就活の平成史~売り手・氷河期・売り手のその先は
経団連会長「終身雇用は維持できない」
政府と経団連は就活ルールの見直しで動いています。
4月19日に中西宏明・経団連会長は官邸での記者会見で
「正直言って、経済界は終身雇用なんてもう守れないと思っているんです」
と発言。
22日には経団連と大学による産学協議会がこれまでの新卒一括採用に加えて「複線的で多様な方式による採用形態へ秩序をもって移行すべき」とした中間報告を取りまとめました。
要するに、これまでの新卒一括採用を見直して通年採用に移行していく、ということです。
これを受けて23日の朝刊各紙は
通年採用「実施・検討」8割 主要100社調査 人材多様化に期待(日本経済新聞1面)
採用ルート拡大合意 経団連・大学「新卒一括」は維持(朝日新聞6面)
通年採用積極導入へ 産学協中間報告 選考の多様化図る(読売新聞35面)
産学「通年採用拡大を」経団連・大学側提言 人材確保・学業両立探る(毎日新聞4面)
経団連 通年採用を拡大 春の一括偏重見直しへ(産経新聞3面)
「新卒採用 多様化を」経団連と大学の協議会中間報告「通年」拡大の見通し(中国新聞8面)
など、それぞれ大きく報じています。
ところで、各紙の見出しには「多様化」「通年採用」とある一方、「新卒一括は維持」(朝日新聞)ともあります。
一見すると矛盾する内容ですが、これこそ、就活の平成史を象徴しています。
では、この矛盾はどこから来たのか。そして令和の就活はどうなっていくのか。就活の平成史を振り返るとしましょう。
※文部科学省「学校基本調査」の就職率(卒業者に占める就職者の割合)で大卒・男女計/以降、各年代の見出し下の数字は同じ
売り手市場に沸くバブル期(1989年~1991年)
平成元年(1989年)就職率79.6%
平成2年(1990年)就職率81.0%
平成3年(1991年)就職率81.3%
会社訪問開始(2019年現在の選考解禁)4年8月20日、内定10月1日
主なキーワード
売り手市場(1988~1991年)/就職戦線異状なし(1991年)/内定者拘束(1980年代~1990年代半ば)/交通費支給(1980年代後半~1990年代前半)/就活で車買った(1980年代後半~1990年代前半)
石油ショックの影響を受けて1976年(昭和51年)には就職率が70.7%に低下(前年は74.3%)。しかし1979年から緩やかに上昇を続けていったところで平成となります。
時、まさにバブル時代。就職状況はきわめてよく、空前の売り手市場と言われていました。
内定学生への接待とでも言うべき内定者研修はすでに1980年ごろから大手企業各社は展開していました。
日本経済新聞1981年10月12日朝刊「内定学生『パック』旅行の違反戦術 研修実は足止め接待」には、まさに「接待」の文字が登場しています。
これが売り手市場で就活生にも拡大。内定者は内定者拘束を受けました。
「拘束」とは物々しいですが、これは企業側が学生に対して選考解禁日に他社選考に参加できないようにする、という意味です。そのために保養所やレジャーランドなどに連れて行く、という奇妙な習慣がバブル期には根付いていました。
「就職ジャーナル」1989年12月号には、内定者拘束の記事で旅行代理店が企業向けに内定者拘束旅行プランを売り込んだことが書かれています。志賀高原初心者ゴルフコンペプラン(2泊3日)が1人7万円。「金融、証券、不動産など全部で10社以上が申込み、いちばん多かったところは総勢300人以上のツアー」という盛況ぶりです。同記事では内定者に対してトヨタクレスタ級の車(300万円相当)をプレゼントする大阪の中小企業も紹介されています。
前年1988年には「研修なんかで拘束するよりは、ぶらりと海外に出かけ幅広い知識を身につけてもらった方がいい」(朝日新聞1988年2月18日朝刊)とのコメント付きで、銀行の金融プランが紹介されています。内定者の卒業旅行に最高50万円まで貸す制度で「印鑑1つでOK」、しかも無担保。5年返済で初回返済は入行1年目の年末ボーナス時という好条件です。
