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漫画家くらたまの夫、末期がんの叶井俊太郎さんの死との向き合い方には考えさせられる

篠田博之月刊『創』編集長
叶井俊太郎さん(筆者撮影)

 映画プロデューサーの叶井俊太郎さんが末期のすい臓がんであることを明らかにして、昨年秋から話題になっている。妻は漫画家の「くらたま」こと倉田真由美さんだが、彼女もこのところSNSを始めとして、夫の生活、家族の話題を相次いで発信している。

 例えば最近発売された『週刊新潮』2月1日号の「私の週間食卓日記」でも夫の体調や、日々の食事について書いている。例えば麺類は食べた後、腹で膨らむとかで、カップ麺を食べて夫が「うーうー唸りながら痛がる」といった話だ。食事というのは家族をつなぐ営みでもあり、大事な話なのだが、その食事については、叶井さん本人の話を後で紹介しよう。

 叶井さんの「死」との向き合い方をめぐって昨年末、おおいに話題になったのは、「第1回東京国際叶井俊太郎映画祭」の話だった。半ば冗談なのだが、半ば映画人たちの心意気を示した、なかなか考えさせられるエピソードだ。

「第1回東京国際叶井俊太郎映画祭」開催

 2023年12月16・17日、渋谷の映画館で「第1回東京国際叶井俊太郎映画祭」が開催された。国際映画祭とは大仰な名称だが、長い間映画人として仕事を続けてきた叶井さんが、末期のすい臓がんが見つかり余命いくばくもないと宣告されたのを知った映画関係者が企画した催しだった。「第1回」というのも、第2回があることを祈って、わざわざ付けたものだ。

 個人名を冠した映画祭をヒューマントラストシネマ渋谷という大きな映画館で行うとあって、果たして客席が埋まるかと叶井さん自身も多少心配したようだが、初日の最初の上映は満席とはいかないものの大半の席が埋まっていた。

 上映後のトークは笑いの絶えない楽しいものだった。拍手で迎えられた叶井さんだったが、末期がんのステージ4という身体で、「トークショーをやっている場合じゃないんだ」と言っていた。身体がだるくて思うようではないのだが、2日間で4回のトークショーは「がんばります」と言っていた。

映画祭で。右が叶井さん。左は映画評論家の江戸木純さん(筆者撮影)
映画祭で。右が叶井さん。左は映画評論家の江戸木純さん(筆者撮影)

 映画は企画が決まってから公開まで何年もかかるため、末期がんとわかる前に手がけた作品が今後も上映される。今は、仕事を前倒しでこなしているという。

「もう来年の夏の仕事とかもやってるんです。来週までにできませんかとか言われて断れないんだけど、そもそも来週まで生きてるかどうかもわからない(会場笑)」。

 トークの最後に「これからやりたい映画とかありますか? 抱負は?」と訊かれた叶井さんは「抱負なんてないよ、いつ死ぬかわからないんだから」と答えて最後まで笑いをとっていた。

 その時上映したかつてのプロデュース作品『日本以外全部沈没』の監督、河崎実さんもトーク途中から促されて壇上に上がったが、開口一番、「困るよ、死んじゃあ」。「これまでも常識を超えたことをやってきたんだから、常識を超えてくれよ」と語っていた。

 叶井さんが末期がんを公表してからはいろいろ話題が続いて。10月末には所属先のサイゾーから『エンドロール! 末期がんになった叶井俊太郎と、文化人15人の“余命半年”論』という著書を出版した。そして12月には映画祭だ。

 私は以前、編集長を務める月刊『創』(つくる)で毎年映画特集を組んでいたため、叶井さんにお会いしてよく映画界の現状について教えてもらっていた。ホラー映画などが多い叶井さんの手がけた作品については、例えば2019年公開の佐川一政さんを追ったドキュメンタリー映画『カニバ パリ人肉事件38年目の真実』も『創』で取り上げた。この映画を機に叶井さんは、サイゾーに入社した。

 12月8日、久々に叶井さんをサイゾーに訪ねていろいろ話を聞いた。そこでのインタビューを以下に掲載しよう。

がん宣告に妻のくらたまは泣いていた

――最初にこれまでの経緯をお話しいただけますか。

叶井 2022年6月、黄疸が出たので、病院に行って内視鏡検査をしたのです。そしたら、すい臓がんでステージ3と言われたんです。もう余命は半年で、長くて1年もたないという話でした。僕はそう聞いて覚悟を決めたんですが、一緒に行った「くらたま」は泣いてましたね。

