オスプレイ強行配備、そして平気で約束は破られる。
先週土曜日にヨーロッパ出張から帰国した私は日曜日に京都で講演、翌日10月1日は裁判で朝から鹿児島に出張した。
台風一過の輝くような朝、京都から鹿児島に降り立ち、空港でラジオを聞いていたら、陽気な女子アナが「え、種子島にオスプレイが飛んでるう?」「うそでしょ」・・・なんて会話している。まさか。
しばらくして真面目な声で「種子島上空をオスプレイが・・」と読み始めた。身近なところにノーマークでオスプレイが通る恐怖にぞっとした。
そして、あれだけの反対運動にも関わらず強行配備されてしまっているという現実に改めてあっけにとられる。沖縄の人々、県知事、市長も含めてみんなが明確にNOと叫び、心から懸念を表明しているのに、強行配備されてしまった現実を、本当に信じることができない。民主主義とはなんなのだろうか。政府は平然と「安全宣言」を行い、それによって配備が可能となった。
そして、配備早々、日米両政府が合意した安全策は破られたという。
「オスプレイ配備早々合意破り、ヘリモードで市街地飛行」
http://www.sponichi.co.jp/society/news/2012/10/02/kiji/K20121002004244790.html
完全に馬鹿にされているのだ。
昨年の9月(1年前)、そういえば私は機会があって沖縄に行った。たまたま与党(!)の国会議員が一緒だったこともあり、普天間基地について宜野湾市役所の方が丹念に説明してくださった。誠実で丁寧な切々とした説明はしかし、とても許せないような内容だった。
本当に民家のまんなかにある危険な基地。日米で、普天間に関して、飛行経路に関する協定や安全協定などを締結しているという。しかし、明らかにこれを無視した飛行形態が常態化しているというのだ。
私が騒音公害訴訟を手掛けてきた横田基地でも日米合意を無視した飛行がしばしばある。しかし、話を聞いている限りにおいて、普天間における合意無視というのは、東京にある横田基地の比ではない、ほとんど反故にされ、無視されているような状態だった。ところがそれを日本政府は是正しようとしないりだという。明らかに沖縄差別だ、と怒りを覚えたのを忘れられない。
オスプレイに関する日米の合意など、あっけなく無視されるだろうことを人々は知っている。
沖縄の人たちは踏みにじられている。
何より考えるべきは、オスプレイは、ハワイやニューメキシコでは住民が反対して、飛行できないということ。
米国本国では、住民の声や安全を尊重して、オスプレイを飛行させることができないというのに、どうして日本ではこれだけの反対や懸念を無視して飛行させるというのだろう。日本人は同じく尊重されるべき人間だと思っていないのだ。
「もうこんなところでは暮らしていけない」と追い詰められたように住民がコメントするのをテレビでみた。もし、住民が出て行かざるをえなくなり、米軍が居座ることになるとしたら、、、彼らの生まれ育った土地なのに、どうしてこんなことになるのだろうか。
政府には、国民の安全と命を守る責務がある。
墜落の恐怖に日々脅えながら生きなければならない状況は、それ自体深刻な人権問題である。
政府には、本当にこのまま住民の反対と不安を無視して配備と飛行を唯々諾々と許して良いのか、真剣に考え直してもらいたい。