国際コンテストで10年連続3つ星受賞!摘果りんごを捨てずに菓子活用 食品ロス削減と農家の収入増を達成
りんご(リンゴ)やみかん、ぶどうなどの果実の栽培では、余分な実を間引いて、大きな実をならせるための「摘果(てきか)」という作業がある。果実の成長には多くの養分を必要とするため、果実の数が多いと、大きく実らず、生育不良などの悪影響がある。そのため、摘果は果樹栽培において必要な作業である。だが、摘果した果実の多くはそのまま放置され、農家にとっては作業の邪魔になるだけだ。
そんな摘果のりんごを、食品ロス(フードロス)として捨てないで有効活用し、ゼロだったりんご農家の夏の収入源にできた取組みがある。それが、株式会社マツザワの「りんご乙女」というお菓子だ。「りんご乙女」は、第五回食品産業もったいない大賞で審査委員会委員長賞を受賞。iTQi国際優秀味覚コンテストでは、2009年から2018年まで、10年連続で最高位3つ星を受賞した。
長野県下伊那郡にある株式会社マツザワと、「りんご乙女」のために摘果りんごを提供し、飯田下伊那りんご部会長を務めるりんご農家、農家からりんごを集めているJAみなみ信州を取材した。
1986年(昭和61年)にグループ会社の長良園が発売したフルーツせんべいが元となった
株式会社マツザワは、観光土産品の企画や開発、製造、卸売、小売などを事業内容としている。
今回、取材対応して下さったのは、株式会社マツザワの取締役で、製造部門とマーケティング部門を担当する、森本康雄さん。
ー「りんご乙女」は、何がきっかけで生まれたんですか?
森本康雄さん(以下、敬称略):もともと、私たちのグループ会社の長良園が、フルーツせんべいを作っていたのです。キウイとか、パイン、小さいオレンジなどをスライスして、はさみ焼きして。その技術があったので、りんごをスライスしたものを長野県のお土産として売ろう、ということで、りんごスライスのクッキーとして売り出しました。
ー長野県、なので。
森本:そうです。フルーツせんべいを発売したのは1986年、昭和61年です。その時は、百貨店や量販店で販売していました。たとえば、東京の京王デパート(京王百貨店)には直営店がありましたので、そこでフルーツせんべいの中の1つのアイテムとして。東北から小さなりんごを仕入れて。
ー「りんご乙女」はいつが最初の発売なんですか?
森本:1995年です。平成7年に、長野県で販売を始めました。
ー県内だけですか?
森本:はい。パッケージの変更など、いろいろしてきて、2011年から、この地元産の摘果りんごを使うようになりました。そのいきさつの一番がこの賞(iTQi国際優秀味覚コンテストの最高位3つ星)です。なかなか取れない3つ星が取れたら、急に売れるようになり、りんごがない、どうしよう、と。
「長野県のお土産品だから、長野のりんごで作りたい」
森本:主原料のりんごを東北から送ってもらっていたので、(長野県の)お土産ですので地元のものを使いたいな、と。いろいろな人に相談したんですけど、なかなかできなくて。「りんごをどうしても集めなくては」ということで、行き着いたのが摘果りんごでした。
ーテストの時には400kg、ちょっとだけ使ったそうで。
森本:それが2010年です。この地元だけです。JAさんにいる、私の同級生にお願いしたんですけど、「それは集められない」と言われて。それでもどうにかしなきゃと高森町の町長に話に行ったら「(JAみなみ信州の営農)支援センターに聞いてみて」と言われて、支援センターを通して、地元の農家さんに話をしてもらいました。何軒かの方々が持ってきてくれた(摘果りんご)400kgで、そこからスタートしました。「じゃあ、来年やりましょうか」と、JAみなみ信州さんは、すぐに乗ってくれました。
JAさんが取り組んで頂ければ、北沢さん(りんご農家)のようなプロフェッショナルの方がいっぱいいらっしゃったので、そこからはあっという間に。翌年は22トン、という感じで増えていきました。
45軒のりんご農家さんが摘果りんごを持ってきてくれた
JAみなみ信州の営農部販売課の主任、遠山実さんにもお話を聞きに伺った。
ー最新の生産者さんが45軒ということで。
遠山実さん(以下、敬称略):今年(2018年)ですね、はい。(最初の)平成23年度は、だいたい20軒くらいから始まっております。初年度が2,500ケース。10kg換算なので、23トンですか。昨年(2017年)は全品種だったんですけれど、一番最高で、全部で98トン。今年(2018年)は、サンふじのみに限定したんですけれども、それでも64トンありまして。
ー平成23年の初期からの経緯をたどってみて、うまくいったことと、すごく苦労した点は何でしょうか。
遠山:苦労したというと、摘果りんごの、品質の表現の規格とか。でも苦労したところより、メリットの方が大きかったです。生産者の方も、口コミではないですけど、農協も「こういう取組みがあります」という形で年々進めてきていると、収穫農家さんも、ちょうど(夏は)収入がない時期ですので、この時期に少しでも収入になれば、お金が、という形でお声は頂いています。
ー普段はどんなコミュニケーションを?