記事には「取引先の企業にも融資し、同じ制度を勧めることを検討中だ。こちらの方は、れっきとした『商売』になる」との予測で締められていますが、そんな甘い融資で持つわけもなく。この銀行、足利銀行はバブル崩壊後の2003年に破綻します。
この他、内定者の親に対して牛・馬をプレゼント、という奇策まで大真面目に論じられる(『採用内定者管理の進め方』知念実、ぱる出版、1990年)、凄まじい売り手市場の時代でした。学生は就活をすると説明会段階から交通費・宿泊費がもらえていた時代でもあります。そのため、東京の学生は大阪へ。大阪や地方の学生は東京へ。それぞれ会社見学を繰り返すとそれだけで重複する交通費・宿泊費が浮いて、車を買う、ということもよくありました。
1991年には織田裕二主演で「就職戦線異状なし」が上演。槇原敬之の主題歌「どんなときも」もあって大ヒットします。バブル期の就活を示す名作なのですが、権利関係の問題もあってかDVD化されていません(VHS・レーザーディスクはあり)。
映画のキャッチコピー
「なりたいものじゃなくて、なれるものを捜し始めたら もうオトナなんだよ…」
これは現代の就活・キャリア論にもつながる名コピーです。
氷河期から自己分析&エントリーシートが登場(1992年~1996年)
1992年(平成4年)就職率79.9%
1993年(平成5年)就職率76.2%
1994年(平成6年)就職率70.5%
1995年(平成7年)就職率67.1%
1996年(平成8年)就職率65.9%
会社訪問開始(2019年現在の選考解禁)4年8月20日、内定10月1日
主なキーワード
就職氷河期(1992年~2005年ごろ)/自己分析(1994年~)/エントリーシート(1991年~)/学歴不問採用(1989年・1991年~)
バブルがはじけ就職率も1992年から下落に転じます。「就職ジャーナル」1992年11月号は就職状況の悪化を「就職氷河期」と命名。以降、学生が不利となる買い手市場は「就職氷河期」と呼称されることが一般的となりました。なお、「就職氷河期」は1994年の第11回新語・流行語大賞で審査員特選造語賞を受賞します。
就職率データを見る限り、1992年・1993年はまだ70%台後半を維持していますので、そこまで酷くはありません。1995年には就職率統計を取った1950年以来、46年ぶりに60%台に下落します。
ここまで就職状況が悪化すると学生は「就職できなかったらどうしよう?」というプレッシャーがのしかかります。
当然ながら、選考には活発に参加するわけで、そうなると、企業は企業で選考の手間が増えます。
そこで定着していったのが書類選考です。
もともと、明治時代には導入されていた履歴書を日本の新卒採用でも大正、昭和と使用していました。が、新卒採用では現在ほど重視されていません。
就職の専門雑誌である「就職ジャーナル」は創刊号1968年7月号でも書類選考の特集はゼロ。かろうじて就職準備の記事(「オン・シーズンの身のこなし これだけはポイントをはずすな」)で3ページ中、60行程度の記載があるにすぎません。
以降、1999年4月号の特集記事「『ありきたりエントリーシート』脱出法」までなんと32年間もの間、選考書類に関連する記事は1本もありませんでした。
それくらい、新卒採用では大手企業であっても、面接(含むOB訪問)が重要だったのです。とは言え、就職状況が悪化し、押し寄せる就活生の前に採用担当者も方向転換せざるを得ません。
そこで大量に選考を進める手段として注目、定着していったのが書類選考です。
そして、1991年にソニーが導入したエントリーシート(履歴書の変化球)を各企業とも導入するようになっていきます。
ソニーはエントリーシート導入と合わせて学歴不問採用を提唱しました。こちらも、表面上は各企業に伝播していきます。
学歴不問採用はソニー系列のCBSソニー(現・ソニー・ミュージックエンタテイメント)が1989年に導入。それより前の1979年には毎日新聞も導入していました。
