樋口尚文の千夜千本 第209夜 【追悼】花ノ本寿、騒然たる時代のまぼろしの花
鬼才監督たちに愛された舞踊界の異才
舞踊家にしてかつては映画俳優として美しく個性的な演技で鮮やかな印象を残した花ノ本寿が84歳で逝った。花ノ本は本名を加藤龍一郎というが、広島県三次市に生まれ、幼き日から舞踊と三味線に慣れ親しんだ。1956年に上京、舞踊家の花柳太衛蔵に弟子入りするが、この師が後に「花ノ本」の名跡を継いで十四世花ノ本葵と名を改めることとなり、芸養子の加藤龍一郎は花ノ本寿の名を許された。ちなみに「花ノ本」とはあの『水無瀬三吟百韻』の飯尾宗祇に始まる連歌師の家系なのだが、この花ノ本葵が流祖として日本舞踊「花ノ本流」を興し、花ノ本寿は初代家元となった(現在は花ノ本寿の長男・花ノ本海が二代目家元として花ノ本寿を襲名している)。
三次の豪勢な割烹旅館の一人息子として育ち、幼き日から舞踊の天分を発揮していた花ノ本寿は、このように若くしてみるみる頭角を現していくのだが、戦後日本映画黄金期のピークであった1958年春、大阪での舞台中に松竹会長の大谷竹次郎が楽屋を訪れ、映画への出演をオファーしたことから思わぬ映画俳優の道が開ける。舞踊を極めることが目標であった花ノ本寿は当初この招きを断るが、幾度かの熱心な申し入れを受けて同年夏の松竹京都作品『七人若衆誕生』という若手スタア売り出し映画で銀幕にデビューすることとなった。映画界入りにあたっては美空ひばりとの共演作でデビューすることを花ノ本は条件としていたため、松竹はひばりとの共演の『高野心中』を用意したが、ひばりが東映に移ったためこの企画は流れてしまい、急遽『七人若衆誕生』に変更になった。1959年3月に上映された、まだ助監督時代の大島渚が演出したスタアお披露目映画『明日の太陽』でも花ノ本は優雅に紹介されている。
次いで丸根賛太郎監督の『高丸菊丸 疾風篇』をはじめ『花の幡随院』『修羅桜』『大利根無情』『旗本愚連隊』など松竹の娯楽時代劇に出演したが、日本映画界は一気に斜陽の時代にさしかかり、松竹は金のかかる時代劇をほとんど手がけなくなった。ちょうど1961年に松竹との契約が切れた花ノ本は、活躍の場をテレビドラマやレコードに移すことになり、NHKの『事件記者』や大河ドラマ『赤穂浪士』などに出演する一方、日本コロムビアやクラウンから歌手として『花笠若衆』『ズッキン節』などのレコードを売り出した。ところがこの頃に花ノ本は松竹時代の美男スタアの枠を揺れ出る意外な役柄をもって意外な作家から映画に誘われる。
それは1965年の武智鉄二監督『黒い雪』で、またもや公演中の楽屋に初対面の武智がいきなり現れてこの問題作への主演をオファーした。横田基地の売春宿の息子に扮した花ノ本は、占領軍の圧力に民族的な怒りをたぎらせる。公開直後に警視庁がフィルムを押収して武智らがわいせつ図画公然陳列罪で起訴される通称『黒い雪』事件が勃発して騒ぎとなったが(一審二審ともに無罪)、本作は花ノ本の秘めしダークサイドの味を引き出した分岐点的作品だろう。花ノ本は続いて翌年の武智監督の日活オールスタア映画『源氏物語』でも主役の光源氏をニヒルに演じた。こうした映画での出会いを経て、武智とその妻で日舞川口流家元の初代・川口秀子とは以後も舞踊家として交流を深める。そしてこの武智作品の前に、花ノ本はこれまた意外な若松孝二監督が原爆症の少女の悲劇を描いた1964年の社会派的作品『恐るべき遺産 裸の影』にも出演している。
こうした異色作家の作品に出演を果たす一方で、舞踊家として門弟も増えた花ノ本寿は改めて襲名披露公演を催したが、1965年に今度は日活から誘いがかかり同年の鈴木清順監督『刺青一代』では高橋英樹扮する侠客の弟のナイーヴな美術学生に扮した(ここでクレジットは花ノ本「壽」とされ「新人」と謳われた)。日活ではこういうシリアスな侠客物のほか1967年の『花を喰う蟲』のような官能的メロドラマにおいても、太地喜和子のヴァンプに誘惑され利用される大手企業社長の御曹司という陰翳ある役を好演した。このほか吉永小百合主演の『大空に乾杯!』『恋のハイウェイ』などでは軽妙でユニークな脇役もこなした。そしてこの時期にテレビドラマ(16ミリフィルムで撮っていたので「テレビ映画」と呼ばれたが)ではTBS時代の実相寺昭雄監督との出会いがあり、1967年の時代劇『風』シリーズの『絵姿五人小町』や1969年の円谷プロの特撮サスペンス『怪奇大作戦』シリーズの『呪いの壺』などテレビ作法の定番を逸脱した刺激的な作品に招かれた。
この「テレビ映画」の至宝と呼ぶべき『呪いの壺』では、強烈な美意識の実相寺監督が花ノ本寿の儚げで虚無的な美しさを偏愛していることが存分に伝わってくるが、ほどなくして花ノ本は実相寺がATGで初めて手がける1970年の長篇劇映画『無常』の重要な役にも起用される。旧家の姉弟は近親相姦におぼれ、その関係をカムフラージュするために姉と偽装結婚する男が花ノ本であった。実に複雑な役柄だったが、花ノ本の風貌の翳のある繊細さがものを言った。続いて同じく1974年の実相寺のATG作品『あさき夢みし』では麗しき後深草天皇に扮したが、これも花ノ本ほどのたたずまいなくば持たない役どころであった。
これより後、1970年代半ば以降は花ノ本寿は舞踊家としての活動に専心して、映画やドラマへの出演も途絶えるのだが、ちょうど邦画興行の絶頂期から凋落期にかけて五社の娯楽映画からATG、独立プロのアート作品まで股にかけて印象深い演技を刻んだ花ノ本寿の記憶はいまだ鮮やかである。戦前からの時代劇映画の名匠・丸根賛太郎の最後の劇映画から新世代の独立プロの旗手・若松孝二の問題作まで幅広い作品で活躍し得たのも、たまさかこの季節を映画俳優として生きた花ノ本ならではのことであった。そして、武智鉄二、鈴木清順、実相寺昭雄と、鬼才たちを魅了し、鼓舞した花ノ本の美貌と雰囲気は、その写真集の題名を借りれば騒然たる時代に期限付きで咲いた「まぼろしの花」であった。