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勤務医の「タダ働き」に支えられる日本の医療 2024年問題はどうなる?

今野晴貴NPO法人POSSE代表。雇用・労働政策研究者。
写真はイメージです。(写真:イメージマート)

 神戸市にある甲南医療センターの消化器内科で専攻医として働いていた高島晨伍さん(当時26歳)が2022年に過労死した件で、高島さんの両親は今月2日、病院を経営する法人に対して損害賠償を求める裁判を提起した。遺族側の主張によれば、亡くなる前1ヶ月間には残業だけで236時間(労働基準監督署は207時間と認定)もあったといい、国が定める過労死ラインの一ヶ月100時間を大幅に超える長時間労働に従事していた。

 今年4月からは「働き方改革」の一環として、これまで猶予されていた病院で働く勤務医に対しても労働時間の上限が設けられることとなり、高島さんの件も大きな注目を集めているが、実はこれまでにも同様の医師の過労死は何十件も起こってきている。

 なぜ医師の過労死はなくならないのだろうか。そのために必要な施策について、高島さんの件を踏まえながら考えていきたい。

100日連続勤務も病院側は「過重な労働をさせていた認識はない」

 高島さんの件については既に様々なところで報じられているが、亡くなった後の病院の対応も含めて改めてみていきたい。

 高島さんは神戸大学を卒業後、2020年4月から甲南医療センターで臨床研修医として働き始め、2022年からは消化器内科の専攻医として勤務していた。亡くなった際は病院に勤務して3年目だったが、まさに亡くなる日まで100日間連続で勤務しており、母親には「自分のほうが救急車に乗りたいくらい」とメールしていたようだ。

 配属されていた消化器内科には同期がいなかったため、若手の高島さんに雑用が集中。日々の業務に加えて、5月下旬に行われる学会の発表準備も重なり、「雑用が全部自分に降りかかる。朝5時起きで午後11時帰宅」と母にメールするなど過重労働であることがうかがえる。

 遺族の主張では236時間、労基署の調査では207時間の残業があった後に精神疾患を発症し、学会発表の直前の2022年5月、自死に追い込まれた。

参考:「一回休職したら二度と戻れない」と答えた弟- 26歳専攻医過労自殺:遺族の兄・医師に聞く◆Vol.1

 高島さんの遺族は労災申請を行い、2023年6月に労災と認定された。さらに遺族は、労使協定で決まっていた残業時間の上限の月95時間を超える残業を強いていたとして、病院の運営法人と院長を労働基準法違反で刑事告訴している。

 なお、亡くなる2か月前の約170時間、3か月前は178時間の残業を労基署は認めており、高島さんが慢性的な過労状態にあったことがうかがえる(甲南医療センターの運営法人と院長ら2人を書類送検、西宮労基署)。

 しかしながら、病院側はその責任を認めようとはしていない。そもそも労基署が認定した時間はタイムカードの打刻時間などに基づいているようだが、過労を引き起こした学会発表準備などは「自己研鑽」であり労働時間ではないと病院側は主張。「(時間外労働を)正確には把握できない」として、高島さんが亡くなる直前1ヶ月の残業時間をわずか30時間30分と計算し、「病院として過重な労働を負荷していたっていう認識はございません」と責任を全面的に否定した。

 このような発言は、2008年に起こった大手居酒屋チェーン和民での過労自死に対して、「労務管理できていなかったとの認識はありません」と発言して大きな非難を浴びたワタミ創業者の渡邉美樹氏を彷彿とさせる。

 報道によれば実は高島さんが亡くなる1年前に、別の専攻医が100時間を超える残業に対して改善を病院側に求めたというが、対応した病院幹部は、長時間労働であっても「半分は勉強や、自分を鍛えるための」と労働時間の削減に取り組まなかったという(【医師の過労死】過酷な勤務を訴える同僚の音声入手 病院幹部「半分は勉強や、自分を鍛えるための」)。

 つまり今回の過労自死は、病院全体で長時間労働が常態化している中で、いつ起こってもおかしくなかったとも言えよう。

今年4月に始まる医師の「働き方改革」

 冒頭でも述べたが、今年4月から医師の「働き方改革」が導入される。一般業種については、2019年から残業時間に上限が法的に設けられ、年間720時間以内、一ヶ月単位では最長で100時間、複数月に渡る場合は月平均80時間が上限となった。

 しかし、病院などの勤務医やトラック・タクシードライバーなどは5年間の猶予が与えられていたため今年4月から始まり、医師に関しては原則として年間960時間(月平均80時間)、地域医療の確保など必要性がある場合に限定して年間1860時間(月平均155時間)と設定され、この水準を上回れば労働基準法違反となる。

 ちなみに、トラックやタクシーのドライバーにあたる自動車運転業務も年間960時間となっており、医師やドライバーなどの業界においては、一般業種よりも長い労働時間が認められてしまっている。