が、毎日新聞はいつの間にか立ち消え。そもそもソニーも学歴不問採用と言いつつ、結果的には旧帝大・早慶上智クラスからの採用が1992年には15.3%だったのが2016年には37.6%まで上昇するなど、掛け声倒れもいいところでした。
就職状況の悪化に伴い、定着していったのは書類選考・エントリーシートの他に自己分析が挙げられます。
1994年、杉村太郎は『絶対内定 完全就職の極意1995』(マガジンハウス)を刊行、就活生の間で大ヒットとなります。以降、就活生の間で自己分析はやって当たり前、となっていきました。なお、『絶対内定』は2001年にダイヤモンド社に移籍、現在に至っています。
1997年~2004年 就職協定廃止も氷河期続く
1997年(平成9年)就職率66.6%
1998年(平成10年)就職率65.6%
1999年(平成11年)就職率60.1%
2000年(平成12年)就職率55.8%
2001年(平成13年)就職率57.3%
2002年(平成14年)就職率56.9%
2003年(平成15年)就職率55.1%
2004年(平成16年)就職率55.8%
広報時期:4年生4~5月→3年生10月前後
選考時期:4年生8月→3年生3月~4年生4月
主なキーワード
就職協定廃止(1997年)/就職ナビサイト(1995年~)/インターンシップ(1997年~)/就職課からキャリアセンターへ(1998年~)/黒のリクルートスーツ(2002年~)/就活塾(1990年代後半~)
戦後に成立した就職時期などを定める就職協定は戦後に成立。その後、1962年に消滅し1972年に復活します。1980年代から1990年代にかけてこの就職協定廃止論が出ては消えて、を繰り返します。これに終止符を打ったのが日経連(現・経団連)で1997年に廃止します(決定は1996年)。
当時の根本二郎会長が
「正直者がバカを見る」構造だった。学生に道義を教えるべき教育現場で企業と大学が学生を翻弄していることを見過ごすわけにはいかなかった(日本経済新聞「私の履歴書」)
と、廃止を押し切りました。
就職協定廃止後、日経連を中心とする企業側は「新規学卒者採用・選考に関する企業の倫理憲章」(通称・倫理憲章)を締結。
一報、大学及び高等専門学校側は「大学及び高等専門学校卒業予定者に係る就職事務について(申合せ)」を定めました。
企業側の「倫理憲章」では就職情報の公開・採用内定開始は10月1日とする一方、選考日程等については「学事日程の尊重」とあるだけで明記はしていません。
一方、大学・高等専門学校側「申合せ」では、大学等での企業説明会や学校推薦は7月1日以降を原則とし、正式内定日は10月1日以降とすること、これを学生に徹底すること等が定められました。
が、どちらも法的拘束力がないのは、就職協定と変わりません。
さらに大学・高等専門学校側の「申合せ」も大学内での企業説明会を開かない、とするだけで企業の選考には無関係です。
これを受けて就活時期は早くなり、3年生の10月ごろから動き出し、3年生3月か4年生4月ごろには内々定が出そろう、というところまで前倒しになります。早期化しただけではありません。就活の終わらない学生はそれだけ長期化していき、学業などにも影響が出ることにつながります。
そこで2002年卒対象の倫理憲章には
「採用選考活動の早期開始は自粛し、特に卒業学年に達しない学生に対して実質的な選考活動を行うことは厳に慎むこと」
という一文が加わります。実質的には4年生4月1日以降の選考実施を求めるものとなりました。
さらに2003年10月には経団連が2005年卒対象の倫理憲章について、この倫理憲章の賛同書に経営者名でサインを求め、当時の経団連加盟企業1,280社の半数である644社が署名します。
繰り返しますが、倫理憲章にしろ、賛同書にしろ、法的な拘束力があるわけではありません。が、就職協定廃止以来、久々に選考日程が明記されたこと、経営者名の署名による賛同書が出回ったことなどを受けて、早期化に一応の歯止めがかかります。
