生粋のボランチ、MF岸川奈津希が辿った多彩なキャリア。WEリーグでクラブ初のトップ3入りなるか?
【千葉を輝かせる背番号8】
「ボランチ」。ポルトガル語で、「ハンドル」を意味するこのポジションは、サッカーのピッチ上で重要な役割を担う。選手のプレースタイルによっては「司令塔」「攻守の要」「ゲームメイカー」「リンクマン」などと呼ばれ、経験豊富な実力者が務めることが多い。
WEリーグのジェフユナイテッド市原・千葉レディースのMF岸川奈津希(きしかわ・なつき)は、中学生の頃からボランチを主戦場にしてきた。
フィジカルの強さと技術の高さが魅力で、千葉のアグレッシブな守備と縦に速い攻撃をリード。敵に体を預けてボールをキープし、自らもドリブルでチームの最終ラインを押し上げる。ワンタッチパスでリズムを作ったかと思えば、正確なロングキックで相手の裏を突く。小さな足の振りで強烈なパスを蹴れるパワーも魅力だ。クロスやロングボールにピンポイントで合わせる得点力もあり、セットプレーでは対戦相手が最も警戒する選手の一人になっている。
「究極の理想は、なんでもできるボランチです」という岸川。好きな選手にタイプの異なる2人のスペシャリストを挙げたところに、探究心の一端が窺える。
一人は、小柄な体格ながら長短の性格無比なパスでチームのタクトを振った元イタリア代表の名選手、アンドレア・ピルロ。もう一人は、高い身体能力を持ち、華麗なボールタッチやパスで中盤を支配するオランダの逸材、フレンキー・デ・ヨング(FCバルセロナ)だ。
「中学、高校の時は、いつも動画でピルロのプレー集を見てから試合に向かっていました。デ・ヨングは守備でもチームに貢献しているし、攻撃では自分で持ち運んでチャンスを作れる。私も守備でしっかりチームのために走れて、奪えて、かつ攻撃に参加するのが理想です。今は、インターセプトをダイレクトでクサビのパスにしたり、五分五分の局面をチャンスに変えるようなパスを意識しています」
30代に突入した岸川のキャリアは多彩だ。ユース時代だけでも、湘南ベルマーレジュニア、東京ヴェルディジュニア、日テレ・メニーナ、浦和レッズレディースユースと、名門を転々。U-17W杯やU-20W杯にも出場し、同年代では10代から名を知られた存在だった。浦和ではユースからトップチームに上がり、2年目以降は主力の仲間入りを果たした。
その後、2016年から仙台で2年間プレーし、2018年にドイツ2部のBVクロッペンブルク(ドイツ)に移籍。プロとして1年半の海外挑戦を果たした。その後、クロッペンブルクが財政難に陥ったこともあり、千葉のチームメートであるFW大滝麻未のサポートもあって2020年に国内復帰が実現。千葉では1年目の昨季から全試合に出場し、すぐに不可欠な存在になっている。順応の早さは、様々なサッカーに触れてきた経験値とイコールだろう。
【初のトップ3を目指して】
岸川は今季、WEリーグ第2節の埼玉戦(△1-1)でクロスにヘディングで合わせるゴールを決め、クラブのWEリーグ第一号を記録。その後、4節の仙台戦(△1-1)でもセットプレーから頭で2点目を決めた。それから、チームは4連勝を含む10試合負けなしと、大きな波に乗った。
元々、千葉は走力に定評のあるチームだが、昨季からは猿澤真司監督の下で守備の強化を図りつつ、得点パターンも増やしてきた。
「こうやろう、と伝えたことに対して、選手同士がすごく話し合って理解を深めてくれる。私自身はブレないようにしてきました」(猿澤監督)と言うように、信念を持ってチームの幹を太くしてきた。その中で、選手個々のポテンシャルが引き出されてきた印象がある。
ただ、記録はいつか途切れるもの。2月末の皇后杯決勝で浦和に敗れ(●0-1)、リーグ再開後も上位の浦和(●0-2)、首位の神戸(●0-1)に連敗した。それでも、神戸戦は相手の3倍超のシュートを放つなど、勢いを取り戻しつつある。