 そのうえ、上限が設けられたとしても過労死ラインである月平均80時間に設定されてしまっているため、2024年問題とされる上限規制によって医師の過労死を実際に防止できるかどうかは極めて疑問であるといえる。

 そもそも現状で、病院で働く多くの医師が過労状態で働いている。厚生労働省によれば、常勤勤務医の約4割が過労死ラインの年間960時間を超えており、約1割は年間1860時間を超過していたという。特に救急、産婦人科、外科といった部署や、若手の医師における長時間労働が目立つ(「2019年医師の勤務実態調査」)。

 高島さんのように過労死に追いやられたケースも少なくない。2010年から2019年の10年間で、脳・心臓疾患や精神障害・自殺で労災認定された医師の事案は53件あり、今回のケースが氷山の一角だということがわかる(「医師の過労死等の労災認定事案の特徴に関する研究」)。

 ただしこのように労災認定されたり、労働時間が大まかにでも把握されるのは、病院側が労働時間を何かしらの形で記録している場合に限られている。実際には、そもそも労働時間じたいを記録していないケースが多々見受けられる。少し古いデータになるが、厚生労働省「2018年版過労死等防止対策白書」によれば、病院が医師の労働時間を把握する方法としては、「出勤簿への押印に基づき把握」(38.6%)が最も多く、「タイムカード等の客観的な記録を基に確認」は32.8%にとどまる。「所属長等が目視で確認」(5.9%)という到底客観的とは思えない把握方法や、そもそも「把握していない」(1.3%)ケースもある(「2018年版過労死等防止対策白書」)。

 高島さんのケースでも、残業時間は本人の自己申告に基づき本来は236時間(遺族側主張)のはずの残業時間が、30時間30分と病院側に記録されていた。仮に法的な上限が設けられたとしても、タイムカードを設置せずに時間そのものの把握を避けたり、自己申告という形で正確な時間の記録を怠るといった「抜け穴」が存在する。

 また、既に国が労働時間と判断しているにも関わらず、「勉強会への参加、発表準備等」や上司の手術等の見学中に手伝いをした場合などを「自己研鑽」と一方的に断定して、労働時間から除外する病院もありうる。そのような意味で、今回の高島さんのケースにおいて問題提起されているのは、一病院に限る話ではなく、医療機関全体における労務管理のあり方が問われていると考えられる。

繰り返される医師の過労死

 残念ながら、これまで医師の過労死は繰り返し起こっている。報道されているケースだけ見ても、2014年には長崎みなとメディカルセンターの心臓血管内科の医師(当時33歳)が、1ヶ月159時間の残業の結果、内因性心臓死により過労死しており、2015年には群馬県の伊勢崎佐波医師会病院で46歳の男性医師が、一ヶ月約107時間の残業の末、手術直後に急性心筋梗塞で過労死している。2016年には、新潟市民病院で勤務していた37歳の女性医師が最長251時間の残業の末、過労自死に追い込まれた。

 過労死弁護団全国連絡会議によれば、2007年時点でも医師の過労死は少なくとも22件あったとされており、過労死問題に取り組む松丸正弁護士は長時間労働と不払い残業という「勤務医のタダ働きに支えられている日本の医療」と指摘している。(岡井崇ほか『壊れゆく医師たち』)

 その結果、医療の安全も脅かされていると医療関係者は警鐘を鳴らす。2009年から2014年にかけて起こった群馬大学医学部附属病院における医療事故では、「過酷な勤務状況が生まれていた・・・再発防止のためにはこうした杜撰な労務管理状況の改善が必要である」と事故調査報告書に記載されているなど、過労によって医療事故が引き起こされていることがわかる。その背景には、OECD平均の人口10万人あたり330人を圧倒的に下回る日本の医師数(10万人あたり240人、いずれも2014年)があるとされている(植山直人、佐々木司『安全な医療のための「働き方改革」』)。

 高島さんのようなケースを繰り返さないためにも、病院側はまずきちんとその責任を認めて改善すべきだろう。また、同様の状態で働いている医師や看護師などの医療関係者の方などは、ぜひ改善策を考えるためにも労働組合や労働NPO、弁護士などの専門家にご相談いただきたい。

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NPO法人POSSE代表。雇用・労働政策研究者。

NPO法人「POSSE」代表。年間5000件以上の労働・生活相談に関わり、労働・福祉政策について研究・提言している。近著に『賃労働の系譜学 フォーディズムからデジタル封建制へ』(青土社)。その他に『ストライキ2.0』(集英社新書)、『ブラック企業』(文春新書)、『ブラックバイト』(岩波新書)、『生活保護』(ちくま新書)など多数。流行語大賞トップ10(「ブラック企業」)、大佛次郎論壇賞、日本労働社会学会奨励賞などを受賞。一橋大学大学院社会学研究科博士後期課程修了。博士(社会学)。専門社会調査士。

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