この就職協定廃止の1997年以降に出そろい、利用者が急増していったのが就職ナビサイトです。
リクルート(現・リクルートキャリア)は「RB on the NET」(現・リクナビ)を1996年に開始。なお、RBとは「リクルートブック」のことです(これについては後述)。翌1997年に「リクナビ」に改称(2004年~2009年は「Yahoo!リクナビ」、2009年以降は「リクナビ」)。
ディスコは1996年に「日経プレイスメントパーク」サービス開始。1998年に「日経就職ナビ」に改訂・拡充します(2015年に「キャリタスナビ」に改称)。
マイナビは1995年に就職情報企画「Career Space」を開始。1999年に毎日就職ナビ(現・マイナビ)としてリニューアル。
※リクルートキャリア、ディスコ、マイナビ、3社とも各社サイトを参照
就職ナビサイトが出る以前は「リクルートブック」という採用情報を掲載した、分厚い冊子が採用情報の主流でした。
学生は送付されたリクルートブック(電話帳並みの分厚さ)をめくり、資料請求のハガキを始めるところから就活が始まっていたのです。
1990年代後半に大学生の間ではパソコンとインターネットが一気に普及していきました。ハガキを書く手間暇を考えれば、就職ナビサイトの方が圧倒的に便利です。企業側も膨大な資料請求ハガキの処理の手間を考えれば就職ナビサイトの方がこちらも便利。
という事情も相まって就職ナビサイトは学生側、企業側双方とも一気に普及していきます。
この時期は就職ナビサイト以外にも、大学就職課がキャリアセンターに衣替えしていきます(広島大学は1998年に学生就職センター、1999年に立命館大学はキャリアセンター、2002年には早稲田大学がキャリアセンターをそれぞれ設置・改称)。
インターンシップも1997年に文部省、労働省、通商産業省の三省が共同してインターンシップの総合的な推進に取り組むための「インターンシップ推進のための三省連絡会議」が発足。9月には、三省の合意文書「インターンシップの推進に当たっての基本的考え方」を発表するなど、インターンシップが本格的に導入されていきます。付言すると、実質的には説明会・セミナーと変わらない1日インターンシップも1998年に旭化成が実施。
リクルートスーツも、それまでは紺色が主流だったのが2002年ごろから黒が中心となります。
就職塾も多数登場するなど、この時期にほぼ現在の就活が形成されたと言っていいでしょう。
しかし、就職率は低迷を続けます。1999年には1950年の学校基本調査の統計開始以降、過去最低となる60.1%。2003年には55.1%まで低下。この2003年の就職率は現在も最低記録となっています。
2005年~2008年 売り手にやや戻り長期化批判も
2005年(平成17年)就職率59.7%
2006年(平成18年)就職率63.7%
2007年(平成19年)就職率67.6%
2008年(平成20年)就職率69.9%
広報解禁:3年生10月1日
選考解禁:4年生4月1日
主なキーワード
学歴フィルター(2000年代前半~)/長期化批判(2000年代前半~)/第二新卒(2004年~)/就活のバカヤロー(2008年)
当時も2019年現在も、就職率データで過去最低となっているのは2003年(55.1%)です。ここから徐々に上昇し、2006年には1999年以来、7年ぶりに60%越えとなる63.7%を記録します。
1995年~1998年に登場した就職ナビサイトは就活生の間で完全に定着。一方、この就職ナビサイト経由の説明会申し込みが大学によって差がある、いわゆる学歴フィルター批判が学生の間で強まったのもこの頃からです。
大学は大学で就職実績を重視するのですが、一方で早期化・長期化に伴い大学のゼミ・講義が成立しないところが出るようになりました。そのため、大学教職員を中心として就活の長期化批判も強まります。
