「AIは幻滅、ビッグデータは陳腐化」の意味を誤解していないか
10月11日、ガートナーは「日本におけるテクノロジのハイプ・サイクル:2018年」を発表した。
テクノロジーに関係する人にとってはもはや常識だから、知らない人はこの機会に覚えてほしい。ハイプ・サイクルは、新しく生まれたテクノロジーが今後どのようなプロセスを辿って市場に受け入れられていくかを簡潔に示したものである。横軸には時間の経過、縦軸には市場からの期待度が置かれ、時間の経過とともに、黎明期、「過度な期待」のピーク期、幻滅期、啓蒙活動期、生産性の安定期という流れで曲線上を移り変わっていく。また、テクノロジーごとに主流になる時間は異なるため、記号を変えることで対応している。注目すべきテクノロジーの位置づけを知ることは、現在あるいは未来におけるビジネス上の振る舞いに、直ちに関係してくる。
ところで、ハイプ・サイクルの記事がマスコミによって発表される際に、言葉の意味や図の見方が説明されないことがある。そのため、記事を読んだ人が誤解してしまうことが少なくない。今回発表されたハイプ・サイクルでは、AI(人工知能)は幻滅期に差し掛かり、ビッグ・データは「安定期に達する前に陳腐化」の記号が当てられている。そうすると、例えば次のような誤解が生じる。「やっぱりAIやビッグ・データなんかは、大したインパクトはないんだ。」こうなれば、ビジネスの機会に気づくことはできなくなる。
このイノベーションの時代においては、知識こそが力である。ハイプ・サイクルを題材にして、われわれがテクノロジーをどのように扱うべきかを再考したい。
「AIは幻滅、ビッグ・データは陳腐化」の意味
まずは、ハイプ・サイクルの目的を正しく理解する必要がある。
ハイプ・サイクルは、台頭しつつあるテクノロジーを誇張(=ハイプ)から切り離し、意思決定者が技術の取り扱いを正確に判断できるようにするために存在する。黎明期のテクノロジーは、出来ることが少ない。そのため、いずれ市場に破壊的な影響を与えるものであることが予想されても、それを用いて作られた製品やサービスは、市場の「過度な期待」を裏切ることになる。つまり幻滅期とは、あまりにも高まった期待が落ち着く期間のことである。
しかし、ひとたび市場に投入された製品やサービスは、顧客やメディアなどの声を反映して、改善が図られる。現状できることのなかで、いかにすれば顧客に受け入れられるかを検討し、再び市場に打って出ることができるようになる。よって幻滅期は、試練の期間でもある。こうした試練に耐え抜いた企業は、自社に特有の経験知を蓄えることができる。力をつけることができるのである。
かくしてリベンジを誓う企業は、自社のできること、やろうとすることを周知させ、一歩ずつ進んでいく。したがってこの期間を啓蒙活動期と呼ぶことは、それなりに理にかなっている。こうした企業のたゆまぬ努力の結果、テクノロジーは市場のなかで落ち着いていく。生産性の安定期へと到達するのである。
ハイプ・サイクル上でAIが幻滅期に差し掛かっているということは、市場に適したものとなるために、さらなる発展を遂げる期間に入ったことを意味する。つまりAIは、その可能性を具現化するための検討段階に入ったのである。しばらくしてAIは、各種の具体的な、より多くの人々に活用されるビジネスとして、社会に浸透していくことになる。事業化され、競合が生まれ、それを活用する大多数の企業が採用を検討するようになっていくのである。
それではビッグ・データが「安定期に達する前に陳腐化」する理由はなぜか。実はこれは、ビッグ・データという言葉の性質に関わっている。ガートナーの説明では、ハイプ・サイクルには「テクノロジ、サービス、方法論、プラクティス、コンセプトなど」が盛り込まれている。本来それらを総じてテクノロジーと呼ぶべきであり、ここでの「テクノロジ」は技術などと訳すべきなのだが、ひとまず置いておこう。ビッグ・データとは、従来のITシステムなどでは記録や保管、解析が難しい巨大なデータ群のことである。つまりビッグ・データは、コンセプトに寄った言葉なのである。
しばしばビッグ・データは、曖昧なバズワードに過ぎないと言われてきた。まったくもってその通りである。しかしだからといって、ビッグ・データには意味がないということはない。それをいかに活用すべきかを考え、真摯な態度で来るべき未来を構想してきた者にとっては、たしかに大きな意味がある。結論をいえば、そうした人々の手によって、ビッグ・データなるコンセプトは、別の言葉に置き換わっていく。すなわち、各種の分野、業界、シーンごとに、より具体的な意味をもった言葉となり、いわば生まれ変わって、啓蒙されていくのである。
AIは幻滅され、ビッグ・データは陳腐化していく。したがって、AIとビッグ・データは未来をつくるのである。
テクノロジーは、金なり
ハイプ・サイクルの見方について述べてきた。しかるに、筆者が本当に言いたかったことは他にある。すなわち、テクノロジーを扱い、独自の解釈をし、意味づけを行うのは、ほかならぬ人間なのである。
テクノロジーあるいは技術やコンセプト、方法論などは、いまだビジネスにはなっていない。ビジネスになるには、それを欲しいと思える人を見出し、実際に活用できるようにしなければならない。そうなったときにはじめて、テクノロジーは価値をもつ。アリストテレスの言葉でいえば、技術はそれ自体なにであるとも言われないものに過ぎないのである。
AIやビッグ・データは、ビジネスの創造においてとくに重要な要素である。しかし、それらの動向を正しく捉え、活用方法を考えなければ、ビジネスにはならない。だからこそ、テクノロジーの動向には、すべての人が目を光らせていなければならない。分かる分からないのレベルを超えて、努力して理解し、知見を深めていかなければならないのである。
はっきり言う。企業で事業企画の担当をしている者は、ガートナーと契約したほうがいい。契約の内容にもよるが、基本的には日々発行されるレポートを読み、そのレポートに関する分野のアナリストと、電話などで会話をすることができる。そこで率直に、自社の課題を伝え、どうするのが最適かを、たくさんのアナリストと相談するとよい。彼らはそれぞれ意見をもっており、したがってアイディアを生み出す力がある。有能な担当者(AEという)がつけば、ビジネスの成功に向けて経営学や事業企画、マーケティングなどの知識を駆使して、適切にエスコートしてくれる。訳のわからないコンサルに依頼するよりは、よほどコスパがいい。
そうはいっても、ガートナーは一般人が契約できるほど安くない。そこでおすすめなのが、MITテクノロジーレビューだ。ガートナーのように専門家からアドバイスをもらうことはできないが、世界中の優れた研究事例を紹介してくれる。これらの知識を、どうすれば自らの仕事に援用できるかを考えるのである。記事それ自体は、ビジネスに直結する知識を与えてはくれない。しかし、それらを自らの解釈のもと、インスピレーションを生み出し、ビジネスへと変えることは、誰にでもできる。
近世イギリスの哲学者フランシス・ベーコンは、知は力なり、と述べた。われわれの時代では、さらに強調して、次のように言うべきであろう。知は力なり、すなわち、金なり。正しい知識をもつことが、それを用いて価値を生み出し、ビジネスを創造するための第一条件である。