沖縄は30年ぶりの大雨の慰霊の日
沖縄の令和の梅雨
令和元年(2019年)の沖縄の梅雨入りは平年より7日遅い5月16日でした。
沖縄県奄美の梅雨入りが5月14日で、これより2日遅れて梅雨に入りました。
その後、6月7日に東海から東北南部まで梅雨入りをし、6月15日には東北北部も梅雨入りをしました。
しかし、近畿・中国・四国・九州北部が未だ梅雨入りをしていません。
これは、太平洋高気圧の発達が遅れ、梅雨前線が沖縄付近から北へ押し上げられることがないためです。
東海から東北北部は、上空に北から寒気が流入したり、下層に南から湿った空気が流入することが多かったために、梅雨前線によるものではありませんが、曇りや雨の日が続いたということでの梅雨入りです。
つまり、曇りや雨の日が多いということでの梅雨入りで、梅雨前線による雨が降っての梅雨入りではありません。
ここへきて、オホーツク海に高気圧が出現するようになり、多くの年のように、梅雨の天気図になってきました(図1)。
太平洋高気圧の勢力が、梅雨前線を北に押し上げるほど強くありませんので、しばらくは梅雨前線が沖縄付近に停滞し、沖縄は梅雨前線による雨が続きそうです。
そして、東日本から東北は大気が不安定なことで雨や曇りが続く梅雨らしい天気が続きそうです。
さらに、西日本も大気が不安定なことで局地的な雷雨は発生しそうですが、東日本ほど長続きせず、梅雨入り前という状況が続きそうです。
沖縄慰霊の日
太平洋戦争の最大の激戦である沖縄戦では、連合軍は、4月1日に沖縄本島中部に上陸し、沖縄守備隊が守る那覇や首里などの南部を避け、北上して4月19日までに北部を制圧しています。
日本軍の反抗は5月4日に行われましたが、この作戦は失敗します。この年の沖縄は、梅雨入りが遅れており、圧倒的な連合軍の航空部隊が活躍できない梅雨期間を待てなかったのかもしれません。
連合軍は日本軍の反攻失敗で予備隊を使い果たしたとして首里に総攻撃をかけます。この頃から沖縄は梅雨に入ります。
空軍の活動が制約される梅雨になっても、日本軍に簡単に勝てるとの思惑があったのかもしれません。
しかし、戦闘は激化し、ぬかるみの中、両軍の激戦が続き、両軍に大きな被害がでていますが、徐々に南へ南へと追い詰められた日本軍の組織的な戦闘は6月下旬に終わっています。
このころ、沖縄が梅雨明けしました。沖縄戦の激戦は、梅雨入りとともに始まり、梅雨明けで終わったのです。
平和祈念公園が作られている沖縄本島南部の糸満市摩文仁で陸軍司令官らが自決した6月23日が「沖縄慰霊の日」となっています。
アメリカ施政権下の琉球政府及び沖縄県が定めた記念日です。そして、この6月23日は、沖縄の梅雨明けの平年日です。
晴れることが多い「沖縄慰霊の日」
「沖縄慰霊の日」には、糸満市摩文仁の平和祈念公園で沖縄全戦没者追悼式が行なわれています。
梅雨明け後ということもあり、ほとんどが晴れた日の式典でした。
しかし、今年、令和元年(2019年)の「沖縄慰霊の日」は雨、それもまとまった雨になりそうです(図2)。
沖縄本島南部の糸数では日降水量が20ミリ以上となると予想されていますが、日降水量が20ミリを超えるとなると、台風6号の接近によって大雨が降った平成元年(1989年)から30年ぶりということになります。
つまり、令和元年の追悼式は、平成元年の追悼式のように、大雨の中で行われる懸念があります。
沖縄の梅雨明けは
平成元年(1989年)は、大雨の追悼式の翌日、梅雨明けとなっています。
令和元年は、沖縄県地方の梅雨明けは追悼式から約1週間後の29日(土)になりそうです。
というのは、16日先までの天気予報を見ると、28日(金)までは傘マークや黒雲マーク(雨を降らせる可能性がある曇り)が並び、信頼度は5段階表示で、一番良いAか、次に良いBが並びますので、この期間は、梅雨が続きそうです(図3)。
一方、29日以降は、信頼度が悪いCとかDも交じりますが、晴れマークや白雲マーク(雨を降らせる可能性が少ない曇り)が並んでおり、梅雨明けを思わせます。
沖縄の梅雨明けの平年は、6月23日ですが、最も遅い梅雨明けが7月9日で、梅雨明けが7月になったのは、統計を取り始めた昭和26年(1951年)以降では6回(全体の9%)もありますので、記録的に遅い梅雨明けにはならないと思われます(表)。
沖縄では、あと一週間は大雨に対する警戒が必要です。
また、西日本や東日本では、沖縄の梅雨明け直後に、梅雨末期豪雨が発生することがありますので、雨が少ないからと言って油断することはできません。
図1の出典:気象庁ホームページ。
図2、図3の出典:ウェザーマップ提供。
表の出典:気象庁資料を元に著者作成。