 そして医者からは、抗がん剤でがんを小さくして、手術して取り除くというのが一般的だけどどうするか、と訊かれました。抗がん剤をやっても成功するのは20%だと言われたので、僕はやめたんです。なので、がんに関しては、何の治療もしていません。すい臓がんの抗がん剤治療は、副作用でめちゃくちゃ痛いという人もいますが、僕はそうならずに寝ながら死にたい。早く死にたいと思っています。

 ただ免疫療法はやりました。免疫のNKT細胞治療といって、血を入れ替えるのです。何百万円もかかりましたが、それはやりました。「くらたま」が費用を援助もしてくれました。

 余命宣告を受けながらそれ以降も生きていられるのは、もしかしたら免疫療法が効いてるのかもしれないけれど、そこはわからないですね。もう宣告されて1年半以上経ってるんですけど、とりあえず生きています。

 余命半年と宣告された時、僕は半年の間にできることをやろうと思いました。そこで思いついたのは、本を出そうということでした。

 どんな本がいいかなと思って、あんまり病気の本、湿っぽい本は嫌なんで考えました。そしたら対談はどうかという話が出たんで、著名な人で仲がいい人たちとの対談をやったところ、結構面白かったんですね。

 それが10月に出版した『エンドロール! 末期がんになった叶井俊太郎と、文化人15人の“余命半年”論』です。結構売れてるみたいです。出版に際していろいろなメディアのインタビューを受けて、それが出たことも売れ行きにつながったのでしょうね。

叶井さんの著書(筆者撮影)
叶井さんの著書(筆者撮影)

――そのほか叶井俊太郎映画祭というのも企画したわけですね。

叶井 それはテアトル東京が企画してくれたのですが、僕が今まで関わった映画で、面白そうな作品を4本選んで、それを再上映し、トークショー付きで盛り上げる、というものです。 

 そもそも僕は本が出るまで生きていると思ってなかったので、本もその前提で出したし、12月8日公開の僕がプロデュースした映画『恐解釈 桃太郎』ではエンドロールに「叶井俊太郎に捧ぐ」と入れてあるんです。すごい低予算の映画ですよ。公開までには死んでると想定していろいろなものを作ったんでね。

――生きた証として作品を残したいという思いだったわけですね。

叶井 まあそうですね。ある程度生きてる間に、名前を残しておこうという気持ちもありました。

がんが肥大化して内臓が圧迫されている

――抗がん剤治療はやらないにしても、医者に行ってはいるわけですか。

叶井 特に治療はしないけど月に1回は行っています。

 検査するとがんがでかくなってきていて、内臓が圧迫されています。もう要するにあんまりものが食べられないんです。今年(2023年)の夏に胃を半分切ったりして食べれらるようにする治療はしてるんですけど、がんは結構大きくなってきているようです。

 今、緩和ケアみたいなところに行っていて、痛くなったらすぐモルヒネを打てるように、準備だけしてもらっています。死ぬ準備は一応やっとかないとまずいので。余命半年と言われててずるずる生きてますが、まあいつ死んでもおかしくないと思ってるんですよね。

 すい臓がんは見つけにくくて、わかったらすぐ死ぬ人が多いじゃないすか。今年ミュージシャンの方たちでも、見つかってすぐ死んでる例もある。だから、自分も早く終わりたいなと思ってるんですが、なかなか死なないんで困ってはいます。

 そもそも末期がんでステージ4だと、こんなふうに話もできないことが多いようなんです。大体もう寝たきりで、衰弱して、げっそりしてるじゃないですか。だから皆さんにこうやって取材を受けてると、みんな驚きますね。きょうも勤務先のサイゾー本社で取材を受けてますが、そもそも末期がんでステージ4の人で、会社に来てる人なんていない、すごいなって言われます。ただ、きょうはたまたま来られたんですけれど、来られない日もあります。

 全身だるくなっちゃうんですよね。集中力がなくなっちゃう。きょうは比較的体調がいいけど、そんなに集中力って続かないんです。何かやっていてもせいぜい3~4時間とか、そんな感じですね。やっぱ、末期がんだとなんか疲れちゃうんでしょうね。