就活で内定が出て入社してもすぐ辞める若手社会人を対象とした第二新卒採用が強まった時期でもありました。学情は2004年に25才までの転職サイト「Re就活」を開始。これが大当たりして、業績が拡大します。
手前みそながら自分ネタも一つ。2008年に光文社新書から『就活のバカヤロー』(大沢仁との共著)を刊行します。これが13万部の大ヒットとなり、新書の就活ものブームにつながりました。
2009年~2012年 氷河期逆戻りで内定取り消しに就活デモも
2009年(平成21年)就職率68.4%
2010年(平成22年)就職率60.8%
2011年(平成23年)就職率61.6%
2012年(平成24年)就職率63.9%
広報解禁:3年生10月1日
選考解禁:4年生4月1日
主なキーワード
内定取り消し(2009年)/就活デモ(2009~2013年)/学業阻害論(2000年代後半~)/新書で就活ブーム(2010~2014年)/ソー活(2011~2013年)
2008年にアメリカでリーマンショックが発生。この影響で2008年10月ごろから内定取り消し騒動が起きます。
就職状況も売り手市場と言われていたものが氷河期に逆戻りします。2009年(卒)はそれでも1.5ポイント減の68.4%でしたが、2010年は7.6ポイント減の60.8%。前年比7.6ポイントの減少幅は1950年の統計開始以来、最大です。
この時期に注目されたのが就活デモです。2009年に当時の北大生が勤労感謝の日に札幌でデモ(就活くたばれデモ)を企画、実施。就活関連のデモは1994年~2001年に「就職難に泣き寝入りしない女子学生の会」がデモや国会・関係省庁請願などをしていました。その後、途絶えていたのですが、就職状況の悪化という背景と就活の長期化批判も相まって注目されました。
2010年には札幌以外に東京、大阪、松山でも同様の就活デモが起きます。東京では2011年以降も実施されますが、2010年に120人、2011年に100人がピークで2012年は30人程度と縮小し、2014年以降は実施が確認できませんでした。
2011年には当時の就活デモ主催の学生が中心となり、就活生組合を結成。
労働者でもないのに組合?どうなるか、生暖かく見守っていたところ、数か月程度で活動休止となりました。
2011年の就活デモ(朝日新聞社)
この時期は就活がかなり注目された時期で、私の著書『就活のバカヤロー』(共著、2008年)に続き、2009年に文春新書『就活って何だ 人事部長から学生へ』(森健)が7万部とこちらもヒット。そこで2010年以降、めぼしい新書レーベルで就活ものの刊行が相次ぎます。私も何冊か出しましたが、大当たりないし中当たりと言えるのは、私の『アホ大学のバカ学生』(共著、光文社新書、2012年/4.5万部)のほかは『ぼくらの就活戦記』(森健、文春新書、2010年)、『大学キャリアセンターのぶっちゃけ話』(沢田健太、ソフトバンク新書、2011年)くらい。他は私の本を含め数十冊刊行されて、どれも軒並み惨敗。2014年ごろには就活ものブームが終息し、2019年現在では「就活ものはもう売れないから出したくない」(某新書編集長)という状況になっています。いや、就活、という視点でなく採用という視点なら行けると思うのですが。
この時期には、就活の長期化批判に加えて、学生が勉強しなくなる元凶とする、学業阻害論も強まりました。これは大学側からだけでなく、企業側からも出て、商社団体である日本貿易会(当時の会長は槍田松瑩・三井物産会長)は就職時期の見直しを提言します(2010年12月24日・中日新聞「核心 日本貿易会・槍田会長に聞く 選考時期見直し提言 早い就活 学業阻害 中途、外国籍採用増やせ」)。
この学業阻害論や長期化批判は2011年に、2013年卒採用について「3年生10月広報解禁・4年生4月選考解禁」から2か月後ろ倒しとなり「3年生12月広報解禁・4年生4月選考解禁」となります。まあ、これがすぐ変更となるのですが(次の項目にて解説)。
