Yahoo!ニュース

追悼・坂本龍一――日本の戦後民主主義社会を生きた音楽家、社会運動家に寄せて

宗像明将音楽評論家
坂本龍一のTwitterアカウントから筆者がキャプチャ

坂本龍一という音楽家の『Beauty』というアルバム

昨年、坂本龍一に宛てたメールを書いた。それは、あるメールインタビュー用の質問に添えた短いものだった。その取材は残念ながら実現しなかったが、そのぶん、彼が音楽を鳴らしたり、近しい人と触れ合う時間が少しでも増えたのなら、それで良かったのだと思わずにはいられない。

2023年4月2日、坂本龍一が3月28日に71歳で死去したことが発表された。

坂本龍一は、ソロ・アーティストとしての活動、Yellow Magic Orchestra(YMO)などのユニットでの活動をはじめとして、作曲家、編曲家、プロデューサー、セッション・ミュージシャンとしてあまりにも多くの作品を生みだした。2023年1月に高橋幸宏がこの世を去ったため、私はYMOのすべてのオリジナル・アルバムを聴き返したところだった。

追悼・高橋幸宏――ソロ作の悲哀と苦悩、そしてその品位の高さと救済を振り返りながら

1978年の初のソロ・アルバム『千のナイフ』から、2023年の最新作『12』まで、坂本龍一のオリジナル・アルバムを聴き返すだけでも、この半世紀近くのポピュラー音楽の流れを俯瞰できそうである。しかも、そこにはクラシックや民俗音楽もミクスチャーされている。

私は、1985年のシングル『Steppin' Into Asia』を13歳で買ってから、坂本龍一作品を聴いてきた。今、若者にどれか1枚を勧めろと言われたら1980年の『B-2 Unit』だが、それで収まるはずもない。1986年の『未来派野郎』や1986年のライヴ盤『Media Bahn Live』といった、いまだにサブスクで聴けない作品も愛聴してきたが、ここでは1989年の『Beauty』というアルバムについて触れたい。2021年にようやくサブスクで聴けるようになった作品だ。

『Beauty』は、その名の通りに美しさをたたえた作品であると同時に、さまざまな波紋を呼んだアルバムでもある。批判も含めた『Beauty』をめぐる状況は、2021年にRolling Stone Japanに掲載されたインタビュー「坂本龍一が語る、『BEAUTY』で描いたアウターナショナルという夢のあとさき」に詳しい。

坂本龍一は、1987年の『NEO GEO』でも取り入れていた沖縄民謡の要素を、『Beauty』でさらに押し広げた。たとえば、アルバムの冒頭を飾る「Calling From Tokyo」は、セネガルのユッスー・ンドゥールの歌声とともにはじまり、続いてブライアン・ウィルソンがヴォーカルを取り、後半では沖縄民謡の唄者である古謝美佐子、我如古より子、玉城一美による「オキナワチャンズ」のコーラスが入る。しかも作詞はアート・リンゼイ。前述のインタビューで坂本龍一は、「『BEAUTY』は、エスニックな何かをネタのようなものとしては使っていないという自負はありますし、単なる『耳遊び』としてエスニックなものを使うのではなく、もうちょっと入り組んだ組み替えが行われています」と振り返っていた。

『Beauty』は、「安里屋ユンタ」「ちんさぐの花」と2曲の沖縄民謡を収録しており、「安里屋ユンタ」でヴォーカルを務めるのは、なんと坂本龍一本人。彼の歌はお世辞にもうまいとは言えないし、本人もそれを承知で歌っているのだろうが、独特の味がある。ローリング・ストーンズの「We Love You」は、アフリカ音楽に変換。また、スティーヴン・フォスターの「金髪のジェニー」をオキナワチャンズが歌った「Romance」では、アメリカ歌曲が沖縄民謡にしか聴こえなくなるという倒錯が起きている。

『Beauty』がリリースされた当時、17歳のワールドミュージック少年だった私は、午前3時過ぎによくこのアルバムを聴いていた。間違いなくもっとも聴いた坂本龍一のオリジナル・アルバムだ。そして、本人が意図したかどうかは別として、日本の戦後民主主義社会における坂本龍一の葛藤が色濃く投影されたアルバムのようにも感じるのだ。日本、アメリカ、そして沖縄。

坂本龍一という日本の戦後民主主義社会を生きた左派文化人

「MUSIC MAGAZINE」2016年2月号では、坂本龍一の特集が組まれ、私は彼の社会運動についてまとめた記事「復帰後の坂本龍一の仕事は、どれもが深い意味を持っている」を執筆した。

最近も、神宮外苑の再開発に伴う森林伐採について小池百合子都知事らに手紙を送るなど、坂本龍一は最後まで社会に向けた発言を続けた。坂本龍一とは、日本の戦後民主主義社会を生きた音楽家であり、日本の戦後民主主義社会を生きた左派文化人でもあった。以下、彼の社会運動のごく一部を紹介する。

地雷除去活動のために坂本龍一の呼びかけで生まれたユニット「N.M.L.」には、Mr.Childrenの桜井和寿、佐野元春、LUNA SEAのSUGIZO、GLAYのTAKUROとTERU、DREAMS COME TRUEらが参加。2001年にシングル『ZERO LANDMINE』をリリースし、その収益は地雷撤去に使われた。

福島第一原子力発電所事故を受けて脱原発を訴えた「NO NUKES 2012」には、YMOでもソロ名義でも出演。坂本龍一が代表を務める森林保全団体「more trees」は、東日本大震災の被災地支援プロジェクト「LIFE311」を展開した。また、岩手県、宮城県、福島県に住む学生による楽団「東北ユースオーケストラ」では代表と音楽監督を務め、3月26日の演奏会も配信で見守ったという。

米軍基地問題についても発言を続け、前述のオキナワチャンズの古謝美佐子が結成したグループ・うないぐみと坂本龍一がコラボレーションをした2015年のシングル『弥勒世果報 - undercooled』の収益は、経費を除き、すべて辺野古新基地建設に反対するための辺野古基金に寄付された。2017年の古謝美佐子のブログのエントリー「坂本龍一さん」には、うないぐみと坂本龍一の写真が掲載されている。ここで触れられている坂本龍一と父親との喧嘩とは、まさに『Beauty』をめぐってのものだと記憶している。

この記事の冒頭で触れた「ある取材用の質問」を読み返すと、我ながら社会について聞いている比率が高い。それだけ坂本龍一に聞きたいことがあったのだ。しかし、戦争と気候変動とパンデミックの時代に、私たちは坂本龍一を失った。坂本龍一の言動に少しでも心を動かされた経験を持つ人は、これからは自分自身が行動していくことが求められるのだろう。私自身もまた、そう噛みしめているところだ。

音楽評論家

1972年生まれ。「MUSIC MAGAZINE」「レコード・コレクターズ」などで、はっぴいえんど以降の日本のロックやポップス、ビーチ・ボーイズの流れをくむ欧米のロックやポップス、ワールドミュージックや民俗音楽について執筆する音楽評論家。著書に『72年間のTOKYO、鈴木慶一の記憶』(2023年)、『渡辺淳之介 アイドルをクリエイトする』(2016年)。稲葉浩志さんの初の著書『シアン』(2023年)では、15時間の取材による10万字インタビューを担当。

宗像明将の最近の記事