森本:JAみなみ信州さんの考えで、3カ所で説明会をやるんです。ここの本所と、松川町と、豊丘というところと3カ所で。(りんごの)大きさはこのぐらいです、出して欲しいのはこういうものです、というのを細かく説明して。(JAの)農業指導員の人が、農薬の基準は守ってください、という説明があって。そのあたりの指導は個別ですよね?
遠山:持ち込んだところで開けて見させてもらえるなら、毎週受け入れをしていますので。そこで指導とか、声をかけさせてもらうとか。
ーマツザワさんからみても、(JAさんは)もうなくてはならない存在?
遠山:こちらとしても、もう。
森本:絶対できないです。一般のいち企業でこんなの(摘果りんご)を集めようとしたら、一軒一軒、農家さんに、こうして欲しいああして欲しいなんて対応ができないし、個別には答えられないですもんね。この(JAの)ネットワークというのはすごいな、というのも知りました。それを知らずにJAさんと始めたんですけれども、始めてみたら、すごいな、と。農家さんとのネットワークとかパイプは。
遠山:JAみなみ信州は、(管轄の)範囲が、結構、広いんです。
森本:長野県で一番くらい?
遠山:JAでいけばそうかもしれませんね。
森本:だって、静岡県まででしょう。
遠山:そうです。
「リスクがあるのにチャレンジしてくれた」飯田下伊那りんご部会長でりんご農家の北沢章さん
摘果りんごの活用において、要(かなめ)の存在である、長野県飯田下伊那りんご部会長で、りんご農家の、北沢章(しょう)さんご夫妻にも話を伺った。
ーいろんな農家さんから聞くのは「労働力とか、余計な手間がかかるから(規格外や摘果の活用は)できない」と言われるんですけれども、それができたのはなぜなんですか。人手を増やしたわけじゃなくて、一人の労働力が増えた、手間が増えた、ということですよね。
森本:北沢さんがやってくれた、収穫する時期を長くしてもらえたのは、ハードルが下がりましたよね。絶対に下がったと思います。
北沢章さん(以下、敬称略):(摘果りんご活用の)いい面としては、お金になる、畑がきれいになる、そこらへんが一番のメリットなんですけれども。
当然、デメリットもあって。(収穫の)期間的な制限がどうしてもあるということと、食品として考慮していかなきゃいけないので、防除ですよね。農薬。
ーぼうじょ(防除)。
北沢:使用農薬がどうしても制限されるわけです。たとえば、ふじというりんごは11月半ばごろから収穫をするんですけれども、それを7月半ばから取る、4ヶ月も前から取らざるを得ないんです。ということは、長く効果のある(残効のある)薬を使うことはできないので、防除体系を見直さないとできなくて。本当にそれで上手くいくのかどうかというものは、最初の課題でした。
ー2年目の時に、すでにぶち当たった、と。
北沢:そう。1年目に、そのことがあって。
森本:消毒を変えてしまうと、秋に収量が落ちるとか、もしかすると、北沢さんの家がやらないうちに周りがやると、虫がみんな北沢さんちの畑に来て(りんごが)全滅しちゃう可能性もあるし。そういうリスクもあったんですけれども、そこをやっていただけたというのは、大きかったです。
北沢:病気、害虫。そこらが、一番ネックで。
森本:誰もがわからないことなんで。生活がかかってますから、チャレンジなんかできないし。
ーかなり専門的ですね。
森本:じゃないと、できないと思います。こういう話をすると「とてもじゃないけれども、無理だ。農薬の暦(こよみ)を変えるなんて、無理だ」と。摘果りんごを出荷するなんていう頭が誰もないので。
北沢:(最初の頃は)いろんな農協から問い合わせがきて「大丈夫か」と。
森本:県の農政課とか、農林水産省とか、いろいろ来ました。
ー農林水産省まで。
森本:農薬基準法、取締法に関係するところなので。木が生育しているうちに、表面についた農薬をうまく(代謝)してくれるというのもあるみたいで。木から取っちゃうと、もう駄目らしいんです。
北沢:いわゆる代謝。代謝の中で、農薬を取り込みながら、りんごの中で分解をしてくるんです。
ー今、この取組みは7年目ということで、1年目から7年目を波で描くと、最初のところが一番、苦労のところですか?
北沢:そうそう。
ーそのあとは、割となだらか、という感じ?
