アトレティコは死中に活を求める。「チョリスモ」の果てにある、不退転の決意。
何度でも蘇る。アトレティコ・マドリーが簡単に屈するなど、決してあり得ない。
ヨーロッパリーグ(EL)準決勝第1戦アーセナル戦はそれを象徴するような試合だった。開始早々の10分にシメ・ヴルサリコが退場になり、12分にはディエゴ・シメオネ監督が主審に猛烈な抗議を行ったことで退席処分を命じられる。ゲームの大半を数的不利、指揮官不在で戦う羽目になった。
だがアトレティコは真骨頂を発揮する。60分に失点したが、83分にロングボール1本のカウンターからアントワーヌ・グリーズマンが同点弾を叩き込む。アウェーで1-1。アーセナルの本拠地エミレーツの観衆は「信じられない」といった表情で会場を後にした。
そして、ホームで行われた第2戦を1-0で制し、アトレティコはファイナルに進んだ。
■チョリスモ
「チョリスモ(シメオネ主義)」は死んだ。サイクルの終焉。今季チャンピオンズリーグ(CL)でグループステージ敗退が決まると、メディアには大層なフレーズが踊った。
確かに、アトレティコは高齢化の波に逆らえずにいる。ディエゴ・ゴディン、フアンフラン・トーレス、フィリペ・ルイス、ガビ・フェルナンデス、フェルナンド・トーレス...。中枢に据えられている選手たちが30歳を超えている事実はある。
しかしーー。アーセナル戦はどうだったか。年齢など関係ない。ピッチに立てば、誰もがユース年代の選手のように泥臭く闘う。「チョリスモ」は死んでいない。
この3シーズン、シメオネ監督は幾度となくチームの梃入れを余儀なくされてきた。
2015年11月28日のエスパニョール戦でチアゴ・メンデス(現アシスタントコーチ)が右脛骨を骨折して、そこから指揮官は大幅な軌道修正を強いられた。ポジショナルなセンターハーフ、つまり的確なポジショニングで相手の攻撃を摘む選手は、シメオネ・アトレティコの生命線だったからだ。
代役として獲得したアウグスト・フェルナンデス(現北京人和)も度重なる負傷に苦しめられ、その後サウール・ニゲスが台頭したが、チアゴとはタイプが異なる。シメオネ監督が苦肉の策でコケをボランチに据えれば、ガビに「守備が脆くなる」と公の場で批判され、一時はチームに亀裂が走った。
昨年夏はFIFAの処分で補強が禁じられた。ビトロ、ジエゴ・コスタの獲得を決めたが、正式加入は冬の移籍市場が開くまで待たなければならなかった。ジエゴ・コスタの復帰を誰よりも望んでいたのはシメオネ監督である。昨季前線でグリーズマンが孤立してしまうことに課題を感じていた指揮官は、「戦闘機」の到着でそれを補おうとした。
■信じることを
ーNunca dejes de creerー
2016年3月15日に行われたCL決勝トーナメント1回戦第2戦のPSV戦。前本拠地ビセンテ・カルデロンに大きな文字が広がった。
アトレティコはPK戦8-7の末、PSVに競り勝った。最後はフアンフラン・トーレスがPKを成功させている。
「信じることを、決してやめるな」
アトレティコの標語だ。シメオネの就任から7年余りが経過した。指揮官の熱は徐々に、確実にアトレティスに伝染していった。厳しい状況になった時こそ、アトレティコにとって完璧な舞台となる。
PSV戦から数カ月後に迎えたCL決勝のレアル・マドリー戦、ミランの地でフアンフラン・トーレスがPKを外した時でさえ、アトレティコスは信じ続けた。結果としては、C・ロナウドのキックが無慈悲にネットを揺らした。それでもアトレティコへの愛を示し続けてきたフアンフランを責める者はいなかった。ついに訪れるであろう、CL制覇の日を信じて。
シメオネ監督を原液だとすれば、このフレーズは媒介となり、アトレティコスが薄める役割を果たす。情熱。固執。闘争心。いろいろなエッセンスを取り込み、その信念は岩をも貫き通すものになる。
今季はCLで敗退したが、ELの価値を軽視はしない。欧州カップ戦のタイトルは2012年以来になる。7年ぶりの奪冠に向け、全アトレティコスの考えは一致している。