2011年、急に注目されるようになったのが「ソー活」です。これは
ツイッターやフェイスブックなど、ソーシャルメディアを利用した就職活動。双方向とかけているとも。企業は自社のPRや新しいメディアに対応できる人材探しのため、就活生は情報収集や採用担当者との交流のために活用しているという(中日新聞2011年11月12日夕刊「今流ことば ソー活」)
というもの。2012年には大手企業だけでなく準大手・中小企業もTwitterの採用アカウントを開設するなど動きが活発となりました。2012年には、新語・流行語大賞の候補(ノミネート50選)に選出されます。
しかし、このソー活、あっと言う間にすたれます。2013年以降は採用専用のFacebookページを設ける企業はあるものの、あくまでも補助的な位置づけとする企業が大半です。
就活デモやソー活など、この時期は氷河期という背景もあり、就活が社会から注目されていた時期でした。
2013年~2018年 売り手市場からオワハラも
2013年(平成25年)就職率67.3%
2014年(平成26年)就職率69.8%
2015年(平成27年)就職率72.6%
2016年(平成28年)就職率74.7%
2017年(平成29年)就職率76.1%
2018年(平成30年)就職率77.1%
広報解禁:3年生12月1日(2013年卒~2014年卒)→3年生3月1日(2015年卒~)
選考解禁:4年生4月1日(2013年卒~2014年卒)→4年生8月1日(2015年卒)→4年生6月1日(2016年卒~)
主なキーワード
就活時期の変更(2011年・2013年・2015年)/オワハラ(2015年)/オープンエントリーシート(2013年~)/1日インターンシップ(2010年代~)/就活時期の分散・通年採用化(2016年~)/バブル期並み(2015年~)/内定者フォロー(2008年~)/奨学金返済支援制度(2012年~)/人手不足倒産(2018年~)
2011年に、2013年卒採用から「3年生12月広報解禁・4年生4月選考解禁」とすることを決定します。これはこれで企業研究の時間が短すぎるなどの批判もあったのですが、ひとまずこれで落ち着くか、と見られていました。
ところが、2013年、安倍晋三首相の要請(政府要請)により、経団連は2016年卒の就活時期について「3年生3月広報解禁・4年生8月選考解禁」(通称「3・8」)とすることを決定します。
政府が要請に乗り出したのは、就活が長期化して学生の本分である学業がおろそかになっているためだ。現実には、会社説明会の解禁前の三年生前半からOB訪問やインターンシップ(就業体験)など事実上の就活を始めている学生が少なくない。これでは学業に専念する期間があまりに短い。全国大学生活協同組合連合会の調査によると、大学生の一日の勉強時間は、講義時間を除くと平均三十九分余り。特に一、二年生はこれよりはるかに少ない。大学のレジャーランド化や就職予備校化が指摘されるゆえんである。(2013年4月20日・中日新聞朝刊社説「就活解禁見直し 学業専念は進むのか」)
「3・8」は実質的には1996年以前の就職協定の時期と同じです。政府の狙いは中日新聞社説にあるように、学業時間の確保にありました。
もっとも、中日新聞社説には、
今回の要請で、学業時間が増えるのであれば歓迎したい。しかし、はたして就活期間は短期化するのか、短期化したとしても弊害もまた大きいのではないか。
とも書かれていました。結局、勉強をするかどうかは学生次第ですし、勉強をちゃんとやっている学生ほど就活にも熱心、というのは採用担当者の間では現在、常識となりつつあります。
時間の融通が利きやすい文系学部でも8月以降の選考だとゼミ合宿などに影響があります。さらに卒業研究が必須となる理工系学部は4年生6月前後から忙しくなりはじめます。
暑い8月にリクルートスーツを着ての就活など大変ではないか。そんな批判が始まる前から噴出しました。