北沢:その体系ができちゃったので、農薬さえ変えていけば、今まで8月上旬から取った人が、7月中旬から取れるわけです。作業期間が広がって、いろんな品種を取れるように、数量の拡大につながっていくわけです。
ー(りんご乙女の)品種は、何種類ぐらい使っていたんですか。
北沢:前は、たくさん。
森本:ほとんどですよね。10種類とか。今は、もう、ふじだけにさせてもらいました。
北沢:この管内で出荷をする人たちが、最初は30人ぐらいだったんです。30人もいなかったかな?その人たちが2〜3年やっていくうちに、お金になるし、これはいいぞ、ということになって。摘果して取ることによって、後に残ったりんごが、今までよりさらに良くなる、と。思い切って整理ができるので、残ったやつが、今まで以上に大きくなったり、陽が当たったりとか、最終的な果物の品質がよくなってきたんです。
ーそうなんですね。
北沢:そうじゃなくても、ふじというりんごはロスの多いりんごでして。普通でも、4割ぐらいはロスになっちゃうんです。あとの5割、6割が正常品で、流通に乗るんですけれども、あとの3割、4割は、傷になったり、鳥につつかれちゃったり、劣化と言って割れちゃったり。青み果という、あまり美味くない実ができちゃって。そういうロスが多いんで。摘果りんごでそういうものを取っちゃえば、あとのものがみんな揃うんで、これはいいぞということになって、徐々に(仲間が)増えて、70人ぐらいになったんですかね。
台風が多いとりんごが隣の枝に当たって傷ついてしまう
北沢:今年は台風で、もう、りんご、傷だらけ。
ー多かったですね。
北沢:落ちるものはあんまりなかったんですけれども、木に付いたところで揺られちゃうんで、それが隣の枝に当たって傷ついちゃうんです。擦れるだけならいいんだけれども、面に当たるんで、そうすると、そこに穴が空いちゃうんです。今年は雨が多いし、気温が高かったんで、傷口のところから水が入ったりして、腐ってきちゃうの。もう、かなりロス。
北沢さんの奥様:下へ落ちなくても、もうかなり傷がついちゃって、売り物にならないものが多くて、今年は傷ありだけど美味しい、というラベルを作って。
夏の収入ゼロから月20〜30万円の収入に
北沢:今までは、絶対にお金にならない時期、7月、8月、盆前って果物の出荷がないので、絶対お金にはならなかったんですけれども、その時期に収入になるということが、一つ、大きな要因で。
森本:キロ60円。出す量によってですけれども、20万とか30万ぐらいにはなるんですかね。
北沢:なります。
ー収入が増えたことで、農家さんの暮らしが変わったとか、そういうものはありますか?
北沢:楽しみが増えるよね。ちょっと外食に行ってみるとか、せいぜいそんな程度の。
ー気持ちの面でしょうかね。
北沢さんの奥さん:そうでしょうね。本当に(夏は)収入のない時なんで、うちなんかは生活費になっちゃいますけれども。それでも、どこか気持ちに余裕ができるから、どこか温泉に行ってこようか、とか。
森本:私たちにしてみると、地元の方々に知って頂けたので、地元の方に製品を買っていただくことが増えました。
ーりんご乙女を?
森本:うん。よく買って頂いて、親戚の人とか、子どもさんが遠くに行っている人にお土産で持たせてくれたり、だとか。
北沢さんの奥さん:本当、毎回、そうなの。法事でも配ったことがあるし。
ーりんご乙女の製造工程で、ちょっとグラムが足りなかったとか、ちょっと端が欠けたとかはないですか?
森本:結構。でも今年、ふじに(品種を)揃えさせてもらったので、ロスはだいぶ減ったんですけれども。
ー今までは、じゃあ、ちょっと。
森本:結構、ありました。すごくシビアな製品なんで。
北沢:テレビで(製造工程)やったよね。
北沢さんの奥さん:やったよね。
森本:りんご一枚、一枚、手作業で。
北沢さんの奥さん:びっくり。私、全部機械で、オートメーションでやって、検査ぐらいは人がやるのかな、と思った。ちゃんと置いているから。
取材を終えて
株式会社マツザワ、JAみなみ信州、りんご農家さん(飯田下伊那りんご部会)が三位一体となった取組みだった。どこが欠けても成立しないプロジェクトだ。ジュースやジャムなどの加工用りんごは、通常、キロあたり20円から30円が相場だが、この「りんご乙女」では、キロあたり60円でやり取りされている。
食品ロス削減の講演や執筆では、「食品ロスを減らすと経済が縮むからこんなの理想論だ」と言われることが多い。でも、摘果で廃棄していたりんごを活用することで食品ロスは明らかに減り、夏場はゼロだったりんご農家の収入は月に20〜30万円になった。食品ロスを減らすと100%経済が縮む、とは言えないのではないか。
株式会社マツザワは、創業の精神に「捨てられたものを『もったいない』と拾い上げて活かす」というのがある。先代は、阿島傘という和傘を作っていたが、洋傘の台頭で衰退してしまい、傘の木を削る技術を生かしてこけしを作った。観光地でこけしを売っていたが、(現会長は)食品の知識があったので、ヤマゴボウの味噌漬けを販売することになった。お土産品のヤマゴボウの漬物の、端っこが捨てられていた、そこに目をつけたのだ。
今では、摘果した若桃のクリーム大福や、名産の市田柿(いちだがき)の皮を生かした市田柿コスメや、車海老の踊り食いで余った頭を生かしたせんべいなど、もったいないを生かした多くの製品を生み出している。製品の一つであるラングドシャ、「白い針葉樹」も、規格外を製品化している。
たくさんの恵まれた要因が重なっての「りんご乙女」の成功なので、誰もができることではないかもしれない。それでも、日本全国から、第二、第三の「りんご乙女」のようなプロジェクトが誕生することを願っている。