――サイゾーではプロデューサーをずっと続けてきたんですね。

叶井 そうですね、もう5~6年目になります。ここは元々出版社なので、映画事業部といっても僕が一人でやってるんですが。

――『創』でも紹介したパリ人肉事件の佐川一政さんのドキュメンタリー映画がサイゾーでプロデュースした初めての作品ですよね。

叶井 そうです。あれが2019年かな。佐川さんの映画をサイゾーが配給して、そのまま社員を続けているという感じです。

 僕がプロデュースするのは基本ホラーですね。ホラー系の映画が多いです。

――プロデューサーといっても配給や営業の仕事もするわけですね。

叶井 それも仕事です。映画館とのやりとりと、あとは配信とかの販売のを営業をかけたり、映画が終わった後の精算とかね。そういう業務をやってます。

 がんだとわかってからもやってきました。でもみんな、やっぱり僕ががんだって知ってるんで、気を遣ってくれる。だから仕事がスムーズに進みますよ。

中2の娘は最初、落ち込んでいた

――関わってきた映画はまだこれからも公開されるのですか。

叶井 2024年の9月まであります。

 上映の時期も全部決まってます。大体映画って1年後まで決まってるんですよね。

 一応そこまでは受けてて、前倒ししてやってます。それぞれの映画に関わってる人たち、みんな僕が余命半年だっていうのは知ってるんで。

――でも何か残すんだったら、例えば映像を誰かに撮ってもらって叶井さんのドキュメンタリー映像とか、そういうことは考えなかったんですか。

叶井 僕のですか。それは考えないですね。あんまり自分の映像は残したくないなーと思ってます。

 ただ本だったら残せるかなと思いました。自分は娘がいて、今、中学2年生ですけど、社会人になった時にね、その本を読めるじゃないですか。今は意味わかんないでしょうが。

――でも中2だと一応状況の把握はできてるわけですね。

叶井 もう全部知ってますよ。ここまでニュースになっちゃったから。ネットに出ているから、学校で友だちからも言われるみたいです。

――娘さんにはいつ話したんですか。

叶井 2022年の夏ぐらいに言ったんですよ。最初は落ち込んでましたけど、今はからっとしてますよ。

――それは叶井さんのキャラクターを知ってるからってことですよね。

叶井 そういうのもあるかもしれない。全然悲しんでるようには見えない。気持ちは悲しいのかもしれないけど、毎日友だちと遊んでるしね。部活も毎日行ってるし、まあ青春してるからいいんじゃないですかね。僕に気を遣わずに自由にやってますよ。

――叶井さんて今いくつなんでしたっけ。

叶井 9月で56になりました。

――今の高齢化社会じゃ56歳は若いですよね。今年の誕生日って何か特別なことはしてないんですか。

叶井 してない、特に何もしてないです。家族で何かするとか、なかったですね。娘から何かもらったこともないし。

――食事なんかは量を減らして摂れてるんですか。

叶井 もう肉とか脂っこいものは食べられなくなりました。だから結構、毎日悩んでますよ、何食べるか。ラーメンとかハンバーグとかカレーとか、そういうのは食べられない。焼肉とかステーキとか。うらやましいです。

――うちで料理は倉田さんが作ってるんですか。

叶井 そうです。刺身とか多いかもしれない。僕は30キロ近く痩せました。85キロが60キロ近くになった。今年の夏、胃を切る時に胃を空っぽにしなきゃいけないんで、1週間ぐらい絶食するから、その時にかなり痩せました。

映画祭の「第2回」はどうなの?

――でもこうして話してても、叶井さん、すい臓がんの末期の人としては元気ですよね。

叶井 元気だと思いますよ。

――すい臓がん末期って人と会うのもできなくなったりしますよね。

叶井 人と会えないっていうか動けないんじゃないですかね。

――やりたいことというのはまだプランがあるの?

叶井 プランはないですよ。もう日常生活を淡々と過ごすことですよ。

 映画祭については第1回とうたっちゃってるけど、「第1回東京国際叶井俊太郎映画祭」ですよ。第2回はどうなんですかね。

――でも叶井さんのファンはいるわけでしょ。

叶井 いるかなあ。どうだろう。

「第1回東京国際叶井俊太郎映画祭」は2日間の日程を終えて無事終了した。叶井さんが舞台トークに訪れて会場を笑いに包みながら話をするのを私も笑って眺めたが、たぶん少し無理をしているのだろうと、叶井さんの体調が心配にもなった。

 私が30年以上、付き合った元一水会の鈴木邦男さんが2023年1月に他界したが、鈴木さんを撮ったドキュメンタリー映画の舞台トークに連日訪れていて、その後体調が悪化した。やはり無理をしていたのだと後で思った。鈴木さんの最期については、他界した後に出版した『言論の覚悟 最終章』(創出版刊)に詳しいが、今でも日本の言論界になくてはならない人を失ってしまったという喪失感がある。

 死が近づいていることを淡々と受け入れ、時にはユーモアを持って話す叶井さんの死との向き合い方にも考えさせられるが、とにかく1日でも長く生きてほしいと思う。

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

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