そもそも、就活時期は罰則を含めて法律で決める、というものではありません。就職協定の時期から、紳士協定で成り立つものであり、これは2000年代に入ってからの倫理憲章でも同様です。案の定と言いますか、IT企業中心の新経済連盟は早々に政府要請を受け入れず各企業の判断とすることを表明。
その結果、「3・8」は、進行中だった2015年、面接解禁前の7月1日時点で、大学生の就職内定率は49.6%(リクルートキャリア調査)となるほど、前倒しが進みます。
経団連加盟企業でも、8月より前に「面談」「ミーティング」といって事実上の面接をするケースが続出。事前に選考を進めて8月1日に内定を出したり、8月より前に内定を約束したりすることも多かった。解禁破りが横行し、不透明な採用活動に学生は困惑した。
日程変更は大学や政府が要請したが、旧日程の方が良いという大学の就職指導担当者は多い。都内私大の担当者は「4年前期は学生が何度も企業に呼び出され、学業が妨げられた。繰り下げは完全に失敗だ」と話した。(2015年10月23日熊本日日新聞朝刊「検証:就活日程繰り下げ 『長期化』『不透明』学生に不評 ズーム」)
学業の時間を確保するはずがむしろ逆効果。
これでは意味がない、と、何と2016年卒採用が進行中の2015年、2017年卒から選考解禁を2か月前倒しして4年生6月1日開始とすることを経団連が取りまとめます。
さすがに日程を変えすぎとの批判も強くあり、経団連会長の定例記者会見では「朝令暮改との批判があっても変えるべきだと思っている」とコメントするほどでした。
こうして2017年卒から就活スケジュールは通称「3・6」となり、2019年卒採用もこのスケジュールが踏襲されています。
就活状況は2013年に67.3%と60%台後半となり氷河期から脱却。2015年には72.6%と70%台を突破し、このあたりから「売り手市場」「バブル期並み」と言われるようになります。
売り手市場に加えて、度重なるスケジュールから、1日インターンシップも活発となりました。政府や労務政策に詳しい国会議員、就活事情に疎い大学教職員の言うインターンシップは短くても1週間程度のものですが、就活生からすれば1日インターンシップが主流となっています。
就活時期(企業からすれば採用時期)も、経団連のスケジュールを守るにしろ、破るにしろ、時期を一本化するのが採用担当者の常識でした。その方が効率的だからです。せいぜい、採用者数の少数を補充選考する程度でした。
が、2015年ごろから、長引く売り手市場から、採用時期を複数回設ける企業が増加しはじめます。
この採用時期の分割化をもって、「通年採用が進み、新卒一括採用が崩壊した」とも言えますし、「従来の新卒採用が維持された」と主張することも可能です。私は両者にいい顔をする中間派ですが、どちらかと言えば後者寄りというところ。
2015年には選考参加中の就活生に「他の選考を辞退しないと内定を出さない」などと迫る、オワハラが問題化します。
これも売り手市場を反映してのもの。オワハラはそれだけ採用担当者が内定者確保に追い詰められた、とも言えます。
もちろん、就活生からすればいい迷惑であり、2015年7月には塩崎恭久厚生労働大臣(当時)がオワハラ自粛を企業側に呼びかける一幕も。
来春卒の大学生を対象とした企業の採用面接が8月1日に解禁されるのを前に、塩崎恭久厚生労働相は31日の記者会見で、内定を出す条件として就職活動を終わらせるよう学生に強要する「就活終われハラスメント(オワハラ)」を行わないよう企業に呼び掛けた。
塩崎氏は「学生が納得しないまま就職しても、学生と企業にとって良い結果につながらない可能性がある」と指摘した。企業向けに作成したリーフレットを活用し、都道府県の労働局を通じて周知徹底を図る考えも示した。文部科学省の調査によると、オワハラについて学生から相談を受けた大学・短大は68・3%に上り、学生の5・9%が「ハラスメントを受けたことがある」と回答している。(2015年7月31日・共同通信記事「厚労相、『オワハラ』自粛を要請 採用面接解禁前に」
