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賭け麻雀が発覚した市長らは賭博罪で処罰されるのか??弁護士が解説

福永活也福永法律事務所 代表弁護士
(写真:アフロ)

12月22日、福岡県飯塚市の市長と副市長が市内で賭け麻雀を繰り返していたことが分かり、問題となっています。

市長と副市長が賭け麻雀 便宜も辞任も否定し開き直り

そして、市長らの記者会見の中で、「1日1万円程度を賭けていた。」「1年を通してみれば大体トントン」「当然やるからには(賭けていた)」「賭けなかったら麻雀をする人はどれぐらいになるだろうという気もしますね」等と、賭け麻雀をしていたことに対して悪びれる様子もない発言を連発したということで、市民の方々を中心に批判が相次いでいます。

そこで、今回の市長らの賭け麻雀が賭博罪に該当し、処罰される可能性があるかについて、コメントしてみたいと思います(賭博について議論していくことが本稿以降の趣旨ですので、市長が公務中に麻雀してて良いのか?という点には触れません)。

前提として、麻雀を知らない方については、基本的に4人で行い、136枚の牌を用いて得点を競い合うゲームである、というぐらいに理解しておいていただければ十分です。

そして、麻雀が昔から多くの人に愛されてきたゲームであることは、今や標準語のようになってしまった数々の麻雀用語からもわかります。

例えば、「テンパる」とは、麻雀で、あと1つでそのゲームを勝てる状態を言いますが、このような場合には往々にして1つ間違えば負けてしまう状況でもあるため、そのパニックの心理状態を指すようになっています。

賭博罪の憲法適合性について

では、いよいよ法的な検討をしていきますが、まず賭博罪については、刑法では以下のように規定されています。

参照「刑法第185条(賭博):賭博をした者は、50万円以下の罰金又は科料に処する。ただし、一時の娯楽に供する物を賭けたにとどまるときは、この限りでない。」

このように賭博は禁止されていますが、そもそも、賭博とは、自己責任で自分の財産を自由に消費するだけで、他人の財産を侵害するものではないのに、どうして禁止される必要があるのでしょうか(いわゆるカジノ法案についても同じようなことが議論されていますね)。

もし理由がないにもかかわらず、国民の自由を制限する法律であれば、憲法違反になってしまうはずです。

実は、刑事裁判では、過去に何度も、賭博罪の規定は憲法に反する法律であり、無効だから処罰すべきでないという議論がなされてきました。

これに対して、判例では、勤労等の正当な原因によらず、単なる偶然の事情によって財産を獲ようと射幸心(努力をせずに幸運を得たいと願う感情)が煽られてしまうと、怠惰で浪費な風潮が蔓延し、健康で文化的な勤労の美風を害するばかりでなく、暴行、脅迫、殺傷、窃盗、強盗等を誘発したり、国民経済の機能に重大な障害を与えたりする恐れすらある、として賭博罪は合憲であると判断されてきました。

いやいや、いくらなんでも、賭博を認めることが、殺傷や強盗を簡単に誘発するとは思えませんが・・・、ともかく、裁判所はこのように考えてきました。

(賭博罪の妥当性については、次回以降に記事にしたいと思います。)

さておき、現状では賭博罪という規定があるわけですから、これを前提に検討を進めていきます。

賭け麻雀が「賭博」に当たるか(当然のようだが争われたことがある)

最初に、念のため、賭け麻雀が賭博に当たるかどうかを検討してみます。

賭博とは何ぞやということが問題となりますが、賭博とは、勝敗について偶然性の事情にかかる場合に(要は、偶然性が勝ち負けを左右するゲームという意味)、金銭その他の財産を賭けて勝敗を争うことを言うとされています。

重要なのは「勝敗が偶然の事情にかかる場合」という点ですが、当事者の技能が勝敗の決定に相当影響を与える場合でも、偶然性が残されている限りは勝敗が偶然の事情にかかるものと考えられています(明治44年11月13日大審院判決)。

ここで面白いのは、昔々、麻雀の勝敗は全て実力によって決まるのだと豪語し、麻雀は賭博ではないと弁解した弁護士がいました。

しかし、残念ながら、実力の優劣が勝敗に大きく関係する面はあるものの、偶然性があることも公知の事実であると棄却されています(昭和6年5月2日大審院判決)。

ふむふむ。確かに、相手が故阿佐田哲也氏(本名は色川武大)や桜井章一氏(麻雀界では伝説的な強者と言われている2人)であっても、偶然性のみで勝てる可能性はありますよね。

他方、いわゆるイカサマ行為が行われている場合(要はインチキをして確実に勝てるような詐欺的手段を用いて勝負をしている者がいる場合)には、偶然性がないことから賭博罪は成立せず、イカサマ行為をした方に詐欺罪のみが成立すると考えられています(なので、もしギャンブルでイカサマをされたら堂々と訴えてもよい!、と考えられています)。

ただ本件では、市長らがしていた賭け麻雀が賭博に当たること自体は問題なさそうです。

「一時の娯楽に供する物」とは?

