、物を弄べば志を失う」と説いた。

 道雪は、宗麟よりも14歳年上だった。この言葉は、宗麟に重くのしかかったことであろう。以後、宗麟は改心し、悪ふざけは止めたといわれている。家臣は主人の言いなりになって、お世辞を言うだけが能ではない。国のことを思えば、主人を諌めることも重要なのである。

 上記の話は単なるエピソードにすぎないのかもしれない。しかし、政治家、経営者は諫言する部下こそを大事にしてほしいものである。

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『播磨・但馬・丹波・摂津・淡路の戦国史』法律文化社、『戦国大名の家中抗争』星海社新書、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房、『倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史』星海社新書など多数。

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