オワハラ自体はあまりにもネガティブなイメージを持たれましたし、そもそも就活生も頭のいい学生だとオワハラをかいくぐっていました。たとえば、その場で事態の電話を、と言われても、後で掛け直す、就活手帳の提出を求められても(どれだけ高圧的なんだか)ウソ手帳を出すだけ、とか。
結果、2016年以降は急速に鎮静化します。
一方、2010年代から始まっていたものの、売り手市場から大きく注目されたのが内定者フォローと奨学金支援制度です。
前者は企業が内定を出した後に、内定者をいかにつなぎとめるか、というもの。内定者SNSを導入する企業も増加しています。
内定者SNSの最大手であるEDGE(エッジ)は2006年に内定者SNS「エアリーフレッシャーズ」をリリース。NTTドコモやサントリーなど大手企業から中小企業まで累計3000社以上が利用しています(2017年現在)。
奨学金返済支援制度は入社して一定の勤続年数ごとに奨学金返済をしている場合、一定額を支給する(または入社後すぐ毎月、一定額を返済支援用に支給)という制度です。2012年にブライダル大手のノバレーゼがはじめました。
同様の制度は、看護師養成の専門学校を保有する大病院が古くから実施しています。企業でも大手メーカーがエリート学生を確保するために大学限定での実施は戦後から現在までずっと続いています。
という事情はさておき、オープンに制度として提示したのはノバレーゼが初めてでしょう。私が企業リストを作成するため2016年に確認したところではそれでも10社程度でした。
が、その後、同様の制度を始める企業が続出。
2018年にはあおぞら銀行、大和証券グループ本社(同社は正確には奨学金返済サポート制度で一度、会社側が返済額全額を無利子で貸し付け社員は一括返済。社員は6年目から会社への返済を開始)、イズミなど。2019年も2020年卒向けにコープさっぽろ、カーセブン、山陰合同銀行などが導入を決めています。区域内にある中小企業向けに奨学金返済支援制度を設ける自治体も都市部を中心に広まりつつあります。
企業からすれば、人不足の中、100万円、いや仮に数百万円だったとしても、それで人員を確保できるなら安いもの。
内定者フォローに奨学金返済支援制度など、そこまで企業が追い込まれるほど売り手市場であり、2018年ごろから「人手不足倒産」というキーワードが注目されるようになります。
「倒産」と「人手不足」、相いれない言葉ですが、本来ならビジネスがちゃんと回るはずの企業が人手不足により倒産することです。さらに、従業員の人件費上昇に耐えられず倒産することも含みます。
この「人手不足倒産」、初出はバブル期の1989年です(日刊工業新聞、読売新聞など/いずれも1989年4月14日)。
その後、1992年までにGサーチ記事検索(日本経済新聞以外の全国紙・地方紙・雑誌など)では242件ありました。
その後、しばらくは出ず、2014年6月7日、西日本新聞が「人手不足倒産」を見出しで使います(「人手不足倒産が発生 九州沖縄 5月 景気回復で深刻化? 」)。
以降、増え続け、2018年~2019年4月28日まではバブル期の5年間に比肩する201件が検索できました。
Gサーチ記事検索は日本経済新聞が含まれないのですが、同紙も2019年1月5日朝刊で「人手不足倒産、18年最多に 求人難・人件費高騰で」との記事を出すほどです。
このように、人手不足による売り手市場という背景は令和になった後も続くことでしょう。
さて、新しい時代の就活はどうなるでしょうか。
ところで、3年生向け(2021年卒)の就活はもう始まっています。
令和になって、すぐスタート。さて3年生は大丈夫か?
3年生「え?」
※詳細は今後のYahoo!ニュース個人記事でどうぞ。
2019年5月7日 訂正
「2013年~2018年」の項目で「メガネチェーンのノバレーゼ」とありましたが、ノバレーゼはブライダル大手でしたので訂正しました。
ノバレーゼ関係者に深くお詫びします。