では次に、刑法第185条(賭博)の但書(ただし・・・以下のことを言います)について検討してみます。

このような但書は、条文の本文(但書の前に来ている部分)に該当しつつも但書にも該当する場合には、例外的に条文そのものを適用しないという使われ方がされます。

そして、刑法第185条に但書が設けられている趣旨は、一時の娯楽に供する物を賭けたにとどまるときは、その経済的価値がわずかで、これを賭けることが、勤労による財産の取得という健全な経済的観念を壊さないからだと考えられています。

また、「一時の娯楽に供する物」に該当するかどうかは、賭博をする者の財産状態と一般社会の常識とを考慮して、一般人を基準に客観的に決めるべきと考えられています。

ただし、判例では、金銭については、金額の多少にかかわらず、「一時の娯楽に供する物」に該当しないと判断されてきました(昭和23年10月7日最高裁判決)。

引用の判例でも、うどん一杯50円の時代に、300円を賭けても、違法であることに変わりはないと述べられています(現在なら、うどん300円で1800円を賭けるぐらいのイメージ?)。

以上からも明らかなとおり、市長らが、たとえ1日1万円しか賭けていなかったとしても、金銭を賭けていた以上、刑事裁判では有罪とされる可能性が高いと考えます。

もちろん、年間通してトントンになっているかどうかや、誰しもが麻雀をする際には賭けることが多いかどうかは、今回発覚した市長らの賭け麻雀の違法性とは直接関係ありません。

では、実際に処罰されるか?

ただし、実際に市長らが起訴されて刑事裁判にかけられるかと言えば、その可能性は低いと考えます。

なぜなら、第一に、やはり賭け金額が低く、実質的に処罰すべき違法性が高くはないことです(この点については次稿でコメントします)。

また、市長らが賭け麻雀をしていたことを示す証拠としては、彼らの証言ばかりで、客観的な証拠が乏しいと思われるからです。

そして、憲法や刑事訴訟法では、自白のみを有罪の証拠として処罰することはできず、他に自白を補強する証拠が必要であると規定されているのです。

参照「憲法第38条第3項:何人も、自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白である場合には、有罪とされ、又は刑罰を科せられない。」

参照「刑事訴訟法第319条第2項:被告人は、公判廷における自白であると否とを問わず、その自白が自己に不利益な唯一の証拠である場合には、有罪とされない。」

このような刑事裁判上のルールを補強法則と言い、1.自白は裁判所に過度に信用される可能性があるため、自白のみで有罪とすると判断を誤る危険性があることと、2.自白だけで有罪にできるとすると、捜査機関による自白の強要や人権侵害が生じる恐れがあることからこのようなルールが設けられています。

自白以外にどのような証拠があれば有罪とできるかについては、様々な見解がありますが、今回のような賭博罪であれば、麻雀そのものではなく、金銭等を賭けていたことについて何らかの補強証拠が必要なのではないかと思います。

ですので、今回の市長らの賭博罪のように、そもそも客観的な証拠が残りにくい罪で処罰しようと思えば、基本的には現行犯逮捕を要するケースが多いのではないかと思います(現行犯逮捕であれば、その場で様々な客観的証拠を押さえることができます)。

次稿について

さて、ここまで読んでいただいた方は、以下の疑問を抱かれているのではないでしょうか。

それは、少額の金銭を賭けても賭博罪に該当するのであれば、世の中に無数にある麻雀店(雀荘)のほとんどが違法な店で(市長の言葉どおり、賭けずに麻雀をする人はあまりいません)、そこで賭け麻雀をしている人達はみんな賭博罪で処罰されるのではないかという疑問です。

これについては、次稿の記事にしてみたいと思います。

雀荘や客が賭博の罪で処罰されない理由は??弁護士が解説

※本記事は分かりやすさを優先しているため、法律的な厳密さを欠いている部分があります。また、法律家により多少の意見の相違はあり得ます。

福永法律事務所 代表弁護士

著書【日本一稼ぐ弁護士の仕事術】Amazon書籍総合ランキング1位獲得。1980年生まれ。工業大学卒業後、バックパッカー等をしながら2年間をフリーターとして過ごした後、父の死をきっかけに勉強に目覚め、弁護士となる。現在自宅を持たず、ホテル暮らしで生活をしている。プライベートでは海外登山に挑戦しており、2018年5月には弁護士2人目となるエベレスト登頂も果たしている。MENSA会員

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