岸川は言う。
「(皇后杯決勝は)古巣のレッズが相手だったので悔しさもありましたが、決勝まで来られたことはチームの自信につながったと思います。INAC(神戸)戦は、チームとして前から行く守備がしっかり表現できた。前の3トップがしっかり追ってくれるからこそ、自分の強みである前への強さや中盤で相手を潰すプレーも少しは出せたと思います。ただ、勝ち点3を取るためには先制点が本当に大事だなと思います」
現在の順位は5位。ただ、2位を勝ち点差「4」差に捉えており、クラブの歴史を塗り替える上位3位以内も現実的な目標である。
【ドイツ経験で得たもの】
若い頃から積極的に指示を出すタイプだったという岸川は、浦和時代に選手としての礎を築いた。
「レッズユースの頃から周りにガンガン指示を出していて、後輩からは怖い人だと思われていたと思います。トップチームの1年目は先輩に山郷のぞみさんや柳田美幸さん、矢野喬子さんなどがいて、偉大な選手たちにもビビりながら言っていましたね(笑)。そういう先輩たちが本当に厳しいことを言ってくださったおかげで、自分自身も成長できたと思っています」
そして、変化に富んだサッカー人生の中で、特にドイツで過ごした3年間は転機となった。日本ではアマチュアだったが、ドイツでは「少ないながら、お金をもらってプロとしてプレーしました」という。
エージェント探し、練習参加など、数年がかりで実現させたチャレンジ。想像以上に厳しい環境だったが、さまざまなカルチャーショックを乗り越えて得た財産がある。
「試合に出してもらっていましたが、言葉や生活、サッカースタイルも違うので順応するのに苦労したし、辛い時期もありましたね。私が入ったチームはFWを目掛けてロングボールを蹴るスタイルだったので、マイボールにできないもどかしさや、自分自身はしっかりパスをつなぐサッカーがしたいと考えていた中で順応するストレスがありました。守備の考え方も根本から違っていて。ボランチを組んでいた選手がすごく前に強くて、日本では『ここはいかないだろう』というタイミングで止まると、『いけよ!』と言われる。ドイツではそのタイミングでいけるようになりました」
168cmの岸川よりさらに大きな選手たちの中で揉まれ、当たりの強さや1対1の駆け引きも身につけた。そしてもう一つ、気づきを得たのが、周囲への声の掛け方だ。
「ドイツでは負けず嫌いが表に出る選手が多くて、試合中はいつも怒号が飛び交っていましたね(笑)。一つのミスに対してヒステリックに怒る選手もいて、それを聞く立場だったので、これは萎縮する選手もいるだろうな、と感じました。そこで、『レッズ時代は自分もミスに対してきつく言っていたな』と思い返して。それからはプレー中の言葉や、伝え方を変えました」
【未来につなげる存在に】
今季からはプロになり、岸川はサッカーに集中できる環境のありがたさを実感している。黄色のユニフォームがすっかり馴染んだその目線は、クラブの未来にも及ぶ。
「ジェフの根本にある『走る・闘う』ことを、誰が試合に出ても発揮できるのは強みだと思います。ジェフは若くて力のある選手が多いので、いろんな面で成長してもらいたいと思っていて。私はみんなに比べて経験値がある方だと思うので、練習と試合での声のかけ方を変えてみたりもしていますよ。お手本になれるようなプレーをしていきたいと思っています」
千葉からはここ数年、なでしこジャパンの選手が出ていない。代表選手がいないのに上位に食い込んでいることは、チーム力の証と言える。一方で岸川は、代表に一人でも入ることが、チームの発展のために大切だと考えている。
「これだけは絶対に負けない、という武器を持つことだと思います」
代表に選ばれるために何が必要かを聞くと、そう答えた。
フィジカル、キック、統率力。数ある武器に磨きをかけ、「なんでもできる」――究極のボランチを目指す岸川の挑戦は続く。
*表記のない写真は筆者撮影